しく云ってお遣《や》りよ」
さ「おや/\そうかえ、まア誠に有難いこと、姉さんの云う事は肯《き》き、私の云う事は肯かないのだもの、それも姉さんのお蔭さ、お前はいつも若いよ、お月さん幾つ」
月「十三七ツが聞いて呆れる」
さ「お湯に往《い》くなら私も一緒に往こう」
と嬉し紛れにおさきはお月と諸共《もろとも》に出て往《ゆ》く。後《あと》にお村は硯箱《すゞりばこ》を引寄せまして、筆を取り上げ、細々《こま/″\》と文を認《したゝ》め、旦那を取らなければ母が私を女郎《じょろう》にしてしまうと云うから、仕方なしに私は吾妻橋から身を投げて死にますから、其の前に一目逢いたいから、お店《たな》を首尾して廿五日の昼過に、知らない船宿から船に乗り、代地《だいち》の川長《かわちょう》さんの先の桐屋河岸《きりやがし》へ来て待っていてくれろという手紙を認《したゝ》めて出しましたから、友之助は大きに驚き、主人の家を首尾して抜け出し、廿五日の昼頃船を仕立てゝ桐屋河岸に待って居りました。
五
引続きまする業平文治のお話は些《ち》と流行遅れでございまして、只今とは何かと模様が違います。当今は鉄道汽車が出来、人力車があり、馬車があり、又近頃は大川筋へ川蒸気が出来て何もかも至極便利でありますが、前には左様なものがありませんから、急ぐ時は陸《おか》では駕籠《かご》に乗り川では船に乗ることでありましたが、お安くないから大抵の者は皆歩きました。只意気な人は多く船で往来致しましたから、舟が盛んに行われました。扨《さて》友之助は乗りつけの船宿から乗っては人に知られると思うから、知らない船宿から船に乗って来て桐屋河岸に着けて船首《みよし》の方を明けて、今に来るかと思って煙草を呑みながら時々亀の子のように首を出して待ちあぐんでいると、お村は固《もと》より死ぬ覚悟でございますから、鳥渡《ちょっと》お参りの姿《なり》で桐屋河岸へ来て、船があるかと覗《のぞ》いて見ると、一艘《いっそう》繋《つな》いであって、船首の方が明いていて、友之助が手招ぎをするから、お村はヤレ嬉しと桟橋《さんばし》から船首の方へズーッと這入《はい》ると、直《すぐ》に船頭さん上流《うわて》へ遣っておくれと云うので河岸を突いて船がズーッと右舷《おもかじ》を取って中流へ出ます。そうするとお村は何《なんに》も言わずに友之助の膝《ひざ》に取付き、声を揚げて泣きますから、友之助は一向何事とも分らぬから、兎も角も早く様子が聞きたいと云うので、向島《むこうじま》の牛屋《うしや》の雁木《がんぎ》から上り、船を帰して、是から二人で其の頃|流行《はや》りました武藏屋《むさしや》と云う家《うち》がありました、其の家は麦斗《ばくと》と云って麦飯に蜆汁《しゞみじる》で一|猪口《ちょく》出来ます。其の頃|馴染《なじみ》でございますから人に知れないように一番奥の六畳の小間を借りまして、様子を聞こうと思うと、お村は云う事もあとやさきで只泣く計りでございますから、
友「どうも何《なん》だか唯泣いてばかりいては訳が分らないじゃアないか、冗談じゃない、又お母《っかあ》と喧嘩でもしたのだろう、お前のお母のあの通りの気性は幼《ちいさ》い時分から知ってるじゃアないか、能く考えて御覧、都合の好《い》い時分に何か買って行って、これをおたべ、これをお着と云って菓子の折《おり》か反物《たんもの》の一反も持って行《ゆ》けばニコ/\笑顔《わらいがお》をするけれども、少し鼻薬が廻らなければ、脹面《ふくれッつら》をして寄せ付けねえと云う不人情なお母だから、どうせお前は喰物《くいもの》になるので可愛そうな身の上だが、これも仕様がないが、まアどう云う喧嘩をしたのだか、手紙に死ぬと書いてあったが、死ぬなどゝ云うのは容易な事じゃアないが、一体どう云う訳だえ」
