と云われては困ります、何も銭金をお貰い申しに参った訳ではありませんから、当期此方の台所《だいどこ》の隅へ置いて下さい、五年掛るか十年掛るか知れませんが、どうか癒《なお》るまでおいておくんなせえ」
母「御立腹でもございましょうが、そんな事を仰しゃらないでお手当は十分に致しますからお連れ帰りを願います」
國「いえなに、銭金は入りません、医者も私《わっち》が頼んで来ます」
母「どうかそう仰しゃらないで」
と只管《ひたすら》頼めど悪党の強請騙りをすることをもくさん[#「もくさん」に傍点]と申して、安い金では中々云う事を聞きませんから、
森「兄イ兄イ…お母《っか》さん黙っておいでなさい…兄イ此処《ここ》じゃア話が出来ねえから台所へ往って話をしよう、己《おれ》は番場の森松と云う者で、悪い事は腹|一杯《いっぺえ》やって、今は此方の旦那の家《うち》に食客《いそうろう》だ、旦那は無闇に弱い女や人を打《ぶ》つような方じゃアねえ、お前《めえ》の処《とこ》の姐御《あねご》が何か悪い事をしたのだろうが、銭を貰っちゃア親方に済まねえと云うが、そんな事を幾ら云っても果てしはつかねえ、サックリ話をするから台所へ来ねえ」
國「何もお前《めえ》さんに云うのじゃアありませんから手を引いておくんなせえ」
森「手を引くも引かねえもねえや、己も番場の森松だ、お前《めえ》の帰りはのいゝようにして遣《や》るから云う事を聞きねえな、己も是れ迄そんな事は度々《たび/\》やった事があるんだナ」
國「おい、訝《おか》しな事を云いなさるぜ、お前《めえ》さんはこんな事が度々ありましたか、私《わっち》ア骨の折れる程嚊を打《ぶ》たれたのは初めだ、お前《めえ》さんは森松さんか何か知らねえが、お母様《ふくろさん》に願っているのにお前《めえ》さんのような事を云われると、私《わっち》ア了簡が小《ちい》せえから屈《すく》んで仕舞って、ピクーリ/\として何《なんに》も云えないよ」
森「おい、大概《たいげい》にしねえな、そんな事をいつまで云っても果《はて》しが付かねえから、おいこう、まア台所へ来ねえって事よ」
母「森松黙っていな」
森「まアお待ちなさい、お前《まえ》さんは知らないのだから、おい兄イそんな事を云っても仕方がねえ、人間を打殺して下手人になっても人が入《へえ》れば内済《ねえせい》にしねえものでもねえから、お前《めえ》の方へ連れて往《い》けば話の付くようにするから台所へ来な」
國「おい兄さん、人を擲殺《たゝッころ》して内済《ねえせい》で済みますかえ、そりゃア済ます人もあるか知れませんが、私《わっち》アいやだ、怖《おっ》かねえ事を仰しゃるねえ、お母《ふくろ》さん、こんな事を云われると私《わっち》ア臆病《おくびょう》ものですからピクーリ/\としますよ」
森「台所へ来いよ/\」
と森松は懊《じ》れこんでいくらいっても動きません。其の筈で森松などから見ると三十段も上手《うわて》の悪党でござりますから、長手の火鉢《ひばち》の角《すみ》の所へ坐ったら挺《てこ》でも動きません。処《ところ》へ業平文治が帰って来まして、
文「森松|此処《ここ》を片付けろ」
と云うから、森松は次の間の所へ駆出《かけだ》して、
森「あなたは大変な事をやりましたねえ」
文「何を」
森「杉の湯で國藏の嚊を打擲《ぶんなぐ》りましたろう」
文「来たか、昨夜《ゆうべ》打擲った」
森「打擲ったもねえものだ、笑い事じゃごぜえやせん、彼奴《あいつ》は一《ひ》ト通りの奴じゃアありませんから、襤褸褞袍《ぼろどてら》を女に着せて、膏薬を身体中へ貼り付けて来て、動《いご》けねえから此方《こっち》の家《うち》へおいて重湯でも啜《すゝ》らせてくれろと云って、中々|手強《てごわ》いことを云ってるから、四五両では帰《けえ》りませんぜ、四五十の金は取られますぜ」
文「宜しい、心配するな」
森「宜しいじゃありませんやね」
文「お母《っか》さんが御心配だろうな」
森「お母さんは無闇に謝まってばかりいますから、猶《なお》付込みやアがるのさ」
