ですなア、何《なん》でも評判の悪人でございましょう、女でこそあれズウ/\しい奴でしょう」
丁「なアに、そうじゃアありません、全くはお湯の中へ灰墨《へいずみ》を流したのだそうですが、大方恋の遺恨でございましょう、灰墨を手拭へくるんで湯の中へ流して、手拭がないから彼奴《あいつ》に違いないと云っているんでしょう」
戊「なアに、そうじゃありません、小児《あかんぼ》の屎《うんこ》を流したんだって」
乙「へーそうですか」
癸「なに、そうじゃありません、湯の中でお産をしたんだそうです」
などといろ/\評議をしているが、何《なん》だか訳が分りません。処へ参ったのは業平文治で、姿《なり》は黒出《くろで》の黄八丈《きはちじょう》にお納戸献上《なんどけんじょう》の帯をしめ蝋色鞘《ろいろざや》の脇差《わきざし》をさし、晒《さらし》の手拭を持って、ガラリッと障子を開けますと、
番「へー旦那《だんな》いらっしゃいまし」
文「はい、何か表へ人立《ひとだち》がして居るが間違いでもあったのか」
番「どうかお構いなく、文庫へお脱ぎなさいまし」
文「いや/\、人立がすれば往来の者も困りますし、お前も困るだろうが、一体どうした間違いだえ」
番「旦那様、山の浮草に出て居たお浪と云う悪党女と知らない者ですから、堺屋の番頭さんが湯の中で度々《たび/\》冗談を致し、今日も怪《け》しからん事を致したものですから、番頭さんの手拭を引奪って置いて、番頭さんが湯から上るのを待っていて、彼《あ》の通り詫《わび》るのを聴かないで主人へ掛合うと云うから、主人が五六十両も強借《ゆす》られて、番頭さんも追出されますのでしょう」
文「それは気の毒な事だ、私《わし》が中へ入って詫をしてやりましょう」
番「旦那様が中へ入って下されば宜しゅうございますが、若《も》し貴方《あなた》の御迷惑になるといけませんから、お止《よ》しなすった方が宜しゅうございます」
文「いや/\入って見ましょう」
と云いながらツカ/\とお浪の側へ参り、
文「おい/\姉さん何だか悉《くわ》しい訳は知りませんが、聞いていれば此の人は人違いでお前さんに悪戯《じょうだん》をしたのだそうだから、腹も立とうが成り替って私《わし》が詫びましょうから、勘弁して此の人を帰して下さい、そうお前さんのように無闇に人を打《ぶ》つものではありません」
浪「どなたか知りませんが手を引いて下さい、私も亭主のある身で、姦通《まおとこ》でもしていると思われては困ります、私の亭主も男を売る商売ですから、どんなに怒《おこ》って私を女郎に売るか何だか知れません、亭主に対して打捨《うっちゃっ》て置けませんから手を引いておくんなさい」
文「そういうことをすりゃア御亭主が無理というもの、湯の中で何程の事が出来るものではない、それを怒って女郎にするのなんのと云えば、それ程大切な女房なら、入込みの湯へ遣《よこ》さなければいゝというようなものだから、まア/\そんな事を云わないで堪忍してやっておくんなさい」
浪「おい、何をいやアがるのだ、湯に遣そうが遣されめえがお前《めえ》の構った事じゃアねえ、生意気な事を云わねえで引込《ひっこ》んでろい」
文「ホイ/\堪忍しておくれ、私《わし》が粗忽を云いました」
浪「これさ、お前《めえ》なんだ生若《なまわけ》え身で耳抉《みゝっくじ》りを一本差しゃアがって、太神楽《だいかぐら》見たような態《ざま》をして生意気な事を云うねえお前《め》ッちゃア青二|才《せい》だ、鳥なら未《ま》だ雛児《ひよっこ》だ、手前達《てめえたち》に指図を受けるものか、青い口喙《くちばし》でヒイ/\云うな、引込んでろい」
文「はい/\悪い処は重々詫をしますが、大の男が板の間へ手をついて只管《ひたすら》詫をすれば御亭主の御立腹も解けましょうから幾重にも当人に成替《なりかわ》って」
浪「いけねえよ、愚図々々口をきかねえで引込みなせい」
と云いながらズッと番頭を引立《ひきた》てに掛るから、
