…何《なん》ぞ上げましょう、烟草盆の誂《あつら》えがありますから彼品《あれ》を」
忠「其様《そん》な大きなものはいけない」
岩「じゃア火鉢を一つ」
忠「いけないよ」
岩「それでは何か途中で喰《あが》る金米糖《こんぺいとう》でも上げましょう、じゃア明日《あした》私《わし》が板橋までお送り申しましょう」
祖「そんな事をしないでも宜しい、忙がしい身体だから構わずに」
岩「へえ、忰を何卒《どうぞ》何分お頼み申します、へゝゝ誠にもう私《わし》は五十八でごぜえます」
と一つ事ばかり云って、人の善《よ》い、理由《わけ》の分りません人だから仕方がない。翌朝《よくあさ》板橋まで送る。下役の銘々《めい/\》も多勢《おおぜい》ぞろ/\と渡邊織江の世話になった者が、祖五郎お竹を送り立派な侍も愛別離苦《あいべつりく》で別れを惜《おし》んで、互に袖を絞り、縁切榎《えんきりえのき》の手前から別れて岩吉は帰りました。祖五郎お竹等は先ず信州上田の在で中の条村という処へ尋ねて行《ゆ》かんければなりません。こゝで話二つに分れまして、彼《か》の春部梅三郎は、奥の六畳の座敷に小匿《こがく》れをいたして居り、お屋敷の方へは若江病気に就《つい》て急にお暇《いとま》を戴きたいという願《ねがい》を出し、老女の計《はから》いで事なく若江はお暇の事になりましたは御慈悲《ごじひ》でござります。さて此の若江の家《うち》へ宗桂《そうけい》という極《ごく》感の悪い旅按摩《たびあんま》がまいりまして、私《わたくし》は中年で眼が潰《つぶ》れ、誠に難渋いたしますから、どうぞ、御当家様はお客さまが多いことゆえ、療治をさせて戴きたいと頼みますと、慈悲深《なさけぶか》い母だから、
母「療治は下手だが、家《うち》にいたら追々得意も殖《ふ》えるだろう、清藏丹誠をしてやれ」
清「へえ」
と清藏も根が情深い男だから丹誠をしてやります所から、療治は下手だが、廉《やす》いのを売物《うりもの》に客へ頼んで療治をさせるような事になりました。其の歳の十一月二十二日の晩に、母が娘のお若を連れまして、少々用事があって本庄宿《ほんじょうじゅく》まで参りました。春部梅三郎は件《くだん》の隠家《かくれが》に一人で寝て居り、行灯《あんどう》を側へ引寄せて、いつぞや邸《やしき》を出る時に引裂《ひきさ》いた文《ふみ》は、何事が書いてあったか、事に取紛れて碌々読まなかったが、と取出して慰《なぐさ》み半分に繰披《くりひら》き、なに/\「予《かね》て申合せ候一儀大半成就致し候え共、絹と木綿の綾は取悪《とりにく》き物ゆえ今晩の内に引裂き、其の代りに此の文を取落し置《おき》候えば、此の花は忽《たちま》ち散果《ちりはて》可申《もうすべく》茎《じく》は其許《そこもと》さまへ蕾《つぼみ》のまゝ差送《さしおくり》候」はて…分らん…「差送候間|御安意《ごあんい》之《の》為め申上候、好文木《こうぶんぼく》は遠からず枯れ秋の芽出しに相成候事、殊《こと》に安心|仕《つかまつ》り候、余は拝面之上|※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そう/″\》已上《いじょう》[#「已上」は底本では「己上」]、別して申上候は」…という所から破れて分らんが、これは何の手紙だろう、少しも訳が分らん……どうも此の程から重役の者の内、殊に神原五郎治、四郎治の両人《ふたり》の者は、どうも心良からん奴だ、御舎弟様のお為にもならん事が毎度ある、伯父秋月は容易に油断をしないから、神原の方へ引込まれるような事もあるまいが、何の文だろう、何者の手跡《しゅせき》だか頓と分らん、はてな。と何う考えても分りませんから、又巻納めて紙入の間へ挟んで寝ましたが、寝付かれません。其の内に離れて居りますけれども、宿泊人《とまりゅうど》の鼾《いびき》がぐう/\、往来も大分《だいぶ》静かになりますと、ボンボーン、ばら/\/\と簷《のき》へ当るのは霙《みぞれ》でも降って来たように寒くなり、襟元から風が入りますので、仰臥《あおむけ》に寝て居りますと、廊下をみしり/\抜足《ぬきあし》をして来る者があります。廊下伝いになっては居るが、締りが附いていて、別に人の来られないようになって居りますから、
梅「誰が来たろう、清藏ではあるまいか、何だろう」
と態《わざ》と睡《ねむ》った振で、ぐう/\と空鼾《そらいびき》をかいて居りますと、廊下の障子を密《そっ》と音のしないように開けて這込《はいこ》む者を梅三郎が細目を開《ひら》いて見ますると、面部を深く包んで、尻《しり》ッ端折《ぱしょり》を致しまして、廊下を這って来て、だん/″\行灯《あんどう》の許《もと》へ近づき、下からふっと灯《あかり》を消しました。漸々《だん/″\》探り寄って春部が仰臥《あおむ》けざまに寝ている鼻の上へ斯う手を当てゝ寝息を伺いました。
梅「す……はて
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