村「此の間話したが、アノーお客の御舎《ごしゃ》さんと云う人が手を廻して、お月姉さんから色々私の方へ云ってくれたが、お月姉さんが其の事を直《じき》にお母に云って仕舞ったから、お母は何《なん》でもお客に取れと云うけれども、私は厭だから厭だと云ったら怖ろしく腹を立って、私の結いたての頭髪《あたま》を無茶苦茶に打《ぶ》って、其の上こんな傷をつけて、お客を取らなければ女郎に売って仕舞うと云うのだが、随分売り兼《かね》ない気性だから、若《も》し勤めに入れば、もう逢える気遣《きづか》いはなし、義理のわるい借金もあり、私もお前さんと一緒にならなければ外《ほか》の芸者|衆《しゅ》にも外聞がわるいから、寧《いっ》そ死んで仕舞おうと覚悟をしたが、一目逢って死にたいと思うばッかりに忙がしいお前さんにお気の毒をかけましたが、今日は能く来ておくんなさいました、私の死ぬのは私の心がらで仕方がないのだが、私の亡《な》い後《のち》にはお前さんは情婦《いろ》も出来ようし、良《い》いお内儀《かみ》さんも持ちましょうけれども、私はどんな事をしたって思いを残す訳じゃアないが、余所《よそ》は仕方がないが、どうか柳橋では浮気をしておくれでない、若し柳橋で浮気をなさると、友さん私は死んでも浮ばれませんよ」
友「詰らない事を云うぜ、お前ほんとうに死なゝけりゃア行立《ゆきた》たないかえ」
村「あゝ私ゃ本当に死のうと思い詰めたから云いますが、こんな事が嘘に云われますか」
友「そうか、そんなら話すが実は己《おれ》も死のうと思っている、という訳は、旦那の金を二百六十両を遣《つか》い込んで、払い月だがまだ下《さが》りませぬ/\と云って、今まで主人を云い瞞《くろ》めたが、もう十二月の末で、大晦日《おおみそか》迄には是非とも二百六十両の金を並べなければ済まねえから、種々《いろ/\》考えたが、此の晦日前では好《い》い工夫もつかず、主人に対して面目ないし、自分の楽《たのし》みをして主人の金を遣い果たして、高恩を無にするような事をして実に済まねえ、どうも仕方がないから死のうと覚悟はしても、死にきれねえと云うのは、お前《めえ》を残して行《ゆ》くのはいやだ、と思って七所借《なゝとこが》りをしても、鉄の草鞋《わらじ》を穿《は》いて歩いても、押詰《おしつま》った晦日前、出来ないのは暮の金だ、おめえ本当に覚悟を極めたら己と一緒に死んでくれないか」
村「えー本当、どうも嬉しいじゃアないか、私も実は一緒に死にたいと思っても、お前さんに云うのが気の毒で遠慮していたが、お前さんと一緒なら私ゃ本当に死花《しにばな》が咲きます、友さん本当に死んで下さるか」
友「静かにしねえ、死ぬ/\と云って人に知れるといけないから、斯《こ》う云う事なら金でも借りて来て総花《そうばな》でもして華々しくして死ぬものを、たんとは無いが有りッたけ遣《や》って仕舞おうじゃないか、お前も遣ってお仕舞い」
村「死ぬには何《なん》にも入らないから笄《かんざし》も半纒《はんてん》も皆《みん》な遣って仕舞います」
友「それでは其の積りで」
村「本当かえ、嬉しいねえ」
と迷《まよい》の道は妙なもので、死ぬのが嬉しくなって、お村は友之助の膝に片手を突いて友之助の顔を見詰めて居りましては又ホロリ/\と泣きます。其の時に廊下でパタ/\と音がするから、人が来たなと思い、それと気を付ける時、襖《ふすま》を明けて女中が見えました。
女「お銚子がお熱くなりました、誠に大層お静かでございます…お酌を致しましょう」
友「はい願いましょう、毎度御厄介を掛け、世話をやかしてお気の毒さま、もう私もこれぎり来られまい、遠方へ行《ゆ》きますから、姉さんの顔も是が見納めでしょう」
女「まア厭でございますねえ、そんな事を仰しゃると心細うございますよ、此の間も久しいお馴染になったお客様がお役で御遠方へお出《いで》になるゆえ、お送り申して胸が一ぱいになりました、いけませんねえ、お村姉さんは度々《たび/\》お客様をお連れ下すって、柳橋にはお村さんより外《ほか》に好《よ》い芸者|衆《しゅ》は無いと宅《うち》のお内儀《かみさん》も云って居りました、お村さんいけませんねえ」
村「私も一緒に行《ゆ》くような事になりました」
女「羨《うらや》ましい事ねえ、結句どんな所でも思う人と行っていれば辛いと思うものでございませんよ」
