「お薬品は」
忠「薬はウーン……ギュウ/\牛胆……それからカシワコではない柏子仁、それからあゝアマ甘草」
庄「へー甘草」
忠「それからえー羚羊角、人参、細辛、右七味|丸《がん》じまして茶で服薬すれば一週《ひとまわ》りも服《の》むと全快いたします」
庄「有難いことで、それを戴きたいもので」
忠「家伝でございますから上げましょう」
ま「誠に有難うございます、お父《とっ》さまのお目の治る吉瑞《きつずい》でございましょう、秋田という医者も良くないようでございます」
忠「彼《あれ》は良くございません、それに就いて鴨川壽仙という医学ではない医者がございますね」
庄「何処《どこ》に居ります」
忠「京の鴨川《かもがわ》から来た人で、只今早稲田に居ります、早稲田の高田の馬場の下辺りで施しに針を打ちます、鍼治《しんじ》の名人で、一本の針で躄《いざり》の腰が立ったり内障《そこひ》の目が開きます」
庄「成程、針医の壽仙というのは名高いえらい人で、なか/\頼みましても打ってくれますまい」
忠「施しにしてくれます、医者も目が悪いと其処《そこ》へ行《ゆ》きます…二七あゝ今日は丁度宜しい、今日|行《ゆ》くと施し日だからたゞやってくれます、昼間|傘《からかさ》を差掛け其の下へ寝かして、目の脇へ針を打つと膿《のう》が出て直ぐ治ります」
庄「左様ですか、併《しか》し今日これから行《ゆ》くと遅くなりましょう」
忠「遅くも往って御覧なさい、目は一時《いっとき》を争います、あなたが針を打った処へ蘆膾丸を上げる」
庄「どうか其のお薬を頂戴したいもので」
忠「直ぐに今日入っしゃい、後《おく》れてはいけません、手前お暇《いとま》申す、後れてはいけませんよ、一時を争うから」
庄「誠に有難うございます」
と上りはなまで送って参りました。阿部忠五郎はまんまと首尾よく往ったと思って振り返り/\行《ゆ》く。此方《こちら》では、
ま「お父様《とっさま》、おいでなすったら宜しゅうございましょう、私がお附き申しましょうか」
庄「いや/\仔細ない、微《かす》かに見えるから心配には及ばぬ」
と出掛けましたが、衣類は見苦しゅうございます、帯は真《しん》が出て居りますが、たしなみの一本を差しまして、深編笠《ふかあみがさ》を冠《かぶ》って早稲田へ尋ねて行《ゆ》くと、鴨川壽仙は山の宿《しゅく》へ越したと云われてがっかり致しましたが、早稲田は遠路のことであるが、これから山の宿へ頼みに行《ゆ》くのは造作もない、此の次は来月二日であるかと云いながら、神楽坂《かぐらざか》まで来ると、車軸を流すようにざア/\と降出《ふりだ》して雨の止む気色《けしき》がございませんから、蕎麦屋《そばや》へ這入って蕎麦を一つ食べて凌《しの》いで居ります。夏の雨でございますから其の中《うち》晴れた様子、代を払って出て行《ゆ》きます。先へ探偵《いぬ》に廻ったのは篠崎竹次郎《しのざきたけじろう》という門弟でございます。此の竹次郎がお茶の水の二番河岸《にばんがし》へ参りますと、其の頃お茶の水はピッタリ人が通りません。
竹「先生々々」
「おー」と答えて二番河岸から上って来たのは大伴蟠龍軒、暑いのに頭巾を冠《かぶ》り、紺足袋雪駄穿きでございます。
蟠「竹、どうした、目腐れ親父はどうした」
竹「只今これへ参ります、今|牛込《うしごめ》の蕎麦屋から出ましたのを見届けました、水戸殿《みとどの》の前を通って参ります」
蟠「もう程《ほど》のう参るか」
竹「参ります」
蟠「手前先へ帰れ」
竹「宜しゅうございますか」
蟠「却《かえ》って大勢|居《お》ると目立って能くない」
竹「はい/\」
