っかん》してやる」
 と云いながら拳骨を固め急所を除《よ》けてコーンと打《ぶ》ちました。
 國「あゝ痛《いた》た」
 文「さア改心しなければ立所に打殺《ぶちころ》すぞ、どうだ」
 國「どうか助けて下さいまし」
 文「イヽヤ元より殺そうと思うのだから助けはせん、手前も命を賭けて悪事をするのじゃアないか、畳の上で殺すのは慈悲を以てするのだ」
 と云いながら又胸ぐらを締上げたから、
 國「ア痛た/\、改心致しやすから助けて下せえ、改心します/\」
 文「弱い奴だなア、改心するなどと申して此の場を逃延《にげの》びて、又候《またぞろ》性懲《しょうこ》りもなく悪事をした事が文治郎の耳に入れば助ける奴でない、天命と思って死ね」
 國「ア痛た/\、そう締めると死んで仕舞います、屹度《きっと》改心しますから何卒《どうぞ》放して下せえ/\」
 文「屹度改心致すか、改心致せ」
 と云って突放《つきはな》された時は身体が痺れて文治の顔を呆気に取られ暫く見て居りましたが、
 國「旦那え/\お前《めえ》さんは噂にゃア聞いて居りやしたが、きついお方ですねえ、滅法な力だ、私《わっち》も旧悪のある國藏で、お奉行《ぶぎょう》がどんな御理解を仰しゃろうと、箒《ほうき》じりで破綻《ひゞだけ》のいるほど打《ぶ》たれても恐れる人間じゃアねえが、お前《めえ》さんの拳骨で親に代って打《う》つと云う真実な意見の中《うち》に、手前《てめえ》は虫よりも悪い奴だ、又堅気の下駄屋で稼いでいて足りねえと云えば米の一俵ぐれえは恵んでやると云う言葉が嘘で云えねえ言葉だ、成程そう云われて見れば虫より悪い事をしやした、旦那え、実ア私《わっち》ア寒さの取付《とっつ》きで困るから嚊をだしに二三両強請ろうと思って来たんだが、お前《めえ》さんの拳骨で打たれた時は身体が痺れて口も何も利けなくなったが、妙な所を打つんだねえ、どうも変に痛いねえ、旦那え、屹度これから改心して國藏が畳の上で死なれるようになった時にゃア旦那へ意趣返しのしようはねえが、私《わっち》が改心した上で鼻の曲った鮭《しゃけ》でも持って来たらば、お前《めえ》さんも些《ちっ》とア胆魂《きもったま》が痛かろうと思うが、其の時は何《なん》と仰しゃいますえ」
 文「これは面白い事を云う、其の時は無闇に人を打擲して済むものでないから、文治が土間へ手を付いて重々悪かったと云って屹度謝ろうが、善人になってくれるか」
 國「そりゃア屹度善人になりやす」
 文「大悪《だいあく》のものが改心すれば反《かえ》って善人になると云うから屹度善人になってくれ、併《しか》し手前《てまえ》が善人になると云っても借金があって法が付くまい、爰《こゝ》に廿両あるからこれで借金の目鼻を付けた上で、稼いでも足りぬ時は手前を打《ぶ》った印に生涯《しょうがい》でも恵んでやるから、これを持って往って稼げ」
 國「旦那それじゃア此の金を私《わっち》にくれますかえ、豪《えら》いなア、どうも驚いた、私《わっち》を悪《にく》んで打《ぶ》ったのだから、大抵の者ならくれた処が五両か七両、それを廿両|遣《や》るから善人になれと云うお前《めえ》さんの気象に惚れた、これから屹度改心して仕事を致します」
 文「能く云ってくれた、就《つ》いては手前に能く申し聞けて置く事があるが、悪人と云うものは、善人になると口で云って、其の金を持って往って、博奕場《ばくちば》へでも引掛《ひっかゝ》り、遣果《つかいはた》して元の國藏のように悪事をすれば文治は許さぬぞ、うっかり持って往《ゆ》くな、香奠《こうでん》にやるのだ、手前の命の手付にやるのだからそう心得ろ」
 國「怖《おっ》かねえ、死んでも忘れません、向後《きょうこう》悪事はふッつりと」