友「これはほんの心ばかりだが、どうぞ親方とお内儀に上げて下さい、これは女中|衆《しゅ》八人へ、これは男|衆《しゅ》へ、たしか出前持とも六人でしたねえ」
女「毎度どうも、御心配なすってはいけません、誠に恐入《おそれい》りますねえ、只今親方もお内儀もお礼に出ますからお村さん宜しく」
友「此の羽織はいらない羽織で、だいなしになって居りますが、毎度板前さんにねえ我儘《わがまゝ》を云いますから、何卒《どうか》上げて下さい」
女「誠にどうも有難うございます」
友「此の烟草入《たばこいれ》はくだらないが毎《いつ》も頼む使《つかい》の方に」
村「此の羽織はいけないのですがあのお金どんに、此の笄は詰らないのですがお前さんに上げるから私の形見と思って指《さ》して下さい」
女「形見だなんぞと仰しゃると心細うございますねえ、本当に嘘でしょう、本当、まアどうも恟《びっく》りしますねえ、珊瑚樹《さんごじゅ》の薄色《うすいろ》で結構でございますねえ、私などはとても指す事は出来ませんねえ、これを頭へ指そうと思うと頭を見て笄が駈出してしまいますよ、笄には足がありますから、おやこれも、恐れ入りますねえ、少し横におなりなさいまし」
と屏風《びょうぶ》を立廻《たてまわ》し、枕元に烟草盆を置いて、床を取って、
女「お休みなさいまし」
と云って襖を締めて行《ゆ》きましたが、二人は今夜死のうというのですから寝ても寝られません。種々《いろ/\》に思返《おもいかえ》して見たが、死神に取付かれたと見えまして、思い止ることが出来ません。其の内に夜《よ》も段々更けて世間が寂《しん》として来ましたから、時刻はよしと二人はそっと出まして、牛屋の雁木へ参りますと、暮の事でございますから吾妻橋の橋の上には提灯《ちょうちん》がチラリ/\見えます。
村「友さん」
友「えゝ」
村「まだ吾妻橋を提灯が通るよ」
友「余程《よっぽど》更けた積りだが、そうでもなかったか」
村「これから二人で行《ゆ》くのだが、私も今日昼過から家《うち》を出たから屹度《きっと》お母《っかあ》が捜しているに違いない、若《も》し人目に懸って引戻されるともう逢う事は出来ないから、迂濶《うっかり》とは行かれないから、此の牛屋の雁木からでいゝから飛込んでおくれな」
友「此処《こゝ》はねえ浪除杭《なみよけぐい》が打ってあって、杭の内は浅いから外へ飛込まなければならんが飛べるかえ」
村「飛べますよ、一生懸命に飛込みますから」
友「浪除杭の外は極《ごく》深い所だ」
村「じゃア、さア此処から飛込みましょう、お前さん一生懸命に私の腰をトーンと突いて下さいよ」
友「さア」
村「さア是で別れ/\にならないように帯の所へ縛り付けて下さい」
と緋《ひ》の絹縮《きぬちゞみ》の扱帯《しごき》を渡すから帯に巻付けまして、互に顔と顔を見合せると胸が一杯になり、
友「あゝ去年の二月参会の崩れから始めて逢ってお前と斯《こ》う云う訳になろうとは思わなかったなア」
村「私のようなものと死ぬのは外聞がわるかろうけれども、友さん定《さだま》る約束と諦めて、どうぞ死んで彼世《あのよ》とかへ行っても、どうぞ見捨てないで女房《にょうぼ》と思っておくんなさいよ」
友「あいよ/\主人の金を遣《つか》い果たして死ぬのは、十一の時から育てられた旦那様に済まねえけれど、どうか御勘弁なすって下さい、己もお前も親はなし、親族《みより》も少い体で斯うなるのは全く宿世《すぐせ》の約束だなア」
村「あい、さア、友さん早く私を突飛《つきとば》しておくんなさい」
と二人共に掌《て》を合せて南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》/\と唱えながら、友之助がトーンと力に任せてお村の腰を突飛すと、お村はもんどりを打って浪除杭の外へドボーンと飛込んだから、続
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