中「直ぐお暇《いとま》致します」
 藤「先ず/\宜しゅうございます」
 中「役目でござるから、家老に此の事を申さなければならぬ」
 と云って中原岡右衞門は屋敷へ帰ります。文治郎も悦びまして、母からはこれは先代|浪島文吾左衞門《なみしまぶんござえもん》が差された大小でござる、これは中原岡右衞門という人の手前もあるから遣《や》ったら宜かろうという。又文治郎の方でも持合《もちあわ》せた金がこれだけあるからやる。衣服《きもの》をお母《っか》さまの古いのをおかやにやるが宜《よ》かろうと衣類を沢山に長持に詰めてやりまして、藤原喜代之助は廿八日に松岡右京太夫の屋敷へ帰りました。文治郎は藤原が屋敷へ帰れば、我《われ》が斬死《きりじに》をして母一人になっても母の身の上は安心。大伴の家へ人を廻して様子を聞くに、今夜は兄弟酒を酌《の》んで楽しむ様子だから、今夜こそ斬入《きりい》って血の雨を降らせ、衆人の難儀を断とうという、文治郎|斬込《きりこみ》のお話に相成ります。

  十六

 大伴蟠龍軒の家に連なる者、或《あるい》は朋輩《ほうばい》などは目の寄る処へ玉と云って悪い奴ばかり寄ります。其の中に阿部忠五郎という奴は、見掛けは弱々しい奴で、腹の中は良くない奴で、大伴に諛《へつら》いまして金でも貰おうという事ばかり考えて居ります。丁度七つ下《さが》りになりまして大伴の処へ参りますと、幸い蟠作も居りません、蟠龍軒独りで小野庄左衞門を殺して取った刀へ打粉《うちこ》を振って楽しんで居ります。
 蟠「誰《たれ》だえ」
 忠「阿部でございます、只今お玄関へ参った処が誰《たれ》も居りません、中の口へ参っても御門弟も居りませんから通りました、何《なん》です、お磨きですか」
 蟠「さア此方《こっち》へ来な、誰《たれ》も居らぬが、これは先達《さきだっ》てお茶の水で小野を殺害《せつがい》致して計らず手に入《い》った脇差だが、彦四郎貞宗だ、極《ご》く性《しょう》が宜しい」
 忠「はア、彼《あ》の時の……又先達ては多分の頂戴物《ちょうだいもの》をいたしまして有難うございます」
 蟠「縁頭《ふちかしら》は赤銅七子《しゃくどうなゝこ》に金で千鳥が三羽出ている、目貫《めぬき》にも千鳥が三羽出ている、後藤宗乘《ごとうそうじょう》の作だ」
 忠「大した物ですなア」
 蟠「柄糸《つかいと》も悪くもない、鍔《つば》は金家《かねいえ》だ」
 忠「あの伏見の金家、結構でございますな」
 蟠「鞘は蝋色《ろいろ》で別に見る処もないが、小柄《こづか》はない、貧乏して小柄を売ったと見える」
 忠「思い掛けない物がお手に這入るもので」
 蟠「久しく来ないからどうしたかと思った」
 忠「時に先生、申し兼《かね》ましたが、市ヶ谷の親類の者に子供が両人あって、亭主が暫らく煩《わずろ》うて、別に便《たよ》る者もない、義理ある親類で嘆いて参って、助けてくれぬかと、拠《よんどころ》なく金子を貸してやらなければなりません、手前も貧乏でございますから貸すどころではございません、誠に申上げ兼ますが、先生五十金拝借を願います」
 蟠「フーン、つい此の間廿金やった上に、又三十金というのでお前の云う通り五十両からやってある」
 忠「それは存じて居ります、再度お手数《てかず》を掛けて、こんなことを申し上げるのではございません、拠《よんどころ》ない訳で一時《いちじ》のことで、九月……遅くも十月までには御返金致します、これは別に御返済致します」
 蟠「フン/\、今手許に金がない、お前にも穗庵にもやってある」
 忠「お貸し下さらぬか」
 蟠「はい」
 忠「宜しゅうございます、無理に拝借致そうという訳ではございませんが、先生拝借を願います、足元を見て申上げるように思召《おぼしめ》すか知りませんが、左様な訳ではありません、此の度《たび》は困るからでございますが、手前共のような者でお役には立ちますまいが、手前にこうしてくれぬかという時は先生に御懇命を蒙《こうむ》って居りますから嫌《いや》とは申しません、はいと申します、事露顕致せば命にも係わることでもいやとは申しません、義理というものは仕方がございません、手前も義理だから先方に貸してやらなければならぬ、出来なければ仕方はございませんが、彼《あ》の時命懸けの事をして、其の上ならず貞宗の刀がお手に入《い》れば二百金ぐらいのものがあります、お金が出来なければ其の刀を拝借して質に入れましょう」