と竹次郎は帰って行《ゆ》きました。蟠龍軒は高い処へ上って向うから来るかと見下《みおろ》す、処が人の来る様子がございませんから、神田の方から人が来て認められては適《かな》わぬと思いまして、二番河岸の根笹《ねざさ》の処へ蹲《しゃが》んで居りますと、左官の亥太郎が来ました。これは強い人で、力が廿人力あって、不死身《ふじみ》で無鉄砲で。其の頃は腕力家の多い世の中でございます。亥太郎は牛込辺へ仕事に参りまして、今日は仕舞仕事で御馳走が出まして、どっちり酔って、風呂敷の中は鏝手《こて》を沢山入れて、首っ玉へ巻付けまして、此の人は年中柿色の衣服《きもの》ばかり着て居ります。今日も柿色の帷子を着てひょろり/\と歩いて参り、雨がポツリ/\顔に当るのが好《よ》い心持と見える、二番河岸の処へ来ますと丁度河岸の処に昼間は茶店が出て居ります、其処《そこ》へどしりと臀《しり》を掛けて、
亥「あゝいゝ心持だ、なんだ金太《きんた》の野郎が酒が強いから兄《あに》いもう一杯《いっぺい》やんねえと云った、いゝなア拳《けん》では負けねえが酒では負けるな、もう一杯《いっぺい》大きいので、もう一杯《いっぺえ》という、悔しいや彼《あ》ん畜生|敵《かな》わねえ、滅法やった、いゝ心持だ」
とぐず/\独語《ひとりごと》を云う中《うち》に居眠りが長じて鼾《いびき》になりました。スヤリ/\と寝付いている。その前を小野庄左衞門笠を冠《かぶ》り杖で拾い道をして来るが、感が悪いゆえに勝手が少々もわからぬ。二番河岸から蟠龍軒が上って、新刀《あらみ》を抜放し、やり過《すご》した小野庄左衞門の後《うしろ》からプツーリッと剣客先生が斬りますと、右の肩から胴の処まで斬り込み、臀餅《しりもち》をついたが、小野庄左衞門、残念と思いまして脇差に手を掛けたばかり、ウーンと云う処へ、プツーリッと復《ま》た一と刀《かたな》あびせ、胸元へ留《とゞ》めを差して、庄左衞門の着物で血《のり》を拭《ぬぐ》って鞘へ納め、小野庄左衞門の懐へ手を入れて見ましたが何もございません、夜陰《やいん》でございますが金目貫《きんめぬき》が光りますから抜いて見ると、彦四郎《ひこしろう》貞宗《さだむね》。
蟠「なか/\良さそうだ」
と云いながらそれを差しまして後《あと》へ下《さが》る時、鼻の先でプツーリッと云う音がして、面部を包んだ士《さむらい》が人を殺して物を取るのが見えるから、亥太郎は心の裡《うち》で此奴《こいつ》泥坊に相違ない、こういう奴が出るから茶飯《ちゃめし》餡《あん》かけ豆腐や夜鷹蕎麦《よたかそば》が閑《ひま》になる、一つ張り飛《とば》してやろうと、廿人力の拳骨を固めて後《うしろ》へ下ろうとする蟠龍軒の横面《よこずっぽう》をポカーリッと殴ると、痛いの痛くないの、ひょろ/\と蹌《よろ》けました。これから蟠龍軒と亥太郎と暗仕合《やみじあい》に相成ります。
十四
亥太郎が拳骨を固めて大伴を打ちました時、流石《さすが》の大伴蟠龍軒もひょろ/\として蹌《よろ》めきましたが、此方《こちら》も剣術の先生で、スーッと抜きました。亥太郎が逃げるかと思うと少しも逃げぬ、泥坊士《どろぼうざむらい》と云いながら、斬付けようとする大伴の腰へ組付こうとして胴乱へ左の手を掛け、ウーンと力を入れる時、えいと斬付けましたが、亥太郎は運の良い男で、首っ玉に鏝《こて》と鏝板を脊負《しょっ》て居りました。それへ帽子先が当りましたから疵《きず》を受けませんでコロ/\と下へ落ちました、其の儘上りそうもないものが、此の野郎斬りやアがったな、と又上って来ました。亥太郎が二度目に上った時は、蟠龍軒は風を喰《くら》って逃げた跡で、手に遺《のこ》ったのは胴乱。
亥「盗人《ぬすっと》が提《さ》げていた恰好《かっこう》の悪い煙草入、これは打《たゝ》き売って酒でも食《くら》え」
