に好《すき》な物でも食わせて死んだのなれば、良《い》いがと思って、死んで仕舞ってから気がついても仕方がねえ、私《わっち》が今度泣くと友達が笑って亥太郎は鬼の目に涙だってねえ」
文「嘸々《さぞ/\》御愁傷のことで、お見送りもしなかったのは残念だ、頼母《たのも》しくない」
 亥「今のお嫁入りとえんだり[#「えんだり」に傍点]にしましょう、私《わっち》共は交際《つきえゝ》が広《ひれ》いものだから裏店《うらだな》の葬《ともれ》えでありながら、強飯《こわめし》が八百人|前《めえ》というので」
 文「成程、嘸御立派でございましたろう」
 亥「それで豊島町の八右衞門《はちえもん》さんが一人の親だから立派にしろというので、組合《くみえい》の者が皆《みんな》供に立って、富士講《ふじこう》の先達《さんだつ》だの木魚講《もくぎょこう》だのが出るという騒ぎで、寺を借りて坊主が十二人出るような訳で」
 文「立派なことでございましたなア」
 亥「それも宜《よ》いが、蝋燭だの線香だの香奠《こうでん》だのと云って家《うち》の中《うち》へ一杯《いっぺい》に積んで山のようになりました、金でも持って来れば宜《い》いに、食えもしねえ蝋燭なんぞを持って来て、其の返《けえ》しに茶の角袋《かくぶくろ》でも附けなければならねえ、これが小《こ》千軒あるような訳で」
 文「成程、併《しか》しながら亥太郎さん、一人のお父《とっ》さんのことだから立派になさい」
 亥「へえ…何《なん》だって豊島町の富士講の先達《せんだつ》だの法印が法螺《ほら》の貝を吹くやら坊主が十二人」
 文「成程」
 亥「それも宜《い》いが、蝋燭だの線香だの食えもしねえ物を貰って返《けえ》しをしなければならねえ」
 文「成程、御孝行の仕納めだから立派になすった方が宜しい」
 亥「身に余った葬《ともれ》えで仮寺《かりでら》を五軒ばかりしなければ追付《おっつ》かねえ、酒が三|樽《たる》開いて仕舞う、河岸《かし》や何かから魚を貰って法印が法螺の貝を吹く騒ぎ」
 文「成程」
 亥「それも仕方がねえが山のように線香だの何《なん》だの、質にも置けねえ物を貰って、それも宜《い》いが返《けえ》しに菓子と茶を附けなければならねえ」
 文「成程、立派にしてお上げなさい」
 亥「坊主を十二人頼むというので棺台などを二|間《けん》にして、無垢《むく》も良《い》いのを懸けろというので、富士講に木魚講、法印が法螺の貝を吹く」
 文「成程立派なことで」
 亥「それも宜《い》いけれども食えもしねえ線香や蝋燭などを山のように積んで、菓子や茶の袋を配るのが千軒もある」
 文「成程、亥太郎さん、貴方のことだからお差支《さしつかえ》もあるまいが、余程のお物いりだね」
 亥「へえ、仕様がねえ」
 文「外《ほか》の事とも違うから、御不足はあるまいが御入用なれば文治郎これだけ入ると、打明けて云うて下さるのが友達の信義だから、多分のことは出来まいが、少々ぐらいのことなら御遠慮なくお云いなさい」
 亥「へえ/\……からビッショリ汗をかいて仕舞った……実は金を借りに参ったので」
 文「道理でおかしいと思った、一つ言《こと》ばっかり仰《おっし》ゃるから、お正直です」
 亥「今まで身上《みじょう》が悪いから菓子屋も茶屋も貸さねえ、仕方がねえから旦那の所へ来たが、玄関の所へ来て這入り切れねえ……旦那済みませんが貸して下せい」
 文「道理で……宜しい/\あなたが道楽に遣《つか》うのでない立派なことです、何程《なにほど》御入用……それで済みますか五十金……お母《っか》さまお貸し申しましょうか」
 母「御用達《ごようだて》申しなともさ」
 亥「有難うごぜえやす……私《わっち》は証文を書くにも書けませんが、こういう詰らねえ物を持って居りやすが、百両の抵当《かた》に編笠ということもございやすから、これを預って下せえ」
 と出したのは高麗青皮《こうらいせいひ》に趙雲《ちょううん》の円金物《まるがなもの》、後藤宗乘の作でございます。
 文「立派な胴乱だ」