 蟠「無礼な事を云ってはならぬ、人の腰の物を借りて質に置くというのは無礼至極だろう」
 忠「そうですか、貴方の刀ではございますまい、小野庄左衞門の」
 蟠「これ/\大きな声をしてはならぬ」
 忠「お貸し下さらんければ宜しゅうございます、一旦金などを貸して下さいと云って貸して下さらぬというと来悪《きにく》くなりますから、御無沙汰になります、手前も一杯飲みますから、うっかり飲んで、口が多うございますから、打敲《ぶちたゝ》きをされゝばお茶の水の事や何か喋《しゃべ》れば貴方の御迷惑になろうと思います」
 蟠「フン、だが此の刀を持って質に入れられては困る、他から預って居《お》る金を融通しよう、いろ/\それに付いて貴公に頼む事がある、貴公も私の悪事に左袒《さたん》して、それを喋って意趣返しをしようということもあるまい、お互いに綺麗な身体にはならないから、もう一と稼ぎしようじゃないか」
 忠「どういうことでございます」
 蟠「家《うち》じゃア話が出来ないから、今に舎弟が帰るから亀井戸の巴屋《ともえや》で一杯やって吉原へ行《ゆ》こう」
 忠「取り急ぎますから金子を拝借します」
 蟠「押上《おしあげ》の金座の役人に元手前が剣術を教えたことがある、其処《そこ》へ行《ゆ》けばどうにかなるから一緒に行《ゆ》こう」
 忠「金さえ出来れば参りましょう」
 とこれから巴屋へ往って酒を飲みます。元より好きだから忠五郎どっさり飲みました。
 忠「もう酔いまして、帰りましょう、金子を拝借したい」
 蟠「これは五十金、私《わし》が金座役人の所へ往って此の金は明日《あした》までに届けなければならぬ金だが、吉原へ行《ゆ》けば才覚が出来る、池田金太夫《いけだきんだゆう》という人を知っているだろう」
 忠「河内守《かわちのかみ》の公用人の」
 蟠「そうよ、内証《ないしょう》で遊びに往っている金太夫に遇うまで貴公は他《た》へ往って、赤い切れを掛けた女を抱いて寝て居《お》れば百金は才覚する」
 忠「久しく遊びに参りませんよ、妻《さい》が歿して二年越し独身で居ります……参りたいな、金子を戴いて待っている間、赤い切れと寝ているなどは有難い」
 蟠「金を早く持って帰らんでは市ヶ谷の親類の方はどうする」
 忠「金を持って行《ゆ》けば明日《あした》でも宜しゅうございます」
 蟠「現金な男だ、駕籠というのも何《なん》だからぶら/\歩こう」
 と貸提灯《かしぢょうちん》を提げて雪駄穿きで、チャラリ/\と又兵衛橋《またべえばし》を渡って押上橋《おしあげばし》の処へ来ると、入樋《いりひ》の処へ一杯水が這入って居ります。向うの所は請地《うけじ》の田甫《たんぼ》でチラリ/\と農家の燈火《あかり》が見えます、真の闇夜《やみ》。
 蟠「阿部」
 忠「へえ」
 蟠「便をしたいが、少し向うから人が来るようだから」
 忠「宜しゅうございます、私《わたくし》も出たいからお附合《つきあい》をしたい」
 蟠「左様《そう》か、そんなら私《わし》が提灯を持ってやろう」
 と元より貸提灯でございますから、
 蟠「ア、燈火《あか》りが消えるようだ」
 忠「消えましたか、困りましたな、一本道だから宜しいが燈火がなくては困りますな」
 蟠「うっかりしていた、困ったなア、何処《どこ》かへ往って借りよう、通り道に家《うち》があるだろう、構わず便《べん》をしなよ」
 忠「左様《そう》でございますか、宜しゅうございます」
 とうっかり向うを向いて便を達《た》そうとする処をシュウと抜討ちに胴腹《どうばら》を掛けて斬り、又|咽元《のどもと》を斬りましたから首が半分落るばかりになったのを、足下《そっか》に掛けてドブーンと溜り水の中に落して仕舞いました。懐中から小菊《こきく》を取出して鮮血《のり》を拭い、鞘に納め、折《おり》や提灯を投げて、エーイと鞍馬《くらま》の謡《うた》いをうたいながら悠々《ゆう/\》と割下水へ帰った。其の翌日文治郎が様子を見て大伴の道場へ斬込もうと致しますと、只今なれば丁度午後二時半頃、文治郎の宅の玄関の前を往ったり来たりして居《お》るのは左官の亥太郎。
 森「どうしたえ」
 亥「森松か大《おお》御無沙汰をした」
 森「旦那がどうしたって心配《しんぺい》をしていらア、家《うち》を間違《まちげ》えたのか、往ったり来たりしている、どうも豊島町の棟梁のようだが、どうしたのかと思っていた」
 亥「家《うち》を間違《まちげ》えるような訳で、大御無沙汰」
 森「己《おら》の家《うち》に嫁が来た、良《い》い女だよ」
 亥「冗談じゃアねえ知らしてくれゝば嗅《くせ》え鰹節《かつぶし》の一本か酢《すっ》ぺい酒の一杯《いっぺい》でも持って、旦那お芽出度《めでと》うござえやすと云って来たものを」
 森「未《ま》だ本当の祝儀をしねえから何処《どこ》へも知らせねえのだ、大丈夫だ、心配《しんぺい》しなくもよろしい、祝いものは何処からも来やしねえ、表向《おもてむき》に婚礼をすりゃアお前《めえ》の所へも知らせらア」
 亥「旦那に云ってくんねえ、これは詰らねえ物だがって上げてくんねえ」
 森「旦那、亥太郎が来ました」
 文「そうか、此方《こっち》へお通し申せ……お母《っか》さま、亥太郎が参りました」
 母「そうかえ、まア/\此方《こちら》へ」
 亥「御無沙汰致しまして、お変りもございませんで」
 母「お前さんも達者で、つい此の間も噂をして居りました、さア此方《こっち》へ」
 文「亥太郎さん、文治郎は大きに御無沙汰をした、少し取込んだことがあって」
 亥「今、森に聞けばお嫁さんが来たって、知らねえものだから、知らせておくんなされば詰らねえ祝物《いわいもの》でも持って来なければならねえ身の上で、お祝いにも来ねえで、何《な》ぜ知らせて下さらねえ」
 文「いや/\未だ内輪だけのことで」
 母「只今文治の云う通り内輪だけのことで、改まって婚礼をするときは貴君方《あなたがた》にも知らせる積りでございます」
 亥「だって私《わっち》は内輪でございやす、なアにこれは詰らねえものでございやす、お嫁さんにお目に懸りてい」
 母「町や……年が行《ゆ》きませんから」
 亥「へえ、こりゃアどうも/\そんなに長くお辞儀をなすっちゃアいけねえ、私《わっち》どもは二つずつお辞儀をしなければならねえ、こんな良《い》いお嫁さんはございませんねえ、お姫様のようだ、私《わっち》はぞんぜえ者でございやす、幾久しく願いやす」
 文「御尊父様は御壮健でございますか」
 亥「へえ何《なん》でごぜえやすか」
 文「御尊父様は御壮健でございますか」
 亥「私《わっち》の近所の医者でごぜえやすか」
 文「いえ貴君《あなた》の親御《おやご》さまは」
 亥「私《わっち》の親父《おやじ》ですか、些《ちっ》とも知らねえ……お芽出たい処へ来て、こんな事を云っては何《なん》ですが、親父は此の二月お芽出度《めでたく》なりました」
 文「おや、さっぱり存ぜんで、お悔みにも参りません、何《な》ぜ知らせて下さらぬ」
 亥「私《わっち》共のような半纒着《はんてんぎ》の処へお前《めえ》さんが黒い羽織で来ちゃア気が詰って困るからお知らせ申さねえ」
 文「やれ/\御愁傷さま」
 母「お前さまのような薩張《さっぱ》りした御気性だから口へはお出しなさらないが、腹の中《うち》では嘸《さぞ》御愁傷でございましょう」
 亥「此方《こっち》の旦那のように親孝行をして死んだのでございません、餓鬼の中《うち》から喧嘩早《けんかっぱや》くって私《わっち》故に心配して、あんな病身になって死にました、達者な中《うち》
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