なり》は絽《ろ》でも縮緬《ちりめん》でも繻袢《じゅばん》なしの素肌《すはだ》へ着まして、汗でビショ濡《ぬれ》になりますと、直ぐに脱ぎ、一度|切《ぎ》りで後《あと》は着ないのが見えでございましたと申しますが、婀娜な姿《なり》をして白粉気《おしろけ》なしで、潰《つぶ》しの島田に新藁《しんわら》か丈長《たけなが》を掛けて、笄《こうがい》などは昔風の巾八分長さ一尺もあり、狭い路地は頭を横にしなければ通れないくらいで、立派を尽しましたものでございます。又勇みは神田にありまして皆腕力があります、ワン力と云うから犬の力かと存じますとそうではない、腕に力のあるものだそうでございます。腕を突張《つッぱ》り己《おれ》は強いと云う者が、開けない野蛮の世の中には流行《はやり》ましたもので、神田の十二人の勇《いさみ》は皆十二支を其の名前に付けて十二支の刺青《ほりもの》をいたしました。大工の卯太郎《うたろう》が兎《うさぎ》の刺青を刺《ほ》れば牛右衞門《うしえもん》は牛を刺り、寅右衞門《とらえもん》は虎を刺り、皆|紅差《べにざ》しの錦絵《にしきえ》のような刺青を刺り、亥太郎は猪の刺青を刺りましたが、此の亥太郎は十二人の中《うち》でも一番強く、今考えて見れば馬鹿々々しい訳ですが、実に強い男で「これは亥太郎には出来まい」と云うと腹を立《たっ》て、「何でも出来なくって」と云い、人が蛇や虫を出して、「これが食えるか」と云うと「食えなくって」と云って直ぐに食い、「亥太郎幾ら強くってもこれは食えめえ」と云うと「食えなくって」と云いながら小室焼《こむろやき》の茶碗や皿などをぱり/\/\と食って仕舞い、気違いのようです。或《ある》時亥太郎が門跡様《もんぜきさま》の家根《やね》を修復《しゅふく》していると、仲間の者が「亥太郎|何程《なにほど》強くっても此の門跡の家根から転がり堕《おち》ることは出来めえ」と云うと「出来なくって」と云って彼《あ》の家根からコロ/\/\と堕ちたから、友達は減ず口を利いて飛んだ事をしたと思って冷々して見ていると、ひらりっと体《たい》をかわして堕際《おちぎわ》で止ったから助かりましたが危い事でした。門跡様では驚いて、これから屋根へ金網を張りました。あれは鴻《こう》の鳥が巣をくう為かと思いました処が、そうではない亥太郎から初まった事だそうでございます。此の亥太郎が大喧嘩をいたしますのは後のお話にいたしまして、さて文治はお村を助けました翌日、友之助の主人芝口三丁目の紀伊國屋|善右衞門《ぜんえもん》の所へ参り、友之助は柳橋の芸者お村と云うものに馴染み、主人の金を遣《つか》い込み、申訳がないから切羽詰って、牛屋の雁木からお村と心中するところを、計らずも私《わし》が通り掛って助けたが、何処までもお前さんが喧《やか》ましく云えば、水の出花の若い両人《ふたり》、復《ま》た駈出して身を投げるかも計られないから、何《ど》うか私《わし》に面じて勘弁してくれまいか、そうすれば思い合った二人が仲へ私《わし》が入り、媒妁《なこうど》となって夫婦にして末永く添遂《そいと》げさせてやりたいから、と事を分けて話しました処が、紀の善も有難うございます、左様|仰《おっし》ゃって下さるなら遣い込の金子は、当人が見世を出し繁昌の後少々|宛《ずつ》追々に入金すれば宜しい、併《しか》し暖簾《のれん》はやる事は出来ないが、貴方《あなた》が仰しゃるなら此の紀伊國屋の暖簾も上げましょう、代物《しろもの》も貸してやりますが、当人の出入《でいり》は外《ほか》の奉公人に対して出来ませんから止める。と事を分けての話に文治も大《おおい》に悦んで、帰り掛けに柳橋の同朋町《どうぼうちょう》に居るお村の母親お崎|婆《ばゞあ》の所へ参りました。
文「森松、己《おれ》は斯《こ》う云う所へ来たことはないから手前が先へ往《ゆ》け、此処《こゝ》じゃアないか」
森「此処です……御免ない、お村さんの宅《うち》は此方《こっち》かえ」
文「なんだ愚図々々分らんことを云って、丁寧に云えよ」
