名「いえ中々|一国《いっこく》もので、少しも人に媚《こび》る念がありませんから、今日《こんにち》直《すぐ》と申す訳には参りません」
 というので、是非なく山川も一度《ひとたび》お帰りになりまして、美作守さまの御前に於《おい》て、自分が実地を践《ふ》んで、何処《どこ》に何ういう事があり、此処《こゝ》に斯ういう事があったとお物語を致し、彼《か》の權六の事に及びますと、美作守さま殊の外《ほか》御感心遊ばされて、左様な者なら一大事のお役に立とうから召抱えて宜かろうとの御意がござりましたので、山川は早速作左衞門へ係《かゝ》ってまいりました。其の頃は御領主さまのお抱えと云っては有難がったもので、作左衞門は直《すぐ》に權六を呼びに遣《つか》わし、
作「是れは權六、来たかえ、さア此方《こっち》へ入《はい》んな」
權「はい、ちょっくら上《あが》るんだが、誠に御無沙汰アしました、私《わし》も何かと忙しくってね」
作「此の間中お母《っか》さんが塩梅が悪いと云ったが、最《も》う快《よ》いかね」
權「はい、此の時候の悪いので弱え者は駄目だね、あなた何時《いつ》もお達者で結構でがす」
作「扨《さ》て權六、まア此の上もない悦び事がある」
權「はい、私《わし》もお蔭で喰うにゃア困らず、彼様《あんな》心懸の宜《い》い女を嚊《かゝあ》にして、おまけに旦那様のお媒妁《なこうど》で本当は彼《あ》のお千代も忌《いや》だったろうが、仕方なしに私の嚊に成っているだアね」
作「なに否《いや》どころではない、貴様の心底を看抜《みぬ》いての上だから、人は容貌《みめ》より唯《たゞ》心じゃ、何しろ命を助けてくれた恩人だから、否応なしで」
權「併《しか》し夫婦に成って見れば、仕方なしにでも私《わし》を大事にしますよ」
作「今|此処《こゝ》で惚《のろ》けんでも宜《よ》い兎に角夫婦仲が好《よ》ければ、それ程結構な事はない、時に權六段々善い事が重なるなア」
權「然《そ》うでございます」
作「知っているかい」
權「はい、あのくらい運の宜《い》い男はねえてね、民右衞門《たみえもん》さまでございましょう、無尽《むじん》が当って直《すぐ》に村の年寄役を言付かったって」
作「いや左様《そう》じゃアない、お前だ」
權「え」
作「お前が倖倖《しあわせ》[#「倖倖」は「僥倖」の誤記か]だと云うは粂野美作守様からお抱えになりますよ、お召しだとよ」
權「へえ有難うごぜえます」
作「なにを」
權「まだ腹も空《す》きませんが」
作「なに」
權「お飯《めし》を喰わせるというので」
作「アハ……お飯ではない、お召抱えだよ」
權「えゝ然《そ》うでござえますか、藁の中へ包んで脊負《しょ》って歩くのかえ」
作「なにを云うんだ、勝山の御城主二万三千石の粂野美作守さまが小皿山の一件を御重役方から聞いて、貴様を是非召抱えると云うのだが、人足頭が入《い》るというので、貴様なら地理も能《よ》く弁《わきま》えて居って適当で有ろうというのだ、初めは棒を持って見廻って歩くのだが、江戸屋敷の侍じゃアいかないというので、お召抱えになると、今から直《すぐ》に貴様は侍に成るんだよ」
權「はゝゝそりゃア真平《まっぴら》御免だよ」
作「真平御免という訳にはいかん、是非」
權「是非だって侍には成れませんよ、第一侍は字い知んねえば出来ますめえ、また剣術も知らなくっちゃア出来ず、それに私《わし》ゃア馬が誠に嫌《きれ》えだ、稀《たま》には随分|小荷駄《こにだ》に乗《のっ》かって、草臥《くたびれ》休めに一里や二里乗る事もあるが、それでせえ嫌えだ、矢張《やっぱり》自分で歩く方が宜《い》いだ、其の上いろはのいの字も書くことを知らねえ者が侍《さむれえ》に成っても無駄だ」
作「それは皆|先方《むこう》さまへ申し上げてある、山川廣様というお方に貴様の身の上を話して、学問もいたしません、剣術も心得ませんが、膂力《ちから》は有ります、人が綽名《あだな》して立臼《たてうす》の權六と申し、両手で臼を持って片附けますから、あれで力は知れますと云ってあるが、其の山川廣と云うのはえらい方だ」
權「へえ、白酒屋《しろざけや》かえ」
作「山川廣(口の中《うち》にて)山川白酒と聞違えているな」
權「へえー其の方が得心で、粂野さまの御家来になるだね」
作「うん、下役《したやく》のお方だが、今度の事に就いては其の上役《うわやく》お作事奉行が来て居ますよ、有難い事だのう」
權「有難い事は有難いけんども、私《わし》ゃア無一国《むいっこく》な人間で、忌《いや》にお侍《さむれえ》へ上手を遣《つか》ったり、窮屈におっ坐《つわ》る事が出来ねえから、矢張《やっぱり》胡坐《あぐら》をかいて草臥《くたび》れゝば寝転び、腹が空《へ》ったら胡坐を掻いて、塩引の鮭《しゃけ》で茶漬を掻込《かっこ》むのが旨《うめ》え
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