もあれば義太夫にも作って有ります。前次様は通称を紋之丞さまと仰せられ、武張った方で、少しも色気などは無く、疳癖《かんぺき》が起るとつか/\/\と物を仰しゃいます。お秋の方も時としては甚《ひど》く何か云われる事があり、御家来衆も苛《ひど》く云われるところから、
甲「紋之丞様を御相続としては御勇気に過ぎて実に困る、あの疳癖では迚《とて》も治らん、勇ばかりで治まるわけのものではない、殿様は御病身なれば、万一お逝去《かくれ》になったらお秋殿のお胤の若様を御相続とすればお屋敷は安泰な事である」
 とこそ/\若様附の御家来は相談をいたすとは悪いことでございますが、紋之丞様を無い者に仕ようという、ない者というのは殺してしまうと云うので、昔はよく毒薬を盛るという事がありました。随分お大名にありました話で、只今なればモルヒネなどという劇剤もありますが、其の時分には何か鴆毒《ちんどく》とか、或《あるい》は舶来の※[#「譽」の「言」に代えて「石」、第3水準1−89−15]石《よせき》ぐらいのところが、毒の劇《はげ》しいところです。彼《か》の松蔭大藏は智慧が有って、一家中の羽振が宜くって、物の決断は良《よい》し、彼を抱込めば宜《よ》いと寺島兵庫と申す重役が、松蔭大藏を抱込むと、松蔭は得たりと請合って、
大「十分事を仕遂《しおお》せました時には、どうか拙者にこれ/\の望《のぞみ》がございますが、お叶《かな》え下さいますか」
寺「委細承知致した、然《しか》らば血判を」
大「宜しい」
 と是から血を出し、我《わが》姓名の下へ捺《お》すとは痛《ひど》い事をしたもので、ちょいと切って、えゝと捺《や》るので、忌《いや》な事であります。只今は血を見る事をお嫌いなさるが、其の頃は動《やゝ》ともすれば血判だの、迚《とて》も立行《たちゆき》が出来んから切腹致すの、武士道が相立たん自殺致すなどと申したもので、寺島松蔭|等《ら》の反逆も悉皆《すっぱり》下組《したぐみ》の相談が出来て、明和の四年に相成りました。其の年の秋までに謀策《たくみ》を仕遂《しおお》せるのに一番むずかしいものは、浮舟《うきふね》という老女で年は五十四で、男優《おとこまさ》りの尋常《ひとゝおり》ならんものが属《つ》いて居ります。此者《これ》を手に入れんければなりません。此者と物堅い渡邊織江の両人を何うかして手に入れんけりゃアならんが、これ/\と
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