森「丁寧に云い付けねえから出来ねえ……お村さんの処は此方《こちら》かね」
さき「はい、誰だえ、お入りよ、栄《えい》どんかえ」
森「箱屋と間違えていやアがらア」
と云いながら、栂《つが》の面取格子《めんとりごうし》を開けると、一|間《けん》の叩きに小さい靴脱《くつぬぎ》がありまして、二枚の障子が立っているから、それを開けて文治が入りました。其の姿《なり》は藍微塵《あいみじん》の糸織の着物に黒の羽織、絽色鞘《ろいろざや》に茶柄《ちゃつか》の長脇差を差して、年廿四歳、眼元のクッキリした、眉毛《まゆげ》の濃い、人品|骨柄《こつがら》賤《いや》しからざる人物がズーッと入りましたから、婆《ばゞあ》はお客様でも来たのかと思って驚き、
婆「さア此方《こちら》へ、何《ど》うも穢《きたな》い処へ能く入っしゃいました」
文「御免なさい、始めてお目に懸りました、お前さんがお村さんのお母《っか》さんですか」
さ「はい、お村の母でございますよ、毎度|御贔屓《ごひいき》さまになりまして有難うございます、宅にばかり居りますから、お座敷先は分りませんで、お母《っか》さん斯う云う袂落《たもとおと》しを戴いたの、ヤレ斯う云う指環《ゆびわ》を戴いたのと云いましても、私《わたくし》にはお顔を存じませんから一向お客様の事は存じませんが、彼《あ》の通りの奴で何時《いつ》までも子供のようですから、冗談でもおっしゃる方がありますと駈け出して仕舞う位で、お客様に戴いた物でも持栄《もちばえ》がございません、指環を嵌《は》めてお湯などへ往ってはげるといけないと云うと、はげやアしない真から金《きん》だものなどと申して誠に私《わたくし》も心配致します、オホヽヽヽヽ、貴方様《あなたさま》は番町の殿様で」
文「いや手前は本所業平橋に居《お》る浪島文治郎と申す至って武骨者、以後幾久しくお心安く」
さ「はい、業平橋と云う所は妙見様《みょうけんさま》へ往《ゆ》く時通りましたが、あゝ云う処へお住いなすっては長生《ながいき》をいたしますよ、彼処《あすこ》がお下屋敷《しもやしき》で」
文「いえ/\、私《わし》は屋敷などを持つ身の上ではありません、無禄の浪人です、お母《っか》さん実はお村さんのことに就《つ》いて話があって来ましたが、お村さんは私《わし》の処へ泊めて置きましたが、お知らせ申すのが遅くなりましたから、嘸《さぞ》お案じでございましょうと存じまして」
さ「おや、お村があなたの所に、そんなら案じやしませんが、朝参りに平常《ふだん》の姿《なり》で出ました切《ぎ》り帰りませんから、方々探しても知れませんでしたが、貴方様の所へ往《い》っていると知れゝば着替えでも届けるものを、何時《いつ》までもお置きなすって下さいまし、安心して居りますから」
文「いやそう云う訳ではない、お母さんが聞いたら嘸お腹立でしょうが、実は芝口の紀の善の番頭友之助がお村さんと昨年来深くなり、其の友之助もお村さんゆえ多くの金を遣い果し、お村さんも借財が出来、互いに若い同士で心得違いをやって、実は昨夜牛屋の雁木で心中する所を、計らず私《わし》が助けたから、直ぐにお村さんばかり連れて来ようとも存じましたが、若い者が何か両人《ふたり》でこそ/\話をしているのを、無理に生木《なまき》を裂くのも気の毒だから、昨夜は私《わし》の家《うち》へ両人を泊めて置いて、相談に参った訳です」
さ「あらまア呆れますよ、心中するなんて親不孝な餓鬼ですねえ、まアなんてえ奴でしょう、そうとも存じませんで方々探して居りました、何卒《どうぞ》直ぐにお村を帰して下さい」
文「それは帰すことは帰すが、そこが相談です、それ程までに思い合った二人だから、夫婦にしないと又二人とも駈出して身を投げるかも知れないから、私《わし》が中へ入って二人共末長く夫婦にしてやりたい心得だから、何《ど》うか唯《たっ》た一人のお娘子だが、友之助にやっては下さらんか、私《わし》が媒妁《なこうど》になります、紀の善でも得心して私《わし》が様《よう》な者でもお前さんに任せると云って、見世を出し、代物《しろもの》まで紀の善から送ってくれるから、商売を始めれば当人も出世が出来、お前さんがお村さんをやってくれゝば、事|穏《おだや》かに治《おさま》りますから何《ど》うか遣《や》って下さいな」