文「あゝ待ちなさい/\、それでは是程云っても聞き入れませんかえ」
浪「聴かれませんよ」
文「愈《いよ/\》聴かれなければ此方《こっち》にも了簡《りょうけん》がある」
浪「聴かなければどうする」
文「聴入《きゝい》れなければ斯様《かよう》致す」
と云いながら突然《いきなり》お浪の髻《たぶさ》を取って引倒《ひきたお》し、拳骨《げんこつ》を固めて二ツ打《ぶ》ちましたが、七人力ある拳骨ですから二七十四人に打たれるようなもので、痛いの何《な》んのと申して、悪婆《あくば》のお浪も驚きました。なれども急所を除《よ》けて打ちます。
文「これ、汝《われ》は不届《ふとゞき》ものだ、手前の亭主はお構い者で、聞けば商人《あきんど》や豪家へ入り、強請《ゆすり》騙《かた》りをして衆人を苦しめると云う事は予《かね》て聞いて居《お》ったが、此の文治郎が本所に居《お》る中《うち》は捨置《すてお》く訳にはいかん、それに此の文治の事を青二才などと云おうようなき悪口《あっこう》を申したな、手前のような奴を活《い》かして置いては大勢の人の難儀になるから打殺《ぶちころ》すのであるが、女の事ゆえ助けてやる、早く家《うち》へ帰って亭主の國藏という奴に、己《おれ》は業平橋に居る浪島文治郎と云うものだから、打《ぶ》たれたのを残念と思うならいつでも仕返しに来いと屹《きっ》と申せよ」
と云いながらトーンと障子を明けて、表へ突き出したから、お浪は倒れて眼が眩《くら》みましたが、漸《ようや》くの事で這《は》うようにして家《うち》へ帰って、國藏に此の事を話そうと思うと、其の晩は帰りませんで、翌日の昼時分に帰って来まして、
國「お浪今|帰《けえ》ったよ、寝てえちゃアいけねえ、火も何も消えて居るじゃアねえか」
浪「起きられやしねえよ、頭が割れそうだア」
國「なんだ頭が割れそうだ、頭が痛けりゃア按摩《あんま》でも呼んで揉《も》んで貰いねえナ」
浪「拳骨《げんこつ》で廿ばかり打《ぶ》たれたよ」
國「なに打たれて黙って帰《けえ》って来るような手前《てめえ》じゃアねえじゃねえか、何奴《どいつ》が打ったのだ」
浪「夕べお前が帰《けえ》って来たらば直《す》ぐに仕返《しけえ》しに行こうと思っていたが、いつでも杉の湯に来る奴が来たから、お前《めえ》に教わった通りにして、向うへ強請に往《い》こうと思うと、業平橋にいる文治と云う奴が来て、突然《いきなり》に私を打って、打殺して仕舞《しまう》んだが助けてやるから家《うち》へ帰《けえ》って亭主の國藏と云う奴に云って、いつでも仕返《しけえ》しに来いと云って、人を蚰蜒《げじ/\》見たように摘《つま》み出しゃアがったよ、悔しくって/\仕様がねえから、仕返しに往っておくれよ」
國「静かにしろい、業平文治と云う奴は黒い羽織を着ている奴だな、結構だ」
浪「何が結構だ」
國「寒さの取付《とっつ》きに立派な人に打《ぶ》たれて仕合せよ、悪い跡はいゝやい」
と云いながら落着き払って出て行《ゆ》きましたが、何処《どこ》で買ったか膏薬《こうやく》を買って来まして、お浪の身体へベタ/\と打《ぶ》たれもしない手や何かへも貼付け、四つ手《で》駕籠《かご》を一挺《いっちょう》頼んで来て、襤褸《ぼろ》の※[#「※」は「「褞」で「ころもへん」のかわりに「いとへん」をあてる」、11−6]袍《どてら》を着たなりで、これにお浪を乗せ業平文治の玄関へ参りまして、
國「お頼み申します/\」
男「オヽイ」
と返事をして台所の方から来たのは、本所の番場で森松《もりまつ》と云う賭博兇状持《ばくちきょうじょうもち》で、畳の上では生きていられないのが、文治の意見を聞いて改心して、今では文治の所にいる者です。
森「だれだえ」
國「えゝ浪島文治郎様のお宅はこちらですか」
森「此方《こちら》だがお前《めえ》はなんだえ、/\」
國「少し旦那にお目に懸ってお話し申したいことがあって来ました」
森「生憎《あいにく》今日は旦那はいねえや、何《なん》の用だか知らねえが日暮方にでも来ねえ」
