しゅうございます」
大「なに嬉しくはあるまい……なに……真に手前嬉しいと思うなら、己に起請《きしょう》を書いてくれ」
菊「貴方、御冗談ばかり御意遊ばします、起請なんてえ物を私《わたくし》は書いた事はございませんから、何う書くものか存じません」
大「いやさ己の気休めと思って書いてくれ、否《いや》でもあろうが其《そ》れを持っておれば、菊は斯ういう心である、末々《すえ/″\》まで己のものと安心をするような姿で、それが情だの、迷ったの、笑ってくれるな」
菊「いゝえ、笑うどころではございませんが、起請などはお止し遊ばせ」
大「ウヽム書けんと云うのか、それじゃア手前の心が疑われるの」
菊「だって私《わたくし》は何もお隠し申すことはありませんし、起請などを書かんでも……」
大「いや反古《ほご》になっても心嬉しいから書いてくれ、硯箱《すゞりばこ》をこれへ……それ書いてくれ、文面は教えてやる……書かんというと手前の心が疑《うたぐ》られる、何か手前の心に隠している事が有ろう、然《そ》うでなければ早く書いてくれ」
菊「はい……」
とお菊は最前大藏が飴屋の亭主を呼んで、神原四郎治との密談を立聞《たちぎゝ》をしたが、其の事でこれを書かせるのだな、今こゝで書かなければ尚疑われる、兄の勤めている主人方へお屋敷の一大事を内通をする事も出来ん、先方の心の休まるように書いた方が宜かろうと、羞《はず》かしそうに筆を執りまして、大藏が教ゆる通りの文面をすら/\書いてやりました。
大「まア待て、待て/\、名を書くのに松蔭と書かれちゃア主人のようだ、何処までも恋の情でいかんければならん、矢張ぷっつけに[#「ぷっつけに」は「ぶっつけに」の誤記か]大藏殿と書け」
菊「貴方のお名を……」
大「ま書け/\、字配りは此処《こゝ》から書け」
と指を差された処へ筆を当てゝ、ちゃんと書いた後《のち》、自分の名を羞かしそうにきくと書き終り、
菊「あの、起請は神に誓いまして書きますもので、血か何か附けますのですか」
大「なに血は宜しい、手前の自筆なれば別に疑うところもない、あゝ有難い」
押戴《おしいたゞ》いて巻納《まきおさ》めもう一盃《いっぱい》。と酒を飲みながら如何《いか》なることをか工《たく》むらん、続けて三盃《さんばい》ばかり飲みました。
大「あゝ酔った」
菊「大層お色に出ました」
大「殺して居た酒が一時《いちじ》に
前へ
次へ
全235ページ中88ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング