遅れました、彼《あ》の節は何ともお礼の申そうようもございません、喜六やお前|一寸《ちょっと》此方《こちら》へ出て、宜くお礼を」
喜「はい旦那さま、彼《あ》の折《おり》は何ともはアお礼の云う様《よう》もござえません、私《わし》なんざアこれもう六十四になりますから、何もこれ彼奴等《あいつら》に打殺《ぶちころ》されても命の惜《おし》いわけはなし、只私の不調法から旦那様の御名義ばかりじゃアねえ、お屋敷のお名前まで出るような事があっちゃア済まねえと覚悟を極めて、私一人|打殺《ぶっころ》されたら事が済もうと思ってる所へ、旦那様が出て何ともはアお礼の申《もうし》ようはありません、見掛けは綺麗な優しげな、力も何もねえようなお前様が、大の野郎を打殺《うちころ》しただから、お侍は異《ちが》ったものだと噂をして居りました」
大「然《そ》う云われては却《かえ》って困る、これは御奉公人で」
喜「はい私《わし》ア何《なん》でござえます、お嬢さまが五才《いつゝ》の時から御奉公をして居り、長《なが》え間これ十五年もお附き申していますからお馴染《なじみ》でがす、彼《あ》の時お酒が一口出たもんだから、お供だで少し加減をすれば宜かったが、急いで飲《や》っつけたで、えら腹が空《へ》ったから、二合出たのを皆《み》な酌飲《くんの》んじまい、酔ぱらいになって、つい身体が横になったところから不調法をして、旦那様に御迷惑をかけましたが、先生さまのお蔭さまで助かりましたは、何ともお礼の申上げようはござえません」
織「えゝ今日《こんにち》は直《すぐ》にお暇《いとま》を」
大「何はなくとも折角の御入来《ごじゅうらい》、素《もと》より斯様な茅屋《ぼうおく》なれば別に差上《さしあげ》るようなお下物《さかな》もありませんが、一寸《ちょっと》詰らん支度を申し付けて置きましたから、一口上ってお帰りを」
織「いや思召《おぼしめし》は辱《かたじ》けないが、今日《こんにち》は少々急ぎますから、併《しか》し貴方様はお品格といい、先達《せんだっ》て三人を相手になすったお腕前は余程武芸の道もお心懸け、御熟練と御無礼ながら存じました、どうか承わりますれば新規お抱えに相成った權六と申す者と前々から知るお間柄ということを一寸屋敷で聞きましたが、御生国《ごしょうこく》は矢張《やはり》美作で」
大「はい、手前は津山の越後守家来で、父は松蔭大之進と申して、聊《いさゝ》か高も取りました者でござるが、父に少し届かん所がありまして、お暇《いとま》になりまして、暫《しばら》くの間|黒戸《くろと》の方へまいって居り又は權六の居りました村方にも居りました、それゆえに彼《あれ》とは知る仲でございます」
織「実にどうも貴方は惜《おし》いことで、大概忠臣二君に事《つか》えずと云う堅い御気象であらっしゃるから、立派な処から抱えられても、再び主《しゅう》は持たんというところの御決心でござるか」
大「いえ/\二君に仕《つか》えんなどと申すは立派な武士の申すことで、どうか斯うやって店借《たながり》を致して、売卜者《ばいぼくしゃ》で生涯|朽果《くちはて》るも心外なことで、仮令《たとえ》何様《どん》な下役小禄でも主取《しゅうと》りをして家名を立てたい心懸《こゝろがけ》もござりますが、これという知己《しるべ》もなく、手蔓等《てづるとう》もないことで、先達《せんだっ》て權六に会いまして、これ/\だと承わり、お前は羨《うらやま》しい事で、遠山の苗字を継いでもと米搗《こめつき》をしていた身の上の者が大禄《たいろく》を取るようになったも、全くお前の心懸《こゝろがけ》が良いので自然に左様な事になったので、拙者などは早く親に別れるくらいな不幸の生れゆえ、とても然《そ》ういう身の上には成れんが、何様《どん》な処でも宜しいから再び武家になりたい、口が有ったら世話をしてくれんかと權六にも頼んで置きましたくらいで、何《ど》の様な小禄の旗下《はたもと》でも宜しいが、お手蔓があるならば、どうか御推挙を願いたい、此の儀は權六にも頼んで置《おき》ましたが、御重役の尊公定めしお交際《つきあい》もお広いことゝ心得ますから」
織「承知致しました、えゝ宜しい、いや実に昔は何か貞女両夫に見《まみ》えずの教訓を守って居りましたが、却《かえ》ってそれでは御先祖へ対しても不孝にも相成ること、拙者主人|美作守《みまさか》は小禄でござるけれども、拙者これから屋敷へ立帰って主人へも話をいたしましょう、貴方の御器量は拙者は宜く承知しておるが、家老共は未《ま》だ知らんことゆえ、始めから貴方が越後様においでの時のように大禄という訳にはまいりません、小禄でも宜しくば心配をして御推挙いたしましょう」
大「どうもそれは辱《かたじ》けない事で」
と是から互に酒を飲合って、快く其の日は別れましたが、妙な物で、
前へ
次へ
全118ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング