、貴方にお恵みを受けました親父《ちゝ》庄左衞門は桜の馬場で何者とも知れず斬殺《きりころ》されましたことは御存じございますまい」
 文「えー……それは知らねど……どうも思い掛けない、何時《いつ》のことで……フーン後月《あとげつ》二十七日の夜《よ》に桜の馬場に於《おい》て何者に」
 町「はい、何者とも知れません、お検死の仰しゃるには余程|手者《てしゃ》が斬ったのであろうと、それに親父《ちゝ》がたしなみの脇差を佩《さ》して出ましたが、其の脇差は貞宗でございますから、それを盗取《ぬすみと》りました者を探《たず》ねましたら讐《かたき》の様子も分ろうかと存じますが、仮令《たとえ》讐が知れましてもかぼそい私《わたくし》が親の讐を討つことは出来ませんから、旦那様へ御奉公に上って居りましたら、讐の知れた時はお助太刀も願われようかと存じ、御飯炊の御奉公に願いましたことでございます、貴方のお身の上に若しもの事がありますれば、親の讐を討ちます望《のぞみ》も遂げられまいかと存じます……そればっかりが残念でございます」
 文「フーン、能く親の讐を討ちたいと云った、流石《さすが》は武士の娘だ、あゝそれでこそ文治郎の女房だ、宜しい、私《わし》が附いていて、探《さが》し当て屹度《きっと》討たせます、仮令《たとえ》今晩|為終《しおお》せて来ようとも、窃《ひそ》かに立帰ってお前の親の讐を討ったる上で名告《なの》って出ても宜《い》い……併《しか》し直ぐと手掛りもなかろう、彦四郎の刀を取られたのを手掛りとしても、それさえ他《た》に類のあるものでもあり、脇差の拵《こしら》えや何かも女のことだから知るまい」
 町「いゝえ、親父《おやじ》が自慢に人様が来ると常々見せましたが、縁頭《ふちがしら》は赤銅七子《しゃくどうなゝこ》に金の三羽千鳥が附きまして、目貫《めぬき》も金の三羽千鳥、これは後藤宗乘の作で出来の好《よ》いのだそうで、鰐《さめ》はチャンパン、柄糸《つかいと》は濃茶《こいちゃ》でございます、鍔《つば》は伏見の金家《かねいえ》の作で山水に釣《つり》をして居《お》る人物が出て居ります、鞘は蝋色《ろいろ》でございまして、小柄《こづか》は浪人中困りまして払いましたが、中身は彦四郎貞宗でございます」
 文「能く覚えて居《お》る、それが手掛りになりますから心配せぬが宜しい、屹度《きっと》敵《かたき》を討たせましょうが……今夜はどうしても私《わし》は行《ゆ》かなければならぬ、お母様に何卒《どうぞ》知れぬようにして下さい、決して心配するな、直《じ》き往って来るから」
 町「はい、お止め申しませぬ……御機嫌宜しゅうお帰り遊ばして」
 と縁側まで送り出し、御機嫌宜しゅうと袖に縋《すが》って文治郎の顔を見上げる。文治郎は情深い者でございますから、あゝ可愛そうに、己は帰れるやら帰れぬやら知れぬに、気の毒なことゝ思うが、仕方がないから袖を払って三尺の開きをあけて、庭から出まして、これから北割下水へ掛って来ますると、夜《よ》は森々《しん/\》と致して鼻を抓《つま》まれるのも知れません。大伴蟠龍軒の門前まで来ると、締りは厳重で中へ這入る事は出来ません、文治郎は細竹を以《もっ》てズーッと突きさえすれば、ヒラリと高い屋根へ飛上《とびあが》る妙術のある人でございますから、何《なん》ぞ竹はないかと四辺《あたり》を見ると、蚊を取ります袋の付きました竹の棒がある「本所に蚊が無くなれば師走《しわす》かな」と云う川柳の通り、長柄《ながえ》に袋を付けて蚊を取りますが、仲間衆《ちゅうげんしゅう》が忘れでもしたか、そこに置いてありましたから、其の袋を取ってぱっと投げますると、風が這入って袋の拈《より》が戻ったから、中からブウンと蚊が飛び出しました。文治郎は情深い人で、蚊まで助けましたから、今でもブウン/\と云って忘れずに文治郎の名を呼んで飛んで居ります。