「子刻《こゝのつ》」か「亥刻《よつ》」であるかの判別付かず]前じゃったか、下駄を履《は》いて墓場へ行《ゆ》き、線香を上げ、其処《そこ》で鈴《りん》を鳴《なら》し、長らく血盆経を読んでしもうて、私《わし》がすうと立って帰ろうとすると」
○「うん、うん」
僧「前が一面|乱塔場《らんとうば》で、裏はずうと山じゃな」
○「うん/\」
僧「其の山の藪の所が石坂の様になって居《い》るじゃ、其の坂を下《お》りに掛ると、後《うしろ》でぼーずと呼ぶじゃて」
○「ふーん、これは怖《こわ》えな、鐵もっと此方《こっち》へ寄れ、成程お前さんを呼んだ」
僧「何も私《わし》に怨みのある訳はない、縁無き衆生《しゅじょう》は度《ど》し難《がた》しというが、私《わし》は此の寺へ腰掛ながら住職の代りに回向《えこう》をしてやる者じゃ、それを怨んで坊主とは失敬な奴じゃと振向いて見た、此方《こちら》の勢《いきおい》が強いので最《も》う声がせんな」
○「へえー度胸が宜うごぜえやすな、強いもんだね、始終死人の側にばかりいるから怖くねえんだ、うーん」
僧「それから又|行《ゆ》きにかゝると、また皺枯《しわがれ》た声で地《じ》の底の方でぼーずと云うじゃて」
○「早桶《はやおけ》を埋《うめ》ちまった奴が桶の中でお前さんを呼んだのかね」
僧「誰だと振向いた」
○「へえ……先方《せんぽう》で驚いて出ましたか、穴の中から」
僧「振向いて見たが何《な》んにも居ないから、墓原《はかはら》へ立帰って見たが、墓には何も変りがない、はて何じゃろうと段々探すと、山の根方の藪ん中に大きな薯蕷《やまいも》が一本あったのじゃ、之《これ》が世に所謂《いわゆる》坊主/\山の芋《いも》じゃて」
○「何の事《こっ》た、人を馬鹿にして、併《しか》し面白《おもしれ》え、何か他に、あゝ其方《そっち》にいらっしゃるお侍さん、えへゝゝ、旦那何か面白《おもしろ》えお話はありませんか」
侍「いや最前から各々方《おの/\がた》のお話を聞いていると、可笑《おか》しくてたまらんの、拙者も長旅で表向《おもてむき》紫縮緬《むらさきちりめん》の服紗包《ふくさづゝみ》を斜《はす》に脊負《しょ》い、裁着《たッつけ》を穿《は》いて頭を結髪《むすびがみ》にして歩く身の上ではない、形は斯《かく》の如く襤褸袴《ぼろばかま》を穿いている剣道修行の身の上、早く云うと武者修行で」
○「これはどうも、左様ですか、武者修行で、へえー然《そ》う聞けばお前さんの顔に似てえる」
侍「何が」
○「いえ、そら久しい以前《あと》絵に出た芳年《よしとし》の画《か》いたんで、鰐鮫《わにざめ》を竹槍で突殺《つッころ》している、鼻が柘榴鼻《ざくろッぱな》で口が鰐口で、眼が金壺眼《かなつぼまなこ》で、えへゝゝ御免ねえ」
侍「怪《け》しからん事をいう、人の顔を讒訴《ざんそ》をして無礼至極」
○「なに、お前さんは左様《そん》なでもねえけれども、些《ちっ》と似てえるという話だ」
侍「貴公らは江戸のものか、職人か」
○「へえ」
侍「成程」
○「旦那、皆《みんな》は嘘っぺいばかしでいけませんが、何《なん》ぞ面白《おもしろ》え話はありませんかね」
侍「貴公《あんた》先にやったら宜かろう」
○「私《わっち》どもは好《い》い話が無《ね》えんで、火事のあった時に屋根屋の徳《とく》の野郎め、路地を飛越し損《そく》なやアがって、どんと下へ落ると持出した荷の上へ尻餅を搗《つ》き、睾丸《きんたま》を打ち、目をまわし、嚢《ふくろ》が綻《ほころ》びて中から丸《たま》が飛出して」
侍「然《そ》ういう尾籠《びろう》の話はいけんなア」
○「それから乱暴勝《らんぼうかつ》てえ野郎が焚火《たきび》に※[#「火+共」、第3水準1−87−42]《あた》って、金太《きんた》という奴を殴る機《はず》みにぽっぽと燃えてる燼木杭《やけぼっくい》を殴ったから堪《たま》らねえ、其の火が飛んで金太の腹掛の間へ入《へい》って、苦しがって転がりやアがったが、余程《よっぽど》面白うござえました」
侍「其様《そん》な事は面白くない」
○「そんなら旦那何ぞ面白え話を」
侍「先刻《せんこく》から空話《そらばなし》ばかり出たので、拙者の話を信じて聞くまいから、どうもやりにくい」
三十八
向座敷《むこうざしき》にてぽん/\と手を打ち、
宗「誰《たれ》も居ぬかな」
下婢「はい」
此の座敷に寝ているのは渡邊お竹で、宗達が看病を致して居りますので、
婢「お呼びなさいましたかえ」
宗「一寸《ちょっと》こゝへ入ってくれ」
婢「はい」
宗「序《ついで》に水を持って来ておくれ、病人がうと/\眠附《ねつ》くかと思うと向座敷で時々大勢がわアと笑うので誠に困る」
婢「誠にお喧《やかま》しゅうござりやしょう」
宗「其処《そこ》をぴったり閉めておくれ」
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