 亥「胴乱でごぜいますか」
 文「これは高麗国の亀の甲だというが、類《たぐ》い稀なる物……これは名作だ、結構な物、どうしてこれを御所持でございます」
 亥「それはなに、妙な、なに泥ぼっけになっていたのを拾ったのです」
 文「これはお前さんの手に在《あ》っても入《い》るまい」
 亥「入りませんとも」
 文「抵当《かた》も何も入らぬが、これは預って置きましょう」
 文治郎の手にこれが這入るのは蟠龍軒の天運の尽きで、これが友之助の手に這入って、遂に小野庄左衞門の讎《かたき》が分るというお話、鳥渡《ちょっと》一吹《いっぷく》致しまして申し上げます。

  十七

 文治は予《かね》て大伴の道場に斬入《きりい》るは義によっての事でございまして、身を棄て、義を採ります。命を棄てゝも信を全くする其の志がどう云う所から起りましたか、文治郎は何か学問が横へ這入り過ぎた処があるのではないかと或る物識《ものしり》が仰しゃったことがございます、余り人の為の情《なさけ》と云うものが深くなると、人を害することがあります[#欄外に「玉葉集巻十八、雑五、従三位爲子」の校注あり]「心ひく方《かた》ばかりにてなべて世の人に情《なさけ》のある人ぞなき」と云う歌の通り「情《なさけ》を介《さしはさ》んで害を為《な》す」と云う古語がございます。大伴を討って衆人を助け、殊には友之助を欺いて女房を奪い、百両の金も取上げて仕舞い、彼を割下水の溝《どぶ》の中へ打込み、半殺しにしたは実に大逆非道な奴で、捨置かれぬと云う其の癇癖を耐《こら》え/\て六月の晦日《みそか》まで待ちました。昼の程から様子を聞くと、今日は大伴兄弟も他《た》へ用達《ようたし》に行《ゆ》くことなし、晦日のことで用もあるから払方《はらいかた》を済ませ、家《うち》で一杯飲むということを聞きましたから、今宵《こよい》こそ彼を討たんと、昼の中《うち》から徐々《そろ/\》身支度を致します。お町は其の様子を知って居りますから、暮方《くれがた》になると段々胸が塞《ふさが》りまして、はら/\致し、文治郎の側に附いて居りました。四《よ》つを打つと只今の十時でございますから、何所《どこ》でも退《ひ》けます。母にもお酒を飲ませ、安心させるよう寝かし付け、彼是《かれこれ》九つと思う時刻になると、読みかけた本を投げ棄て、風呂敷包みを持出しましたから、お町はあゝ又風呂敷包みが出たかと思うと、包を解《ほど》いて前《ぜん》申し上げた通り南蛮鍛えの鎖帷子、筋金の入《い》ったる鉢巻を致しまして、無地の眼立たぬ単衣《ひとえもの》に献上の帯をしめて、其の上から上締《うわじめ》を固く致して端折《はしおり》を高く取りまして、藤四郎吉光の一刀に兼元の差添《さしぞえ》をさし、國俊《くにとし》の合口《あいくち》を懐に呑み、覗き手拭で面部を深く包みまして、ぴったりと床《とこ》の上へ坐りまして、
 文「お町やこれへお出で」
 町「はい、お呼び遊ばしましたか」
 文「毎夜云う通り今晩は愈々《いよ/\》行《ゆ》かんければならぬことになりました、多分今宵は本意《ほんい》を遂《と》げて立帰る心得、明け方までには帰るから、どうか頼むぞよ、若し帰らぬことがあったらば文治郎亡き者と思い、私《わし》に成り代って一人のお母様《っかさま》へ孝行を頼みますぞよ」
 町「はい、旦那様、私《わたくし》が此方《こちら》へ縁付いて参りましてから、毎夜々々荒々しいお身姿《みなり》でお出向《でむき》になりますが、どうしてのことか、余程深い御遺恨でもありますことか、果し合とやら云うようなお身姿でございますが、お出《で》遊ばすかと思えば又直ぐお早くお帰りのこともあり、誠に私《わたくし》には少しも理由《わけ》が分りません、元より此方《こちら》へ嫁に参りたいと願いました訳でもございませず、どうか便り少い者ゆえ貴方様へ御飯炊奉公《ごぜんたきぼうこう》に参って居りますれば、不調法を致しましても、お情深い旦那様、行《ゆ》き所もない者と無理に出て行《ゆ》けとお暇《いとま》も出まいと思い、旦那様をお力に親