竹を突いて身軽に門番の家根へ飛上り、又竹を突いてさっと身軽に庭へ下りて、音のせぬように潜み、勝手を知った庭続き、檜《ひのき》の植込《うえご》みの所から伝わって随竜垣《ずいりゅうがき》の脇に身を潜めて様子を窺《うかゞ》うと、長《なが》四畳で、次は一寸《ちょっと》広間のようの所がありまして、此方《こちら》に道場が一杯に見えます。酒を飲んでグダ/\に酔って弟の蟠作が、和田原安兵衞と云う内弟子と二人で話をして居りますが、話をする了簡だけれども、食《くら》い酔って舌が廻りませんから些《ちっ》とも分りません、酒の相手は仕倦《しあ》きて妾のお村が浴衣《ゆかた》の姿《なり》で片手に団扇《うちわ》を持って庭の飛石《とびいし》へ縁台を置き、お母《ふくろ》と二人で涼んで居ります。
 崎「さアお休みなさいよう、お村が早く寝たいと云いますよう……御舎弟様大概に遊ばせよう、お村が怒《おこ》って居りますよ」
 村「若旦那お休みなさいよう」
 蟠「そんなことを云って、まア鬼のいない中《うち》の洗濯じゃアないか……なア安兵衞、兄貴は分らぬてえものだ、此の[#「此の」は底本では「此《この》の」と「の」が重複]どうも脇差を弟に内証《ないしょう》で時々ズーッと鞘を払い、打粉を振って磨き、又納め、袋へ入れて楽しんでいるからひどい、今日は留守だから引摺り出したが、私《わし》に見せぬで隠して居《お》るのはひどい」
 安「何時《いつ》の間にお手に入れたか、これは大先生《おおせんせい》より貴方のお持ち遊ばした方が宜しい」
 蟠「兄貴は分らぬ、隠して置くはどうも訝《おか》しい、それに何《な》ぜ此の位の良い脇差に…小柄がないね」
 安「これは何《いず》れ取りあわせて拵《こしら》えるのでしょう」
 村「早くお休みなさいよ、お願いでございますよ、お母《ふくろ》も眠がって居りますから旦那」
 と云うのが庭へ響きます女の声、はア此処《こゝ》にいるのはお村|母子《おやこ》だが、此奴《こいつ》を逃してはならぬと藤四郎吉光の鞘を払って物をも云わずつか/\と来て、誰《たれ》かと眼を着けるとお村ですから「友之助ならば斯《かく》の如く」とポーンと足を斬りました。
 村「あゝ人殺し」
 と言いながら前へ倒れる。其の刀でえいと斬るとバラリッとお母《ふくろ》の首が落ちました。随竜垣に手を掛けて土庇《どびさし》の上へ飛上って、文治郎|鍔元《つばもと》へ垂れる血《のり》を振《ふる》いながら下をこう見ると、腕が良いのに切物《きれもの》が良いから、すぱり、きゃっと云うばかりで何《なん》の事か奥では酒を飲んでいて分りません。
 蟠「何《なん》だ/\」
 村「人殺し/\」
 安「それは飛んだこと」
 とひょろ/\よろけながら和田原安兵衞が来て、
 安「どう遊ばした、お母様《ふくろさま》も怪《け》しからぬ……何者でござる、確《しっか》り遊ばして」
 と言いながらお村を抱き起そうとする時、後《うしろ》から飛下りながら文治郎がプツリッと拝み討ちに斬りますと、脳をかすり耳を斬落《きりおと》し、肩へ深く斬り込みましたから、あっと仰様《のけざま》に安兵衞が倒れました。蟠作は賊ありと知って討とうと思いましたが、慌《あわ》てる時は往《ゆ》かぬもので、剣術の代稽古をもする位だから、刀を持って出れば宜《よ》いに、慌てゝ居りますから心得のない槍の鞘を払って「賊め」と突き掛る処を、はっと手元へ繰込《くりこ》み、一足踏込んでプツリと斬りましたが、殺しは致しませんで、蟠作の髻《たぶさ》とお村の髻とを結び、庭の花崗岩《みかげいし》の飛石の上へ押据《おしす》えて、
 文「やい蟠作、能くも汝《われ》は大小を差す身の上でありながら、町人|風情《ふぜい》の友之助を賭碁に事寄せ金を奪い、お村まで貪《むさぼ》り取ったな、大悪非道な奴である…お村、汝《われ》は友之助と心中致す処を此の文治郎が助け、駒形へ世帯を持たせて遣《や》ったに、汝《なんじ》友之助に意地をつけ、文治郎に無沙汰で銀座三丁目へ引越《ひっこ》し、剰《あまつさ》え蟠龍軒の襟元に付き心中までしようと思った友之助を袖にして、斯様《かよう》な非道なことをしたな、汝《なんじ》は文治郎が掛合に参った時|悪口《あっこう》を吐《つ》き、能くも面体《めんてい》へ疵を付けたな、汝《おの》れ」
