いて友之助も飛びましたが、お村を突飛ばして力が抜けましたか、浪除杭の内へ飛込んだから死ねません、丁度深さは腰切《こしっきり》しかありませんから、横になって水をがば/\飲みましたが、苦しいから杭に縋《すが》って這上《はいあが》りますと、扱帯は解けて杭に纒《から》み、どう云う機《はず》みかお村の死骸が見えませんで、扱帯のみ残ったから、
 友「おいお村/\、おいお村もう死骸が見えなくなったか、勘忍してくんな、己だけ死におくれたが、迚《とて》も此処じゃア死《しね》ねえから吾妻橋から飛込むから、今は退潮《ひきしお》か上汐《あげしお》か知らないが、潮に逆らっても吾妻橋まで来て待ってくんな、勘忍してくんな、死におくれたから」
 と愚痴を云いながら漸《ようや》く堤《どて》を上《のぼ》りましたが、頭髪《あたま》は素《もと》より散《さん》ばらになって居り、月代《さかやき》を摺《す》りこわしたなりでひょろ/\しながら吾妻橋まで来たが、昼ならどのくらい人が驚くか知れません。其の時まだチラ/\提灯が見えて人通りがあるから、人目に懸ってはならんと云うので吾妻橋を渡り切ると、海老屋《えびや》という船宿があります。其処《そこ》へ来てトン/\/\/\、
 友[#「友」は底本では「村」と誤記]「親方々々私だ明けておくんなさい/\、親方私だよ」
 親方「何方《どなた》です」
 友「私だよ」
 親「何方です」
 友「芝口《しばぐち》の紀伊國屋《きのくにや》の友之助ですよ」
 親「友さんお上りなさい、誠にお珍しゅうございます、おやどうなすった」
 友「もうねえ、余所《よそ》のねえ、知らない船宿から乗って上ろうとして船を退《ずら》かしたものだから川の中へ陥《おっ》こって、ビショ濡れで漸《ようや》く此の桟橋から上りました」
 親「まア怪《け》しからねえ奴だねえ、無闇とお客を落すなどゝは苛《ひど》い奴です、嘸《さぞ》お腹が立ちましたろう、何しろ着物を貸して上げましょう、風を引くといけません、何《なん》です紅《あか》い扱帯が垂下《ぶらさが》っていますねえ」
 友「船頭がこんな物を垂下げやがって、仕様のねえ奴です…親方、何《なん》でも宜しゅうございますが気の付くように飲まない口だが一杯出してお呉《く》んなさい」
 親「宜しゅうございます、おい己の※[#「※」は「「褞」で「ころもへん」のかわりに「いとへん」をあてる」、82−12]袍《どてら》を持って来な」
 と着物を着替《きか》え、友之助は二階の小間《こま》に入って、今に死のう、人が途断《とぎ》れたら出ようと思って考えているから酒も喉《のど》へ通らず、只お村は流れたかと考えて居りますと、広間の方で今上って来たか、前からいたのかそれは知りませんが、がや/\と人声がするから、能く聞いてみると、どうもお村の声のようだから、はてなと抜足《ぬきあし》をして廊下伝いに来て襖に耳を寄せると、中にはかん/\燈火《あかり》が点《つ》きまして大勢人が居ります。
 文治「姉さん、お前能く考えて御覧なさい、お前さんは義理を立って又飛込《とびこも》うと云うのは誠に心得違いと云うものだ、と云うはお前さんの寿命が尽きないので、私共の船の船首《みよしはな》へ突当《つきあた》って引揚げたのは全く命数の尽きざる所、其の友さんとかは寿命が尽きたから流れて仕舞ったのだに、それをお前さんが義理を立って又|飛込《とびこも》うと云うのは誠に心得違いだ、それよりは友さんも親族《みより》のない人なら其の人の為には香花《こうはな》でも手向《たむ》けた方が宜しい、またお母《っか》さんもお前さんを女郎に売るとか旦那を取れとか、お前さんの厭な事をしろと云う訳はないから、それは私がどうか話を付けて上げよう、左様ではございませんか」
 田舎客「左様でがんすとも死のうと云うは甚《はなは》だ心得違い、若い身そらと云うは差迫りますと川などへ飛込んでおっ死《ち》んで仕舞うが、そんな駄目な事はがんせん、能く心を落付けてお頼み申すが宜《え》い」
