呻《うな》る声がしますから、權六は怪しんで透《すか》して見て、
權「何《なん》だ……呻ってるのは誰だ」
男「へえ、御免下さい、どうかお助けなすって下さいまし」
權「誰だ……暗い藪の中で……」
男「へえ、疝癪《せんしゃく》が起りまして歩くことが出来ません者で…」
權「誰だ……誰だ」
男「へえ、あなたは遠山様でございますか」
權「何うして己を……汝《われ》は屋敷の者か」
男「へえ、お屋敷の者でごぜえます」
權「誰だ、判然《はっきり》分らん、待て/\」
 と懐から手丸提灯《てまるぢょうちん》を取出し、懐中附木《かいちゅうつけぎ》へ火を移して、蝋燭へ火を点《とも》して前へ差出し、
權「誰だ」
男「誠に暫く、御機嫌宜しゅう……だん/″\御出世でお目出度うござえます」
權「誰だ」
有「えゝ、お下屋敷の松蔭大藏様の所に奉公して居りました、有助と申す中間《ちゅうげん》でござえます」
權「ウン然《そ》うか、碌に会った事もない、それとも一度か二度会った事があるかも知れんが、忘れた、それにしても何うしたんだ」
有「へえ、あなたは委《くわ》しい事を御存じありますめえが、去年の九月少し不首尾な事がありまして、家《うち》へは置かねえとって追出され、中々詫言をしても肯《き》かねえと存じまして、友達を頼って田舎へめえりましたところが、間の悪い時にはいけねえもんで、其の友達が災難で牢へ行くことになり、留守居をしながら家内を種々《いろ/\》世話をしてやりましたが、借金もある家《うち》ですから漸々《だん/\》行立《ゆきた》たなくなって、居候どころじゃアごぜえませんから、出てくれろと云われるのは道理《もっとも》と思って出ましたが、他《ほか》に親類身寄もありませんから、詫言をして帰りてえと思いましても、主人は彼《あ》の気象だから、詫びたところが置く気遣《きづか》いは有りません、種々考えましたが、あなたは確か美作のお国からのお馴染でいらっしゃいますな」
權「然《そ》うよ」
有「あなたに詫言をして戴こうと斯う思いやして、旅から考えて参りましたところが、中々入れませんで、此の田の中をずぶ/\入って此処《こゝ》へ這込《はいこ》みやしたが、久しく喰わずにいたんで腹が空《す》いて堪《たま》りません、雪に当ったり雨に遭ったりしたのが打って出て、疝癪が起って、つい呻りました、何分にも恐入りますが何うか主人に詫言をお願い申します」
權「むう、余程悪い事をしたな、免《ゆる》すめえ、困ったなア、なに物を喰わねえ」
有「へえ、実は昨日《きのう》の正午《ひる》から喰いません」
權「じゃア、ま肯《き》くか肯かねえか分らんけれど、話しても見ようし、お飯《まんま》は喰わしてやろう」
有「有難うござえます」
權「屋敷へつか/\無沙汰《むさた》に入って呻ったりしないで、門から入れば宜《い》いに……何しろ然《そ》う泥だらけじゃア仕方がねえから小屋へ来い」
有「有難うごぜえます」
權「さ行け」
有「貴方ね、疝癪で腰が攣《つ》って歩けません」
權「困った奴だ、何うかして歩け、此の棒を杖《つ》け」
有「へえ、有難うごぜえます」
權「それ確《しっ》かりしろ」
有「へえ」
權「提灯を持て」
有「へえ」
 と提灯の光ですかし見ると、去年見たよりも尚《な》お肥《ふと》りまして立派になり、肩幅が張ってゝ何うも凛々《りゝ》しい男で、怖いから、
有「へえ参ります」
權「さ行《ゆ》け」
有「旦那さま、誠に恐入りますが、片方《かた/\》に杖を突いても、此方《こっち》の腰が何分|起《た》ちませんから、左の手をお持ちなすって」
權「世話アやかす奴だな、それ捉《つら》まれ」
 と右の手を出して、
有「へえ有難う」
 とひょろ/\蹌《よろ》けながら肩へ捉《つら》まる。
權「確《しっ》かりしろい」
有「へえ」
 と云いながら懐よりすらりと短刀を抜いて權六の肋《あばら》を目懸けてプツーり突掛けると、早くも身を躱《かわ》して、
權「此の野郎」
 と其の手を押えました。手首を押えられて有助は身体が痺《しび》れて動けません力のある人はひどいもので。併《しか》し直《すぐ》に役所へ引いて行《ゆ》かずに、權六が自分の宅《たく》へ引いて来たは、何か深い了簡あってのことゝ見えます。此のお話は暫《しばら》く措《お》きまして、是から信濃国《しなのゝくに》の上田|在《ざい》中の条に居ります、渡邊祖五郎と姉の娘お竹で、お竹は大病《たいびょう》で、田舎へ来ては勝手が変り、何かにつけて心配勝ち、左《さ》なきだに病身のお竹、遂に癪の病を引出しました。大した病気ではないが、キヤキヤと始終痛みます。祖五郎も心配致しています所へ手紙が届きました。披《ひら》いて見ますと、神原四郎治からの書状でございます。渡邊祖五郎殿という表書《うわがき》、只今のように二日目に来るなどという訳に
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