置きますと、渡邊織江の家来|船上忠助《ふながみちゅうすけ》という者の妹お菊《きく》というて、もと駒込《こまごめ》片町《かたまち》に居り、当時|本郷《ほんごう》春木町《はるきちょう》にいる木具屋岩吉《きぐやいわきち》の娘がありました。今年十八で器量はよし柔和ではあり、恩人織江の口入《くちいれ》でありますから、早速其の者を召抱えて使いました。大藏は物事が行届《ゆきとゞ》き、優しくって言葉の内に愛敬があって、家来の麁相《そそう》などは知っても咎《とが》めませんから、家来になった者は誠に幸いで、屋敷中の評判が段々高くなって来ました。折しも殿様が御病気で、次第に重くなりました。只今で申しますと心臓病とでも申しますか、どうも宜しくない事がございます。只今ならば空気の好《よ》い処とか、樹木の沢山あります処を御覧なすったら宜かろうというので、大磯とか箱根とかへお出《い》でが出来ますが、其の頃では然《そ》うはまいりません。然《しか》るに奥様は松平和泉守《まつだいらいずみのかみ》さまからお輿入《こしい》れになりましたが、四五年|前《ぜん》にお逝去《かくれ》になり、其の前《まえ》から居りましたのはお秋《あき》という側室《めかけ》で、これは駒込|白山《はくさん》に住む山路宗庵《やまじそうあん》と申す町医の娘を奥方から勧めて進ぜられたので、其の頃諸侯の側室《めかけ》は奥様から進ぜらるゝ事でございますが、今は然《そ》ういう事はないことで、旦那様が妾を抱えようと仰しゃると、少しつんと遊ばしまして、私《わたくし》は箱根へ湯治に往《ゆ》きますとか何とか仰しゃいますが其の頃は固いもので、奥様の方から無理に勧めて置いたお秋様が挙《もう》けました若様が、お三歳《みっつ》という時に奥様がお逝去《かく》れになりましたから、お秋様はお上通《かみどお》りと成り、お秋の方という。側室《めかけ》が出世をいたしますと、お上通りと成り、方名《かたな》が附きます。よく殿方が腹は借物《かりもの》だ良い胤《たね》を下《おろ》す、只胤を謔驍スめだと軍鶏《しゃも》じゃア有るまいし、胤を取るという事はありません造化機論《ぞうかきろん》を拝見しても解って居りますが、お秋の方は羽振が宜しいから、御家来の内《うち》二派《ふたは》に分れ、若様の方を贔屓《ひいき》いたすものと、御舎弟前次様を贔屓いたす者とが出来て、お屋敷に騒動の起ることは本に
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