さ「いえ/\、飛んでもない事を云う、お気の毒だが遣れません、唯《たっ》た一人の娘です、それを遣っては食うことに困ります」
文「それは遣り切りではない、嫁にやるのだからお前さんは何処までも姑《しゅうと》だによって引取っても宜しいのだが、お前さんも斯う云う処に粋《すい》な商売をしている人だから、矢張り隠居役に芸者屋をして抱えでもして楽にお暮しなさい、其の手当として友之助の方からは一銭も出来ませんが、私の懐から金子五十両出して上げますから、それで抱えでもして気楽にお在《い》でなさる方が宜しかろうと考える、又|毎月《まいげつ》の小遣《こづかい》も多分は上げられないが、友之助に話して月々五両|宛《ずつ》送らせるようにするから何《ど》うか得心して下さい」
さ「お気の毒だが出来ません、能く考えて下さい、何《なん》だとえお前さんなんぞは斯う云う掛合を御存じないのだねえ、お前さんは生若いお方だから、斯う云う中へ入ったことがないから知らないのだろうが、お村はこれから私が楽をする大事の金箱娘《かねばこむすめ》です、それを他所《よそ》へ遣って代りを置けなんて、流行《はや》るか流行らないか知れもしない者に芸を仕込んだり、いゝ着物を着せておかれるものか、それで僅《わず》か五両ばかりの小遣を貰って私が暮されると思いますかえ、お前さんは柳橋の相場を御存じがありませんからサ、朝戸を開ければ会の手拭の五六本も投げ込《こま》れて交際《つきあい》の張る事は知らないのだろう、お前さんじゃア分らないから、分る者をおよこしなさい、お村は直ぐに帰しておくれ」
文「だがお母《っか》さん、五両と極めても当人が店を出して繁昌すれば、十両でも廿両でも多く上げられるようになるのが友之助の仕合せと申すもの、無理に二人の中を裂いて、又駈出して身でも投げると、却《かえ》ってお前さんの心配にもなるから、昨夜《ゆうべ》牛屋の雁木で心中したと思って諦めて下さい」
さ「死んで見れば諦めるかもしれねえが、あのおむらが生きている中《うち》は上げられません、七歳《なゝつ》のときに金を出して貰い、芸を仕込んで今になってポーンと取られて堪《たま》るものかね、出来ません、お帰《けえ》しなすって下さい、いけ太《ぶて》い餓鬼だ、私を棄てゝ心中するなんて、そんな奴なら了簡があります、愚図々々すれば女郎《じょうろ》にでも打《たゝ》き売って金にして埋合《うめあわ》せをするのだ」
文「それじゃア私《わし》の顔に障るからどうか私《わし》に面じて」
さ「出来ませんよ、お前さんなんざア掛合をしらねえ小僧子《こぞっこ》だア、青二才《あおにせい》だ、もっと年を取った者をお遣《よこ》し、何《なん》だ青二才の癖に、何だ私の目から見りゃアお前《めえ》なんざア雛鳥《ひよっこ》だア、卵の殻が尻《けつ》に付いてらア、直ぐに帰《けえ》してくんな、帰《けえ》しようが遅いと了簡があるよ、親に無沙汰で何故娘を一晩でも泊めた、その廉《かど》で勾引《かどわかし》にするからそう思え」
森「旦那黙っておいでなせえ、此の婆《ばゞあ》こん畜生、今聞いていりゃア勾引だ、誰の事を勾引と云やアがるんだ、娘の命を助けて話を付けてやるに勾引たア何《なん》だ」
さ「ぐず/\云わずに黙って引込《ひっこ》んでいろ、兵六玉屁子助《ひょうろくだまへごすけ》め」
森「おや此の畜生屁子助たアなんだ」
文「これさ黙っていろ、それでは何《ど》うあっても聞入れんか」
さ「肯《き》かれなけりゃアどうするのだ」
文「肯かれんければ斯《こ》うする」
と云いながら、婆《ばゞあ》の胸ぐらを取ってギューッと締めましたから、
婆「あ痛《い》た/\
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