 森松「本当です、お前は芸者じゃアないか、お前は芸者だから先が惚れたんだ、いゝかえ、己《うぬ》が勝手に主人の金を遣《つか》やアがって言い訳がないから死ぬのだが、それに附合《つきあ》って死ぬやつがあるものか、死んだ奴は自業自得《じごうじとく》だ、お前は身の上を旦那に頼んで極《きま》りを付けて仕舞って、跡へ残って死んだ人の為に線香の一本も上げねえ、ウンと云って仕舞いねえ、旦那に任せねえ」
 村「はい、有難う存じます、どうぞお母《ふくろ》の方さえ宜《よ》い様にして下されば、折角の御親切でございますから、私の身の上は貴所方《あなたがた》にお任せ申します」
 と云うのが耳に入ると、友之助は怒《おこ》ったの怒らないのじゃアない、借着の※[#「※」は「「褞」で「ころもへん」のかわりに「いとへん」をあてる」、84−5]袍《どてら》の姿《なり》で突然《いきなり》唐紙《からかみ》を明けて座敷へ飛込みまして物をも云わせずお村の髷《たぶさ》を取って二つ三つ打擲致しましたから、一座の者は驚いて、
 森「何《なん》だ/\/\何だ/\何処《どこ》の人だか此処《こゝ》へ入ってはいけません」
 友「はい/\此のお村に誑《ばか》されまして、今晩牛屋の雁木で心中致しました自業自得の斃《くたば》り損《ぞこな》いでございます」
 文「それじゃアお前さんがお村さんと約束をして飛込んだ友之助さんと云う人かえ」
 友「へいそうです…これお村、能く聞け、手前のような不実な奴が世の中にあるか、手前の方で一人で死ぬと云って愚痴を云い、己《おれ》も死のうと云うと一緒なら死花《しにばな》が咲くと云ったじゃないか、己は死後《しにおく》れて死切《しにき》れないから漸《ようや》く堤《どて》へ上って、吾妻橋から飛込もうと思って来た処が、まだ人通りがあって飛こむ事もならねえから、此の海老屋へ来て僣《ひそ》んでいたから手前が助かって来た事を知ったのだ、若《も》し知らずに己が吾妻橋から飛こんで仕舞ったら手前は跡で此の方に身を任せて、線香一本で義理を立《たて》る了簡《りょうけん》だろう、そんな不人情と知らずに多くの金を遣《つか》い果たして実に面目ない」
 文「まア/\待ちなさい、暫《しばら》く待っておくんなさい、どうか待って下さい、腹を立ってはいかない、お村さんはお前さんが死んで仕舞ったと思って義理がわるいから是非死のうと云うのを、私《わし》が種々《いろ/\》と云って止めたからで、決して心が変ったと云う訳ではないから落付いて話が出来ます」
 友「宜しゅうございます、そう云う腹の腐った女でございますなら思いきりますから、女房《にょうぼ》にでも情婦《いろ》にでも貴方《あなた》の御勝手になさい、左程《さほど》執心《しゅうしん》のあるお村なら長熨斗《ながのし》をつけて上げましょう」
 文「私《わし》はお村さんとやらに初めてお目に懸ったので、此の上州前橋の松屋新兵衞さんと云うお方と一緒に、今日|上流《うわて》で一杯飲んで帰る時、船首《みよし》にぶつかった死骸を引揚げて見ると、直《すぐ》に気が付いたから、好《よ》い塩梅《あんばい》だと思って段々様子を聞くと、これ/\だと云って又飛込もうとするから、一旦助けたものを、そんなら死になさいとは云われないから、種々《いろ/\》異見をして死ぬ事を止めたのだが、お前さんが助かって来ればこんな目出たいことはない、元々二人とも夫婦になれば宜《い》いのでしょう、私《わし》が惚れてゞもいると思われちゃア困りますが、家《うち》の一軒も持たせる工夫をして上げましょう、そうしたらお前さんの疑《うたぐ》りも晴れましょう」
 友「へー、それはどうも有がとうございます、此の方《かた》は本所の剣術の先生かえ」
 村「いゝえ何処《どこ》の方か初めての方が、実に親切に介抱をして下すったから、お礼を云うのを彼様《あんな》悪たいをついて済まないじゃないか、謝まっておくんなさい」
 友「誠に私《わたくし》があやまった、誠にどうも相済みません、私《わたくし》は取上《とりのぼ》せていて貴所方《あなたがた》はお村の身請《みうけ》をするお客と存じまして、とんでもない事を申しましたが、どうか御勘弁を願います、貴方は何方《どちら》の方でございます」