 と七人力の力で庭の飛石へ摩《こす》り付け、友之助が居《お》ればこうであろうと、和田原安兵衞の差していた脇差を取って蟠作の顔を十文字に斬り、汝《われ》は此の口で友之助を騙《だま》したか、此の色目で男を悩《なやま》したかとお村をズタ/\に斬り、汝《われ》は此の口で文治郎に悪口を吐《つ》いたかと嬲殺《なぶりごろ》しにして、其の儘脇差を投《ほう》り出し、藤四郎吉光の一刀を提《さ》げて「蟠龍軒は何処《どこ》に居《お》るか、隠れずに出ろ、友之助になり代って己が斬るから此処《こゝ》へ出ろ」と云いながら何処を探してもいないから、台所へ来て男部屋を開けますると、紙帳《しちょう》の中へゴソ/\と潜《もぐ》って、頭の上へ手を上げて一生懸命に拝んで、
 男「何卒《どうぞ》お助け下さい、何も心得ません、命|計《ばか》りはお助けなすって、御入用なれば何《なん》でも差上げます」
 文「己は賊ではない、汝《てまえ》は奉公人か、当家の家来か」
 男「へえ先月奉公に這入った何も心得ませんもので」
 文「蟠龍軒は何処に隠れて居《お》るかそれを教えろ、蟠龍軒は何処に隠れて居るかそれを言え」
 男「何処だか存じませんが、今朝程|築地《つきじ》のお屋敷へ往って浮田金太夫《うきたきんだゆう》様の処へ、竹次郎というお弟子と今一人を連れて参りました」
 文「嘘を云え、何処に隠れているか云え」
 男「嘘ではございません、主人の煙草盆に手紙が挿してあります、浮田金太夫様からのお手紙が参って居ります」
 文「じゃア全く居《お》らぬか……残念な事を致したな、大伴兄弟が居《お》ると思ったに蟠龍軒だけ築地の屋敷へ参ったか……あゝ残念な事をした」
 と云いながらプツーリと癇癪紛れに下男の首を討落《うちおと》しました。奉公人はいゝ面の皮で、悪い所へ奉公をすると此様《こん》な目に遇います。文治郎は刀をさげ、隠れて居《お》るかと戸棚《とだな》を開けたり、押入を引開けて見たが、居りません。座敷の真中《まんなか》に投《ほう》り出してありますは結構な脇差で、只《と》見ると赤銅七子に金の三羽千鳥の縁頭、はてなと取上げて見ると、鍔は金家の作、目貫は三羽千鳥、是は彼《か》のお茶の水で失ったる彦四郎貞宗ではないか、中身はと抜いて見ると紛《まご》う方なき貞宗だから、あゝ残念な事をした庄左衞門を殺害《せつがい》したのは彼等兄弟の所業《しわざ》に相違ないが、是を己が持って帰れば盗賊に陥り、言訳が付かぬ、却《かえ》って刀は此所《こゝ》に置く方が調べの手懸りにもなろうと思い、此の事を早くお町にも話したいと血《のり》を拭《ぬぐ》って鞘に納め、塀を乗越えて立帰りましたが、これから災難で此の罪が友之助に係りまして、忽《たちま》ちにお役所へ引かれますのを見て、文治郎|自《みず》から名告《なの》って出て、徒罪《とざい》を仰付《おおせつ》けられ、遂に小笠原島へ漂着致し、七ヶ年の間、無人島《むにんとう》に居りまして、後《のち》帰国の上、お町を連れて大伴蟠龍軒を討ち、舅《しゅうと》の無念を晴すと云う、文治郎漂流奇談のお話も楽《らく》でございます。
    (拠若林※[#「※」は「おうへん+甘」、256−12]藏、酒井昇造速記)



底本:「圓朝全集 巻の四」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年9月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の四」春陽堂
   1927(昭和2)年6月28日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の
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