國「旦那がお留守なら御新造《ごしんぞ》さんにでもお目に懸りたいもんです」
森「御新造さんはねえや、お母《っか》さんばかりだ」
國「お母《ふくろ》さんでも宜しゅうございます、へい、これは病人でございますから、おい/\ソーッと出ねえといけねえよ、骨が逆に捻《ねじ》れると不具《かたわ》になって仕舞うよ」
森「おい/\己《おら》の処は医者様じゃアねえよ、これは浪島文治郎さんと云う人の宅だよ」
國「そりゃア存じて居ります、おい若衆《わけいしゅ》さん帰《け》えってもいゝよ」
と駕籠屋を帰し、お浪の手をとりまして、
國「少し此処《こゝ》へお置《おき》なすっておくんなせえ」
森「おい、少し待っていねえ、お母《ふくろ》さんに話すから」
と奥へ参り、
森「申しお母《ふくろ》さんえ、何《なん》だか知れませんが膏薬だらけの女を連れて旦那にお目に懸りてえと云って来ましたから、旦那が留守だと云ったら、お母《ふくろ》さんにお目に懸りたいと申しますが、何《ど》うしましょう」
母「此方《こちら》へお通し申せ/\」
森「さア兄イ此方《こっち》へ来ねえ」
國「えゝお初《はつ》うにお目に懸りました、私《わっち》は下駄職國藏と申すものでごぜえやすが、お見知り置かれまして此の後とも御別懇に願います」
母「はい、私《わたくし》は文治郎の母でございますが、生憎今日は他出致しましたが、誠に年を取って居りますから悴《せがれ》が余所《よそ》様でお交際《つきあい》を致しましたお方は一向存じませんから、仰《おっ》しゃりおいて宜しい事ならどうか仰しゃりおきを願います」
國「些《ちっ》とあなたのお耳へ入れては御心配でございましょうが、彼処《あすこ》に寝て居りますのは私《わっち》の嚊《かゝあ》で、昨晩間違いが出来ましたと云うのは、湯の中で臀《けつ》を撫でたとかお情所《なさけどころ》を何《ど》うとかしたと云うので、亭主のある身でそんな真似をされちゃア亭主の前《めえ》へ済まねえと云って、其の男に掛合って居る処へ、此方《こちら》の旦那が来て私《わっち》の嚊を拳骨《げんこつ》で廿とか三十とか打《ぶ》って、筋が抜けたとか骨が折れたとか、なアにサ、何《なん》だかこんな事を申しやすと強請騙りにでも参った様に思召《おぼしめ》すだろうが、そう云う訳ではありませんが、お恥しい話ですが、其の日/\に下駄を削って居ります身分ですから、私《わっち》が看病をすれば仕事をする事が出来ねえ、仕事をする事が出来なけりゃア食う事が出来ねえが、此方《こちら》は御身分もありお宅も広うございやすから、どうかお台所の隅へでも女房を置いて重湯でも飲ましておいてくれゝば、私《わっち》も膏薬の一貼《ひとはり》位《ぐれ》えは買って来ますから、どうかお預りを願います」
母「はい/\、それは誠にお気の毒様な訳で、嘸《さぞ》御立腹な訳でございましょう、仮令《たとえ》どのような事がありましても人様《ひとさま》の御家内を打擲《ちょうちゃく》するとは怪《けし》からん訳でございます、若年の折柄《おりから》人様に手を掛ける事が度々《たび/\》ありまして意見もしましたが、どうも性分で未《ま》だ直りません、どのようにも御看病もしとうございますが、私《わたくし》も寄る年で思うようにも御看病が届きませんと、御病人の癇《かん》が起りますものでございますから、お医者も此方《こちら》からお附け申しましょうし、看病人も附けましょう、又あなたがお仕事をお休みになれば日々どれだけのお手間料が取れますか知りませんが、お手間料だけは私《わたくし》の方から」
國「いえ/\飛んでもねえ事を仰しゃる、此方からお手当を戴き嚊を宅《うち》へ置いて看病をすると、私《わっち》も堅気の職人ですから、そんな事が親方の耳へでも入《へえ》れば、手前《てめえ》は遊《あす》んでいて他から銭を貰う、飛んでもねえ奴だ、向後《きょうこう》稼業《かぎょう》を構う
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