の亡い後《のち》には唯《た》だ此方様《こなたさま》ばかりを命の綱と取縋《とりすが》って、御無理を願いましたことで、思い掛けなくお母様が嫁にと御意遊ばして、冥加に余ったことなれど、実は旦那様は嘸《さぞ》お嫌《いや》であろうと存じて居りました処が、御孝心深いあなた様、お母様の云うことをお背き遊ばさずに、親が云うからと不束《ふつゝか》な私《わたくし》を嫁にと仰しゃって下さりまして、私《わたくし》は実に心が切のうございます、何卒《どうぞ》女房と思し召さず御飯炊の奉公人と思召してお置き遊ばして下さるよう願いとう存じます」
 文「それはお前分らぬことを云う、いやならいやと男だから云います、又気に入らぬ女房は持っている訳にはいかぬもの、一旦婚姻を致したからには決して飯炊奉公人とは思いません、文治郎|何処《どこ》までも女房と心得ればこそ母の身の上を頼むではないか、何《な》ぜ左様なことを云う」
 町「ひょっと旦那様は他《ほか》にお母様に御内々《ごない/\》でお約束遊ばした御婦人でもございまして、お母様の前をお出《で》遊ばすにお間《ま》が悪いから、私《わたくし》のようなものでも嫁と定《き》めれば、まさか打明けて斯《こ》うだとお話も出来ないから、其の御婦人の方《かた》へお逢い遊ばしに夜分お出向《でむき》になる事ではないかと、私《わたくし》は悋気《りんき》ではございませんけれども、貴方のお身をお案じ申しますから、思い違えを致すこともございます、何卒《どうぞ》そう云う事でございますならばお母様に知れませぬように、どのようにも私《わたくし》が執《と》り繕いますから、其の女中をお部屋までお呼び遊ばすようになすって下されば、お母様に知れないよう計《はから》います、実は斯うと打明けて御意《ぎょい》遊ばして下さる方が却《かえ》って私《わたくし》は有難いと存じます」
 文「つまらぬことを云うね、妾や手掛の所へ行《ゆ》くに鎖帷子を着て行《ゆ》く者はありません、併《しか》しお前が来てから盃をしたばかりで一度も添寝《そいね》をせぬから、それで嫌うのだと思いなさるだろうが、なか/\左様な女狂いなどをして家を明けるような人間ではございません、言うに云われぬ深い理由《わけ》があって、どうも棄て置かれぬ、お前が左様に疑《うた》ぐるから話すが、私は義に依《よ》って夜《よ》な/\忍び込んで、若し其の悪人を討てば、幾千人の人助けになる、天下のお為になる事もあろう、それ故に母に心配を掛けないよう隠して斯うやって参る、文治郎元より一命を抛《なげう》っても人の為だ、私《わし》がお前と一度でも添臥《そいぶし》すればお前はもう他《た》へ縁付くことは出来ぬ、十七八の若い者、生先《おいさき》永き身の上で後家を立てるようなことがあっては如何《いか》にも気の毒、私《わし》が死んでお母様がお前に養子なさると云えば、一旦文治郎の女房になったと他人《ひと》は思おうとも、お前の身に私《わし》と添臥《そえぶし》をせぬと云う心に力があるから、どのような養子も出来る、添寝をせぬのは実は文治郎がお前を思う故に、情《なさけ》の心からだ、又首尾|能《よ》く為終《しおお》した上では、縁あって来た者故添い遂げらるゝこともあろうかと考える、何事も右京太夫の家来の藤原と相談してお母様を頼む、何卒《どうぞ》情《つれ》ない男と思いなさるな、天下のため命を棄てるかも知れぬから」
 町「はい能く打明けて仰しゃって下すった」
 と袖《そで》を噛んだなりで泣き倒れましたが、暫くあって漸々《よう/\》顔を上げまして、
 町「旦那様、そう云うことなら決してお止め申しませんが、何卒《どうぞ》私《わたくし》の申しますこともお聞き遊ばして下さいまし」
 文「何《なん》でも聞きます、どう云うこと」
 町「はい、私《わたくし》が此方《こちら》へ参りましてから、貴方はお癇癖が起って居《お》る御様子、寛々《ゆる/\》お話も出来ませんが
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