もの》を致します)をさせて置きたくない、貴様にはこれ/\手当をして遣《や》ろうという真実に絆《ほだ》されて、表向ではないが、内々《ない/\》大藏に身を任して居ります。是は本当に惚れた訳でもなし、金ずくでもなし、変な義理になったので、大藏も好男子《いゝおとこ》でありますが、此の菊は至って堅い性質ゆえ、常々神原や山路が来ては何か大藏と話をしては帰るのを、案じられたものだと苦にしていたのが顔に出ます。今大藏が衝立の蔭に菊のいたのを認めて恟《びっく》り致したが、さあらぬ体《てい》にて、
大「源兵衞、少し待ちな」
 と連戻って、庭口から飴屋を送り出そうとすると、林藏という若党が同じく立って聞いていましたので、再び驚いたが、仕方がないと思い、飴屋を帰してしまったが、大藏は腹の中《うち》で菊は船上忠助の妹《いもと》だから、此の事を渡邊に内通をされてはならん、船上は古く渡邊に仕えた家来で、彼奴《あいつ》の妹だから、こりゃア油断がならん、なれども林藏は愚者《おろかもの》だから、林藏から先へ当って調べてみよう。と是から支度を仕替えて、羽織大小で彼《か》の林藏という若党を連れ、買物に出ると云って屋敷を立出《たちい》で、根津の或る料理茶屋へ昇《あが》りましたが、其の頃は主《しゅう》家来のけじめが正しく、中々若党が旦那さまの側などへはまいられませんのを、大藏は己《おれ》の側へ来いと呼び附けました。
大「林藏、大きに御苦労/\」
林「へえ、何か御用で」
大「いや独酌《ひとり》で飲んでもうまくないから、貴様と打解けて話をしようと思って」
林「恐入りましてございます、何ともはや御同席では……」
大「いや、席を隔《へだ》てゝは酒が旨くない」
林「こゝでは却《かえ》って気が詰りますから、階下《した》で戴きとう存じます」
大「いや、酒を飲んだり遊ぶ時には主《しゅう》も家来も共々にせんければいかん、己の苦労する時には手前にも共々に苦労して貰う、これを主従苦楽を倶《とも》にするというのだ」
林「へえ、恐入ります、手前などは誠に仕合せで、御当家さまへ上《あが》りまして、旦那さまは誠に何から何までお慈悲深く、何様《どん》な不調法が有りましても、お小言も仰《おっし》ゃらず、斯ういう旦那さまは又とは有りません、手前が仕合《しあわせ》で、此の間も吉村さまの仁介《ねすけ》もお羨《うらや》ましがっていましたが、私《わたくし》のような不行届《ほよきとゞき》の者を目《み》え懸けて下さり何ともはや恐入りやす」
大「いや、然《そ》うでない、貴様ア感心な事には正直律義なり、誠に主《しゅう》思いだのう」
林「いえ、旦那様が目《み》え懸けて下せえますから、お互に思えば思わろゝで、そりゃア尊公《あんた》当然《あたりめえ》の事《こっ》て」
大「いや/\然うでない、一体貴様の気象を感服している、これ女中、下物《さかな》を此処《これ》へ、又|後《あと》で酌をして貰うが、早く家来共の膳を持って来んければならん」
 と林藏の前へも同じような御馳走が出ました。
大「のう林藏、是迄しみ/″\話も出来んであったが、今日《きょう》は差向いで緩《ゆっ》くり飲もう、まア一盃《いっぱい》酌《つ》いでやろう」
林「へえ恐入りました、誠ね有難い事で、旦那さまのお酌《さく》で恐入《おそれえ》ります」
大「今日は遠慮せずにやれよ」
林「へえ恐入《おそれえ》りました、ヒエ/\溢《こぼ》れます/\……有難い事で、お左様なれば頂戴いたします、折角《しっかく》の事だアから誠にはや有難い事で」
大「今日は宜《い》いよ、打解けて飲んでくれ、何かの事に遠慮はあっちゃアいかん、心の儘に飲めよ」
林「ヒエ/\有難い事で」
大「さ己が一盃《ひとつ》合《あい》をする」
 とグーと一盃《いっぱい》飲み、又向うへ差し、林藏を酔わせないと話が出来ません。尤《もっと》も愚《おろか》だから欺《だま》すには造作もない、お菊は船上忠助の妹ゆえ、渡邊織江へ内通を致しはせんかと、松蔭大藏も実に心配な事でございますから、林藏から先へ欺《あざむ》く趣向でござります。林藏は段々|宜《よ》い心持に酔って来ましたので仮名違いの言語《ことば》で喋ります。
大「遠慮なしに沢山|飲《や》れ」
林「ヒエ有難い事で、大層|酩酊《めんてい》致しやした」
大「いや/\まだ酩酊《めいてい》という程飲みやアせん、貴様は国にも余り親戚《みより》頼りのないという事を聞いたが、全く左様かえ」
林「ヒエ一人|従弟《えとこ》がありやすが、是は死んでしまエたか、生きているか分《わ》きやたゝんので、今迄何とも音ずれのない処を見ると、死んでしもうたかと思いやす、実《ぜつ》にはや樹《け》から落ちた何とか同様で、心細い身の上でがす」
大「左様か、何うだ別に国に帰りたくもないかえ、御府内へ住《すま》って生涯果てたいと
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