 と横に首をふり、「あゝ痛い/\首を振りゃア頭へ響けて痛いねえ、お浪や/\こけへ来て旦那様へお礼を申せ」と云ったが、どうしてお浪は國藏の打《ぶ》たれるのを見て、疾《とっ》くに跣足《はだし》で逃出《にげだ》して仕舞って居りませんから、國藏は文治に厚く礼を述べて立帰《たちかえ》りましたが、此の國藏が文治の云う事を真に感じ、改心致して、後に文治の為に命を惜まず身代りに立つのでございます。これは九月の三日の事で、これから十二月の三日の夜《よ》の事でございます。文治が助けた田舎の人が、江戸へ来て文治に馳走をすると云うので浅草辺で馳走になって帰る途中、チラリ/\と雪が降出《ふりだ》しましたから、傘《かさ》を借り、番場の森松と云う者が番傘を引担《ひっかつ》いで供をして来ますと、雪は追々積って来ました。
 文「大層降って来たなア」
 森「大層降り出して来ましたねえ」
 文「一面の銀世界だなア」
 森「へい、銀が降って来ましたか」
 文「なアに好《い》い景色《けしき》だと云う事よ」
 森「雪が降りますと貧乏人は難渋しますなア」
 文「だがのう、雪は豊年の貢《みつぎ》と云って、雪の沢山降る年は必ず豊年だそうだ」
 森「へー法印様がどうしますとえ」
 文「なアに雪が降ると麦作が当るとよ」
 森「八朔《はっさく》に荒れがないと米がとれやすとねー、どう云う訳でしょうなア、雨が氷っているのを天でちっとずつ削り落すのかね」
 文「馬鹿云え、下《くだ》り飴《あめ》じゃアあるまいし、これは天地|積陰《せきいん》温かなる時は雨ふり寒なる時は雪と成る、陰陽|凝《こっ》て雪となるものだわ、それに草木の花は五片《ごひら》雪の花は六片《むひら》だから六《むつ》の花というわさ」
 森「なんだかむずかしくって分らねえが、今日の客は気の利かねえ奴だ、帰《けえ》る時に大きい物でグーッと飲ませればいゝに、小さいもので飲ませたから直ぐ醒めて仕舞って仕様がありゃアしねえ、あれだから田舎者は嫌いだ」
 文「これ、人の御馳走になっていながら悪口《あっこう》を云ってはいかんよ」
 森「成程こいつアわるかった、時々|失策《しくじ》りますなア」
 と話をしながら天神の所まで来ますと、手拭を被《かぶ》って女が往ったり来たりしているから、
 文「森松や、彼処《あすこ》に女が居るようだなア」
 森「へー雪女郎《ゆきじょうろ》じゃアありませんかえ」
 文「なアに雪女郎は深山《しんざん》の雪中《せっちゅう》で、稀《まれ》に女の貌《かお》をあらわすは雪の精なるよしだが、あれは天神様へお百度でも上げているのだろう」
 森「それじゃア大方縁遠いのでしょう」
 文「何故え」
 森「寝小便か何かして縁付く事が出来ないから、それでお百度を上げているんでしょう」
 と云う中《うち》にプーッと垣際へ一《ひ》と吹雪吹き付けますると、彼《か》の娘は凍えたと見えまして、差込んで来る癪《しゃく》に、ウーンと云って胸を押えて、天神様の塀《へい》の所へ倒れましたから、
 文「あれ/\女が倒れたな」
 森「うっかり側へ往って尻尾《しっぽ》でも出すといけませんぜ」
 文「おゝ是は冷えたと見えて、可愛そうに、何所《どこ》ぞへ往って温ためてやればいゝだろう、手前の傘をつぼめて己《おれ》の傘を差掛けろ、彼《あ》の女を抱いて往ってやろう」
 森「お止しなさい、掛合《かゝりあ》いにでもなるといけませんぜ」
 文「なアに捨置く訳にはいかん」
 と云って力は七人力あるから軽々と其の娘を抱いて立花屋《たちばなや》と云う小料理屋へ来ました。
 文「森松や、起して呉れ」
 と云うからトン/\トン/\と戸を叩き、
 森「おい立花屋さん起きねえか/\オイ/\」
 文「これ/\そんなに粗末に云うなよ」
 森「粗末たって起すんでさア、オイ/\火事だ/\」
 料「はい/\/\」
 と計《ばかり》云って居ります。
 森「恰《ちょう》ど馬を追っているようだ」
 料「何方《どなた》か知りませんがねえ、此の雪でお肴がありませんから、どうか明日《みょうにち》になすって下さい」
 文「私だよ、業平橋の文治郎だア」
 亭「はい/\明けますよ、これ婆さん、旦那様だよ、これサ寝惚けちゃアいけねえぜ、行燈《あんどん》を提げてぐる/\廻っちゃアいけねえって事よ」
 と云いながら戸を開けて、
 亭「おー大層降りましたなア」
