いう志なら、また其の様に目を懸けてやるがのう」
林「ヒエ実《じつ》に国《こに》というたところで、今《えま》になって帰りましたところが、親戚《めより》もなし、別《びつ》に何う仕ようという目途《みあて》もないものですから願わくば此の繁盛《さか》る御府内でまア生涯|朽果《こちはて》れば、甘《おま》え物を喰《た》べ、面白《おもしろ》え物を見て暮しますだけ人間《ねんげん》の徳だと思えやす、実《ぜつ》に旦那さまア御当地《こちら》で朽果《こちは》てたい心は充分《えっぱい》あります」
大「それは宜しい、それじゃア何うだえ己は親戚《みより》頼り兄弟も何も無い、誠に心細い身の上だが、まア幸い重役の引立を以て、不相応な大禄を取るようになって、誠に辱《かたじ》けないが、人は出世をして歓楽の極《きわ》まる時は憂いの端緒《いとぐち》で、何か間違いのあった時には、それ/″\力になる者がなければならない、己が増長をして何か心得違いのあった時には異見を云ってくれる者が無ければならん、乃《そこ》で中々家来という者は主従の隔てがあって、どうも主人の意《こゝろ》に背いて意見をする勇気のないものだが、貴様は何でもずか/\云ってくれる所の気象を看抜《みぬ》いているから、己は貴様と親類になりたいと思うが、何うだ」
林「ヒエ/\恐入《おそれえ》ります、勿体至極も……」
大「いや、然《そ》うでない、只|主《しゅう》家来で居ちゃアいかん、己は百石頂戴致す身の上だから、己が生家《さと》になって貴様を一人前の侍に取立ってやろう、仮令《たとえ》当家の内でなくとも、他《た》の藩中でも或《あるい》は御家人|旗下《はたもと》のような処へでも養子に遣《や》って、一廉《ひとかど》の武士に成れば、貴様も己に向って前々《まえ/\》御高恩を得たから申上ぐるが、それはお宜しくない、斯うなすったら宜かろうと云えるような武士に取立って、多分の持参は附けられんが、相当の支度をしてやるが、何うだ侍になる気はないか」
林「いや、是はどうも勿体ない事でござえます、是はどうもはや、私《わし》の様な者は迚《とて》もはや武士《ぼし》には成れません」
大「そりゃア何ういう訳か」
林「第一《でいいち》剣術《きんじつ》を知りませんから武士《ぼし》にはなれましねえ」
大「剣術《けんじゅつ》を知らんでも、文字を心得んでも立派な身分に成れば、それだけの家来を使って、それだけの者に手紙を書かせなどしたら、何も仔細はなかろう」
林「でござえますが、武士《ぼし》は窮屈ではありませんか、実《ぜつ》は私《わし》は町人になって商いをして見たいので」
大「町人になりたい、それは造作もない、二三百両もかければ立派に店が出せるだろう」
林「なに、其様《そんな》には要《え》りませんよ、三拾両|一資本《ひともとで》で、三拾両も有れば立派に店が出せますからな」
大「それは造作ない事じゃ、手前が一軒の主人になって、己が時々往って、林藏|一盃《いっぱい》飲ませろよ、雨が降って来たから傘ア貸せよと我儘を云いたい訳ではないが、年来使った家来が出世をして、其の者から僅かな物でも馳走になるは嬉しいものだ、甘《うま》く喰《た》べられるものだ」
林「誠に有難い事で」
大「ま、もう一盃飲め/\」
林「ヒエ大層嬉しいお話で、大分《だいぶ》酔《え》いました、へえ頂戴いたします、これははや有難いことで……」
大「そこでな、どうも手前と己は主家来の間柄だから別に遠慮はないが、心懸けの悪い女房でも持たれて、忌《いや》な顔でもされると己も往《ゆ》きにくゝなる、然《そ》うすると遂《つい》には主従《しゅうじゅう》の隔てが出来、不和《ふなか》になるから、女房の良いのを貴様に持たせたいのう」
林「へえ、女房の良いのは少ねえものでござえます、あの通り立派なお方様でござえますが、森山様でも秋月様でも、お品格といい御器量といい、悪い事はねえが、私《わし》ら目下《めした》の者がめえりますとつんとして馬鹿にする訳もありやしねえが、届かねえ、お茶も下さらんで」
大「それだから云うのだ、此の間から打明けて云おうと思っていたが、家《うち》にいる菊な」
林「ヒエ」
大「彼《あれ》は手前も知っているだろうが、内々《ない/\》己が手を附けて、妾同様にして置く者だ」
林「えへゝゝゝ、それは旦那さまア、私《わし》も知らん振でいやすけれども、実《じつ》は心得てます」
大「そうだろう、彼《あれ》はそれ渡邊の家《うち》に勤めている船上の妹《いもと》で、己とは年も違っているから、とても己の御新造《ごしんぞ》にする訳にはいかん、不器量《ふきりょう》でも同役の娘を貰わなければならん、就《つい》ては彼《あ》の菊を手前の女房に遣《や》ろうと思うが、気に入りませんかえ、随分器量も好《よ》く、心立《こゝろだて》も至極宜しく、髪も結い、裁
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