文「お母さんを此方《こっち》へお呼び申しな」
と云うから小声で、
森[#「森」は底本では「母」と誤記]「お母さん/\、此方へ/\」
と云って親指を出して知らせると、母も承知して次の間へ参りまして、
母「お前飛んだ事をおしだねえ」
文「あなたのお耳へ入れて誠に相済みません」
母「済まないと云って無闇に人を打《ぶ》つと云う法がありますか、先方様《さきさま》は素直に当家へ病人を引取って看病さえしてくれゝば宜しいと云うから、どうも仕方がないわな」
文「彼奴《あいつ》は悪い奴ですから只今|私《わたくし》が話をして直《すぐ》に帰します、誠に相済みません、あなたは暫《しばら》くお居間の方へいらっしゃいまし」
母「おや/\あれは悪党かえ」
森「申し、お母さんは知らないのだがね、彼奴は悪党で、私《わっち》が何か云うといやにせゝら笑やアがるから、小癪《こしゃく》にさわるから擲《なぐ》り付けようと思いましたがね、今こゝで彼奴を打《ぶ》つとウーンと云って顛倒《ひっくりけ》えって仕舞うから、私《わっち》も堪《こら》えていたのです。お母さん心配しないで此方《こっち》へおいでなさい」
と隠居所の方へ連れて往《ゆ》きまして、
森「もし旦那え彼奴《あいつ》を打擲《ぶんなぐ》ると顛倒《ひっくり》かえるから、そうすると金高《きんだか》が上《のぼ》りますよ」
文「宜しい/\」
と云って脇差《わきざし》を左の手へ提げて座敷へ入って参りまして、
文「初めてお目に懸ります、私《わし》は浪島文治郎と云う者です、只今母から聞きましたが、昨夜お前の御家内を打擲した処、今日其の御家内を連れて来て、此方《こっち》で看病をしてくれろとのお頼み、又母が連れ帰ってくだされば金子《きんす》は何程《なにほど》でも差上げると云うと、お前は親分や友達に済まんと云えば、いつまでもお話は押付《おっつ》かんが、打《ぶ》った処は文治郎が重々悪いから、飽くまで詫びたならばお前も男の事だから勘弁するだろうね、勘弁してくれたら互に懇意になり、懇意ずくなら金を貸してもお前の恥にも私《わし》の恥にもならないから、心が解けたら懇意になって懇意ずくでお内儀《かみ》さんの手当となしに金を五十両やるからそれで帰って下さいな」
國「へゝ、こりゃアどうも、もし旦那え、お前《めえ》さんのようにサックリと話をされちゃア何も云えない、と申すのは、貴方《あなた》のような立派な方が私《わっち》のようなものに謝まると仰しゃれば、宜しいと云わなければなりません、そうなれば懇意ずくで金を貸せば恥になるめえから五十両やると云う、実に何とも申そうようはござえません、実はお母さんのお耳へ入れまいと思ったが、つい貧乏に暮していますから苦しまぎれに申上げたのでございます、それではどうか五十両拝借したいものでございます」
文「五十両でいゝかえ」
國「宜しゅうございます/\」
と云うと文治は座を正して大声《たいせい》に、
文「黙れ悪人、其の方《ほう》は此の文治を欺き五十両強請ろうとして参ったか、其の方は市中お構《かまい》の身の上で肩書のある悪人でありながら、夫婦|連《づれ》にて此の近傍《かいわい》の堅気の商家《あきんど》へ立入り、強請騙りをして人を悩ます奴、何処《どこ》ぞで逢ったら懲《こら》してくれんと思っていた処、幸い昨夜其の方の女房に出会いしにより打殺そうと思ったが、お浪を助けて帰したは手前を此の家《うち》に引出さん為であるぞ、其の罠《わな》へ入って能くノメ/\と文治郎の宅へ来たな、さア五十両の金を騙り取ろうなどとは申そうようなき大悪人、兎《と》や角《かく》申さば立処《たちどころ》に拈《ひね》り潰して仕舞うぞ」
と打《う》って変った文治郎の権幕《けんまく》は、肝に響いて、流石《さすが》の國藏も恟《びっく》り致しましたが、