 文「私も取紛《とりまぎ》れてお近付きになりませんが、私は浪島文治と云う浪人でございます、不思議な御縁で今晩お目に懸りました、どうか幾久しゅう」
 友「お村と私《わたくし》を本当に媒人《なこうど》になって夫婦にして下さいますか、どうぞ願います、拝みますから」
 文「無闇に拝んでも行けませんが、どうすれば夫婦になれるか、其の様子を伺いたい」
 友「別にむずかしい事はございません、私《わたくし》は主人の金を二百六十両余遣い果たして居りますから、これはどうしても大晦日までに返さんければ主人の前が立ちません、其の外《ほか》にもありますが、先《ま》ず二百六十両なければどうしても生きてはいられない義理になって居りますから此の世で添えないくらいなら死ぬ方がましと覚悟を致しました、お村も義理のわるい借財があって、旦那を取らんければどうしても女郎《じょうろ》に売られるから死んで仕舞うと覚悟を致した処から、終《つい》に心中する事になりました、どうか大晦日までに二百六十両を貴方御才覚下すって、返して下さいまして、其の外に百両程ありますから其の借を返して下さいまして、お村のお母《ふくろ》は慾張った奴でございますから、貰い切《きり》にするには三百両とも申しましょう、それをお母に遣って下さいまして、店の一軒も持たせて下さるように願います」
 文「莫大《ばくだい》に金が入《い》る、それは困ります、中々|私《わし》は無禄《むろく》の浪人で金の生《な》る木を持たんから六七百両の金はない。殊《こと》に押詰《おしつま》った年の暮でしようがないが、金をよしにしてどうか助ける工夫はありませんか」
 友「それがいけない故に死ぬ了簡にもなったのでございますから、若し金が出来なければどうでもこうでも死にまする覚悟でございます」
 文「そんな事とは知りませんから、うっかりお助け申そう夫婦にして上げようと云ったのは過《あやま》りだ、飛んだ事をしましたねえ、併《しか》し一旦助けようと云って、そんなら金が出来ん手を引くから死になさいと云うのも男が立たず、新兵衞さん当惑致しましたねえ」
 新「文治郎様それは御心配なさいますな、松屋新兵衞が附いて居ります、二人には何も縁はねいが、貴方《あんた》には何《なん》でアノ業平橋で侍に切られる処を助かった大恩があるから、お礼をしていと思っても受けないから、何《なん》ぞと思っていた処、好《い》い幸《さいわ》いだから金ずくで貴方の男が立つなら金を千両出しましょう、えー出しやす」
 文「いゝや」
 新「いや出します」
 文「でも」
 新「金は千両|位《ぐらい》出します、足りなければ三千両出しやす」
 文「お前さん方は仕合《しやわ》せだ、此の方がねえ金を出して下さると云うから命の親と思うが宜しい、こんな目出たい事はない」
 友「有難うございます、松屋さまどうぞ決して御損はかけません、稼ぎますればどうかしてお返し申しますから、只今の処一時お助けを願います」
 村「有がたい事、斯《こ》う遣《や》って二人で助かる訳なら笄なども遣って仕舞わなければよかった」
 とこれから松屋新兵衞は山の宿《しゅく》の宿屋へ帰り、お村と友之助は海老屋へ預けまして、翌日紀伊國屋の主人からお村のお母《ふくろ》へ掛合に参りますのが一つの間違いになると云うお話になります。

  六

 文治が友之助を助けた翌日、お村の母親の所へ掛合《かけあい》に参りまして、帰り掛《がけ》に大喧嘩の出来る、一人の相手は神田《かんだ》豊島町《としまちょう》の左官の亥太郎《いたろう》と申す者でございます。其の頃|婀娜《あだ》は深川、勇みは神田と端歌《はうた》の文句にも唄いまして、婀娜は深川と云うのは、其の頃深川は繁昌で芸妓《げいぎ》が沢山居りました。夏向座敷へ出ます姿《
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