 文「余程《よっぽど》積った」
 と云うのを見ると女を抱いて来ましたが、平常《ふだん》堅い文治の事だから変だと思ったが、
 亭「へゝゝゝゝ御心配はありませんから、奥の六畳は伊勢屋《いせや》の蔵の側で彼処《あすこ》は誰にも知れませんから彼処にしましょう」
 森「フム何を云うのだ、いま女が雪の中へ顛倒《ひっくりけえ》っていたのを、旦那が可愛そうだと云って連れて来たのだ、出合いじゃアねえぜ」
 亭「左様ですか、それじゃアさア/\此方《こっち》へ/\」
 と間の悪そうな顔をして座敷へ案内を致しまして、これから娘の介抱致すと、元より凍えたのですから我に返って目を開き、側を見ると燈火《あかり》が点《つ》いて、見馴れぬ人計りいるから、恟《びっく》りしてキョト/\して居りますのを文治が見ると、年齢《としごろ》十六七で、目元に愛敬のある色の白い別嬪《べっぴん》ですが、髪などは先々月の六日に結《ゆ》った儘《まゝ》で、それも髪結《かみゆい》さんが結ったのではない、自分で保《もち》のよいように結ったのへ埃《ごみ》が付いた上をコテ/\と油を付け、撫付《なでつ》けたのが又|毀《こわ》れましたから鬢《びん》の毛が顔にかゝり、湯にも入らぬと見えて襟垢《えりあか》だらけで、素袷《すあわせ》一つに結《むすび》っ玉の幾つもある細帯に、焼穴《やけあな》だらけの前掛を締めて、穢《きた》ないとも何《なん》とも云いようのない姿《なり》だが、生れ付の品と愛敬があって見惚《みと》れるような女です。
 文「美《い》い女だのう」
 森「なぜ此の位《くれえ》な顔を持っていて、穢ない姿《なり》をしているでしょう、二|月《つき》しばり位《ぐれえ》で妾《めかけ》にでも出たらば好《よ》さそうなものですなア」
 文「姉さん心配しちゃアいけません、此処《ここ》は立花屋と云う料理屋で、私《わし》はつい此の近辺の者で浪島文治郎と云う者だが、お前が天神様の前に雪に悩んで倒れている所へ通り掛って、お助け申して来て、介抱した効《しるし》があって漸々《よう/\》気がついて私《わし》も悦ばしゅうございますが、決して心配をなさいますなよ」
 森「おい姉さん、本当に旦那が介抱してやったのだから、有難いと云って礼を云いな」
 文「なぜそんな事を云うのだ、恩にかけるものじゃないわサ、もしお前さんは何処《どこ》のお方だえ」
 と問われて娘は「はい」と羞《はず》かしそうに顔を上げて、
 娘「私《わたくし》は本所|松倉町《まつくらちょう》二丁目に居ります者でございます」
 文「お前さんは此の雪の中を何の願掛《がんがけ》に行《ゆ》くのだえ、よく/\の事だろうね」
 森「姉さんなんで願掛をするんだえ、縁遠いのかえ」
 文「黙っていろよ……してどう云う訳か知らないが夜中に娘一人で斯《こ》う云う所へ来るのは宜しくないよ」
 娘「はい、親父《おやじ》が長々の眼病で居りまして、お医者様にも診《み》て貰いましたが、迚《とて》も療治は届かないと申されましたから、切《せ》めて片方《かた/\》だけでも見えるように致したいと思って御無理な願いを天神様へ致しました、それ故に寒三十日の間、毎晩お百度に参りますのでございます」
 文「へー感心な事だねえ、嘸《さぞ》御心配だろうね……それ見ろ森松、お父《とっ》さんがお眼が悪いのだって、感心じゃアないか」
 森「眼の悪いのなら多田《たゞ》の薬師が宜《よ》かろうに、天神様が眼に利きますかえ」
 文「姉さん、お前さんが斯うしてお百度に出なさる間お父さんの看病は誰がしますか、お母《っか》さんでもありますかえ」
 娘「いゝえ親一人子一人でございます、長い間の病気で薬代や何かの為に何もかも売り尽しまして、只今では雇人も置かれません故、親父を寝《ねか》しつけておいて一人で参ります」
 文「それじゃ一人のお父さんを寝かしてお前一人で此処《こゝ》へ来るのかえ、そりゃア孝行が却《かえ》って不孝になる、お前
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