國「もし旦那え、それじゃア、からどうも弱い者いじめじゃアありませんか、私《わっち》の方で金をくれろと云ったわけじゃアありません、お前《めえ》さんの方で懇意ずくになって金を貸すと云うから借りようと云うのだが、又亭主に無沙汰《ぶさた》で人の女房を打《ぶ》って済みますかえ、其の上|私《わっち》を打殺すと云やア面白い、さアお打ちなせえ、私《わっち》も國藏だア、打殺すと云うならお殺しなせえ」
文「不届き至極な奴だ」
と云いながら、突然《いきなり》國藏の胸《むな》ぐらを取って、奥座敷の小間へ引摺り込みましたが、此の跡はどう相成りましょうか、明晩申し上げます。
二
男達《おとこだて》と云うものは寛永《かんえい》年間の頃から貞享《ていきょう》元禄《げんろく》あたりまではチラ/\ありました。それに町奴《まちやっこ》とか云いまして幡隨院長兵衞《ばんずいいんちょうべえ》、又は花川戸《はなかわど》の戸澤助六《とざわすけろく》、夢《ゆめ》の市郎兵衞《いちろべえ》、唐犬權兵衞《とうけんごんべえ》などと云う者がありまして、其の町内々々を持って居て、喧嘩《けんか》があれば直《すぐ》に出て裁判を致し、非常の時には出て人を助けるようなものがございましたが、安永年間には左様なものはございません。引続きお話申します業平文治は町奴親分と云うのではありません、浪人で田地《でんじ》も多く持って居りますから活計《くらし》に困りませんで、人を助けるのが極く好きです。尤《もっと》も仁を為せば富まず、富を為せば仁ならずと云って、慈悲も施し身代《しんだい》も善くするというは中々むずかしいことでありますが、文治は身代もよく、人も助け、其の上老母へ孝行を尽します。兎角《とかく》男達に孝子と云うは稀《まれ》なもので、成程男達では親孝行は出来ないだろう、自分の身を捨《すて》ても人を助けるというのであるから、親に対しては不孝になるだろうと仰しゃった方がありましたが、文治は人に頼まれる時は白刃《しらは》の中へも飛び込んで双方を和《なだ》め、黒白《こくびゃく》を付けて穏便《おんびん》の計《はから》いを致しまする勇気のある者ですが、母に心配をさせぬため喧嘩のけの字も申しませず、孝行を尽して優しくする処は娘子《むすめっこ》の岡惚れをするような美男でございますが、怒《いか》ると鬼をも挫《ひし》ぐという剛勇で、突然《いきなり》まかな[#「まかな」に傍点]の國藏の胸ぐらをとりまして奥の小間に引摺り込み、襖《ふすま》をピッタリと建《た》って國藏の胸ぐらを逆に捻《ねじ》って動かさず、
文「やい國藏、汝《われ》は不届な奴である、これ能《よ》く承われ、手前《てめえ》も見た処は立派な男で、今盛りの年頃でありながら、心得違いをいたし、人の物を貪《むさぼ》り取り、強請騙りをして道に背き、それで良いものと思うか、官《かみ》の御法を破り兇状を持つ身の上なれば此の土地へ立廻る事はなるまい、然《しか》るに此の界隈で悪い事を働き、官の目に留れば重き処刑になる奴だに依《よ》って、官の手を待たずして此の文治郎が立所《たちどころ》に打殺《うちころ》すが、汝《われ》は親兄弟もあるだろうが、これ手前《てまえ》の親達《おやたち》は左様な悪人に産み付けはせまい、どうか良い心掛けにしたい、善人にしたいと丹誠《たんせい》して育てたろうが、汝《わりゃ》ア何か親はないかえ、汝《われ》は天下の御法を破り、強請騙りを致すのをよも善い事とは心得まいがな、手前のような奴は、何を申し聞かせても馬の耳に念仏同様で益《やく》に立たんから、死んで生れ替って今度は善人に成れ、汝《われ》は下駄屋職人だそうだが、下駄を削って生計《くらし》を立てゝも其の日/\に困り、どうか旦那食えないから助けて下さいと云って己《おれ》の処へ来れば米の一俵位は恵んでやる、然《しか》るを五十両|強請《ゆすろ》うなどとは虫よりも悪い奴である、汝《われ》の親に成代《なりかわ》って意見をするから左様心得ろ、人間の形をしている手前だから親が腹を立てゝ打《ぶ》つ事があろう、其の代りに折檻《せ
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