渡邊に打明けていう訳にはいかずと、云えば直《すぐ》に殺されるか、刺違えて死兼《しにかね》ぬ忠義|無類《むるい》の極《ごく》頑固《かたくな》な老爺《おやじ》でございますから、これを亡《な》いものにせんけりアなりません。

        十八

 老女も中々の才物ではございますが、女だけに遂に大藏の弁舌に説附《ときつ》けられました。此の説附けました事は猥褻《わいせつ》に渉《わた》りますから、唯説附けたと致して置《おき》ましょう。扨《さ》て此の一味の者がいよ/\毒殺という事に決しまして、毒薬調合の工夫は有るまいかと考えて居りますと御案内の通り明和の三年は関東洪水でございまして、四年には山陽道に大水が出て、二年洪水が続き、何処《どこ》となく湿気ますので、季候が不順のところから、流行感冐《はやりかぜ》インフルエンザと申すような悪い病が流行《はや》って、人が大層死にましたところが、お扣《ひかえ》の前次様も矢張流行感冐に罹《かゝ》られました処、段々重くなるので、お医者方が種々《いろ/\》心配して居りますが、勇気のお方ゆえ我慢をなすって押しておいでので[#「おいでなので」の誤記か]いけません、風邪を押損《おしそこ》なったら仕方がない、九段坂を昇ろうとする荷車見たように後《あと》へも前《さき》へも往《ゆ》けません。とうとう藤本の寄席へ材木を押込むような事が出来ます。こゝで大藏がお秋の方の実父山路宗庵は町医でこそあれ、古方家《こほうか》の上手でありますから、手に手を尽して山路をお抱えになすったら如何《いかゞ》と申す評議になりますと、秋月は忠義な人でございますから、それは怪《け》しからん事、他から医を入れる事は容易ならん事にて、お薬を一々毒味をして差上げる故に、医は従来のお医者か然《さ》も無くば匙《さじ》でも願うが宜いと申して承知致しませんから、如何《いかゞ》致したら宜かろうと思っていました。すると九月十日に、駒込白山前に小金屋源兵衞《こがねやげんべえ》という飴屋があります、若様のお少《ちい》さい時分お咳が出ますと水飴を上げ、又はお風邪でこん/\お咳が出ると水飴を上ります。こゝで神原五郎治《かんばらごろうじ》と神原四郎治《かんばらしろうじ》兄弟の者と大藏と三人打寄り、額《ひたえ》を集め鼎足《みつがなわ》で談《はなし》を致しました時に、人を遠ざけ、立聞きを致さんように襖障子を開広《あけひ
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