と腹掛《はらがけ》へ突込《つっこ》んで帰りましたが、悪い事は出来ないもので、これが紀伊國屋へ誂《あつら》えた胴乱でございます、それが為に後《のち》に蟠龍軒が庄左衞門を殺害《せつがい》したことが知れます。これは後《のち》のことで。さて庄左衞門の娘町は、何時《いつ》まで待っても親父《おやじ》が帰って来ません、これは大方お医者様に留められて療治をしているのではないかと心配して居ります。夜が明けると斯様《かよう》な者が殺害《せつがい》されている、心当りの者は引取りに来いという貼札《はりふだ》が出る。家主《いえぬし》も驚きまして引取りに参り、御検視お立会《たちあい》になると、これは手の勝《すぐ》れて居《お》る者が斬ったのであるゆえ、物取りではあるまい意趣斬りだろうという。なれども貞宗の刀が紛失《ふんじつ》している。八方へ手を廻して探しましたが分りません。娘は泣く/\野辺の送りをするも貧の中、家主や長家の者が親切に世話をしてくれます。お町は思い出しては泣いてばかり居ります。ふと考え付いたのは流石は武士の娘でございます、お父様《とっさま》を殺したのは意趣遺恨か知れないが、何しろ女の腕では讎《かたき》を討つことが出来ない、自分も二百四十石取った士《さむらい》の娘、切《せ》めては怨みを晴したいが兄弟もなし、別に親類もない、実に情《なさけ》ない身の上であるが、業平橋の文治郎さまという方は情深いお方、去年の暮もお父様《とっさま》が眼病でお困りであろうと、見ず知らずの者に恵んで下さり、結構な薬まで恵んで下さる、真の侠客じゃとお父様がお賞《ほ》め遊ばした、彼《あ》の家に奉公し、辛抱して親の仇《あだ》が知れた時、お助太刀《すけだち》をねがうと云ったら、文治郎さまが助太刀をして下さるだろうと考えて居ります。その一軒置いて隣にまかな[#「まかな」に傍点]の國藏という者、今は堅気《かたぎ》の下駄屋《げたや》をして居ります。一つ長家で親切でございますから、此の事を國藏に頼むと、國藏も根が悪党で、悪抜《あくぬ》けたのでございますから親切がございますから、
國「感心なお心掛けでございます、旦那も未だ御新造《ごしんぞ》がないから貴嬢《あなた》が往って下されば私も安心だ、何しろ森松をよんで話して見ましょう」
とこれから女房が往って森松を呼んで来ると、直ぐやって来ました。
森「御無沙汰しました、丁度来《き》ようと思っていた処だが、旦那をお母《ふくろ》さんが出さねえ、旦那が出なけりゃア此方《こっち》も出られねえ、お母さんは旦那が好きで喧嘩でもすると思っているから困らア」
國「私《わっち》も御無沙汰したよ」
森「馬鹿に暑いねえ、団扇《うちわ》か何か貸してくんねえ……何《なん》だい今日呼びに来た用は」
國「少し相談がある、お前《めえ》も番場の森松、己《おれ》もまかな[#「まかな」に傍点]の國藏、お互いに悪事を重ねて畳の上で死ねねえと思ったのを、旦那のお蔭で世間なみの人間になったのは有難いわけじゃねえか」
森「実に有難《ありがて》いよ、旦那のお蔭で森さんとか何《なん》とか云われていらア」
國「主人だね」
森「主人だ」
國「旦那に良《い》い御新造《ごしんぞう》の世話をしたい、お母《っか》さんも初孫《ういまご》の顔を見てえだろう」
森「違《ちげ》えねえ、己もそう思っている、だがね旦那と揃う娘がねえ、器量は揃っても旦那と了簡の出会《でっくわ》せる女がねえ」
國「処がこれならばというお嬢さんがあるのだ」
森「どこに/\どこだえ」
國「ボヤ/\でも尋ねるようだ、此処《こゝ》においでなさるお嬢さんよ、此のお嬢さんを知ってるか」
森「知ってる、これは思掛《おもが》けねえ、知ってるとも、お前さんの処《とこ》のお父《とっ》さんが目が悪くって、お前《めえ》さんが天神様でお百度をふみ、雪に悩んで倒れている処へ家《うち》の旦那が通り掛り、薬を服《の》ませて立花屋で薬をやった時、旦那がお前《めえ》さんは感心だ、裙捌《すそさば》きが違うと云って大変|褒《ほ》めた、そうして金をやった時、あなたは受けねえと云うと、旦那が満腹だと云った」
國「満腹は腹のくちくなった時のことだ」
森「何《なん》とか云ったねえ」
國「感服だろう」
森「感服だ、感服だと褒めた、旦那が女を褒めたことはねえが、この嬢《ねえ》ちゃんばかりは褒めた、お父《とっ》さんはどうしましたえ」
國「お亡《かく》れになった」
森「お亡れになってど
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