け》くも聞《け》かねえも要《え》らねえ、放さねえかよ、これ放さねえかてえにあれ着物《けもの》が裂けてしまうじゃアねえか、裂けるよ、放さねえか、放しやがれ」
と林藏はプップと腹を立って庭の方へ出る途端に、チョン/\チョン/\、
○「四ツでござアい」
と云う廻りの声を合図に、松蔭大藏は裏手の花壇の方から密《そっ》と抜足《ぬきあし》をいたし、此方《こちら》へまいるに出会いました。
大「林藏じゃアねえか」
林「おや旦那様」
大「林藏出て来ちゃアいかんなア」
林「いかんたって私《わし》には居《え》られませんよ、旦那様、頭へ疵《けず》が出来《でけ》ました、こんなに殴《にや》して何うにも斯うにも、其様《そん》な薄穢い田舎者《えなかもの》は否《えや》だよッて、突然《いきなり》烟管で殴しました」
大「ウフヽヽヽ菊が……菊が立腹して、ウフヽヽヽ打《う》ったか、それで手前腹を立てゝ出て来たのか」
林「ヒエ左様でござえます」
大「ウム至極|尤《もっと》もだ、少しの間己が呼ぶまで来るな、併《しか》し菊もまだ年がいかないから、死んでも否《いや》だと一度《ひとたび》断るは女子《おなご》の情《じょう》だ、ま部屋に往って寝ていろ」
林「部屋へ往《え》っても寝《に》られませんよ」
大「ま、兎も角|彼方《あちら》へ往《い》け/\、悪いようにはしないから」
林「ヒエ左様なら御機嫌宜しゅう」
と林藏が己《おのれ》の部屋へ往《ゆ》く後姿《うしろすがた》を見送って、
大「えゝーい」
と大藏は態《わざ》と酔った真似をして、雪駄をチャラ/\鳴らして、井筒の謡《うたい》を唄いながら玄関へかゝる。お菊は其の足音を存じていますから、直《すぐ》に駈出して両手を突き、
菊「お帰り遊ばせ」
大「あい、あゝーどうも誠に酔った」
菊「大層お帰りがお遅うございますから、また神原様でお引留《ひきとめ》で、御迷惑を遊ばしていらっしゃることゝ存じて、先程からお帰りをお待ち申して居りました」
大「いや、どうも無理に酒を強《しい》られ、神原も中々の酒家《のみか》で、飲まんというのを肯《き》かずに勧めるには実に困ったが、飯も喫《た》べずに帰って来たが、嘸《さぞ》待遠《まちどお》であったろう」
菊「さ、此方《こちら》へ入らしってお召換《めしかえ》を遊ばしまし[#「遊ばしまし」は底本では「遊ぱしまし」]」
大「あい、衣類《きもの》を着替ようかの」
菊「はい」
とお菊は直《すぐ》に乱箱《みだればこ》の中に入って居ります黄八丈の袷小袖《あわせこそで》を出して着換させる、褥《しとね》が出る、烟草盆が出ます。松蔭大藏は自分の居間へ坐りました。
菊「御酒《ごしゅ》は召上っていらっしゃいましたろうが、御飯《ごはん》を召上りますか」
大「いや勧めの酒はの幾許《いくら》飲んでも甘《うま》くないので、宅へ帰ると矢張また飲みたくなる、一寸《ちょっと》一盃《いっぱい》燗《つ》けんか」
菊「はい、お湯も沸いて居りますし、支度もして置きました」
大「じゃア此処《これ》へ持って来てくれ」
菊「はい畏まりました」
と勝手を存じていますから、嗜《たしな》みの物を並べて膳立《ぜんだて》をいたし、大藏の前へ盃盤《はいばん》が出ました。お菊は側へまいりまして酌をいたす。大藏は盃《さかずき》を執《と》って飲んでお菊に差す。お菊は合《あい》に半分ぐらいずつ忌《いや》でも飲まなければなりません。
大「はあー……お菊先程林藏が先へ帰ったろう」
菊「はい、何だかも大層|飲酔《たべよ》ってまいりまして、大変な機嫌でございましたが、も漸《ようや》く欺《だま》して部屋へ遣《や》りましたが、彼《あれ》には余り酒を遣《つかわ》されますといけませんから、加減をしてお遣《つかわ》し下さいまし」
大「ウム左様か、何か肴の土産を持って参ったか」
菊「はい、種々《いろ/\》頂戴致しましたが、私《わたくし》は宜《よ》いからお前持って往《ゆ》くが宜い、折角下すったのだからと申して皆|彼《あれ》に遣《つかわ》しました」
大「あゝ然《そ》うか、あゝー好《よ》い心持だ、何処《どこ》で酒を飲むより宅へ帰って気儘に座を崩して、菊の酌で一盃飲むのが一番旨いのう」
菊「貴方また其様《そん》な御容子《ごようす》の好《よ》いことばかり御意遊ばします、私《わたくし》のような此様《こん》なはしたない者がお酌をしては、御酒《ごしゅ》もお旨くなかろうかと存じます」
大「いや/\どうも実に旨い、はアー……だがの、菊、酔って云うのではないが表向《おもてむき》、ま手前は小間使《こまづかい》の奉公に来た時から、器量と云い、物の云い様《よう》裾捌《すそさば》き、他々《ほか/\》の奉公人と違い、自然に備わる品《ひん》というものは別だ、実に物堅い屋敷にいながら、仮令《たとい》己が昇進して、身に余る大禄を頂戴
前へ
次へ
全118ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング