関先へかゝり、
 文「頼む/\」
 大伴の表へは水を打って掃除も届き、奥には稽古を仕舞って大伴蟠龍軒兄弟が酒宴《さかもり》をしている。姑《しばら》くして「玄関に取次《とりつぎ》があるよ、安兵衞《やすべえ》」
 安「へー」
 つか/\と和田安兵衞が取次に出ました。と見ると文治郎水色に御定紋染《ごじょうもんぞめ》の帷子《かたびら》、献上博多の帯をしめ、蝋色鞘《ろいろざや》の脇差、其の頃|流行《はや》った柾《まさ》の下駄、晒《さらし》の手拭を持って、腰には金革《きんかわ》の胴乱を提《さ》げ、玄関に立った姿は誰《たれ》が見ても千石以上取る旗下《はたもと》の次男、品《ひん》と云い愛敬と云い、気高《けだか》いから取次の安兵衞は驚いて頭を下げ、
 安「何方様《どなたさま》から」
 文「手前は業平村に居ります浪島文治郎と申しますえー粗忽《そこつ》の浪士でござるが、先生にお目通りを願いたく態々《わざ/\》出ました」
 安「少々お控え下さい」
 とつか/\奥へ行《ゆ》くと、頻《しき》りに酒を飲んでいる。
 安「先生、浪島文治郎という業平村に居ります者が先生にお目通り願いたいと申します」
 蟠「どんな奴だ」
 安「へー、誠に好《い》い男で、どうも色の白いことは役者にもありません、眼の黒い眉の濃い綺麗な男で、水色の帷子を着て旗下の次三男と云う品《ひん》でげす」
 蟠「そんな事はどうでも宜い…蟠作、浪島とはなんだ」
 蟠作「兄上、予《かね》て聞きましたが浪島文治郎と云うは浪人者で、何か侠客《きょうかく》とか云う、町人を威《おど》し、友之助のことに世話をする奴で、友之助の事に就《つ》いて掛合に参ったのでございましょう」
 蟠「あゝそうか」
 崎「先生、それでございますよ、参ったら油断してはいけません、怖い奴です、見た処は虫も殺さぬような、しと/\ものを言うが、一つ反対返《でんぐりかえ》ると鬼を見たような奴です、お村を取還《とりかえ》しに来たって貴方はいと云っては親子のものが困りますから、どうかして下さいよ、お村逃げな/\」
 蟠「はアそれは面白い、酒の肴に嬲《なぶ》ってやろう、呼べ/\」
 と悪い所へ参りました。文治郎は案内に連れられまして奥へ通りますと、道場の次の座敷の彼《か》れこれ十畳もあります所へ、大いなる盃盤《はいばん》を置きまして、皆《みん》な稽古着に袴を着けまして酒宴をして居ります。大伴蟠龍軒の次に蟠作が坐り、其の次にお村が坐りまして、其の次にお崎|婆《ばゞあ》が猫脊になって坐って居《お》る、外《ほか》に門弟が四五人居ります。襖を隔《へだ》って文治郎が両手を突いて叮嚀《ていねい》に挨拶を致します。
 蟠「さア、どうぞこれへ這入って下さい、其処《そこ》じゃア御挨拶が出来ぬ故|何卒《どうぞ》此方《こっち》へ這入って下さい、此の通り今稽古を仕舞って一杯初めた処で、甚だ鄙陋《びろう》な体裁《ていさい》で居《お》るが、どうぞ無礼の処はお許し下すって、これへお這入り下さい」
 文「へー初めまして、えー業平村に居ります浪島文治郎と申す至って粗忽の浪士、お見知り置かれて此の後《のち》とも幾久しく御別懇に願います」
 蟠「御叮嚀の御挨拶、手前は大伴蟠龍軒と申す武骨者、此の後《ご》とも御別懇に願う……これは手前の舎弟でござる、蟠作と申す者、どうぞお心安く願います」
 蟠作「初めまして、手前は蟠作と申す者、予《かね》て雷名|轟《とどろ》く文治郎殿、どうか折《おり》があらばお目に懸りたいと思っていたが、縁なくして御面会しなかったが、能《よ》うこそ御尊来で、予てお噂に聞きましたが、大分《だいぶ》どうも何《なん》だね、お噂よりは美くしいね」
 怪《け》しからぬことを言う奴と思ったが文治郎は、
 文「えー、今日《こんにち》お目通りを願いたい心得で罷《まか》り出ましたが、御不在であるかお逢いはあるまいかと実は心配致して参りましたが、お逢い下すって誠に此の上も無《の》う大悦《たいえつ》に存じます、少々仔細あって申し上げたい儀がございまして罷り出ましたが、大分お客来《きゃくらい》の御様子、折角の御酒宴のお興を醒《さま》しては恐入りますが、御別席を拝借致して先生に申し上げたいことがありまして」
 蟠「いゝえ、なに別席には及ばぬ、これは門弟だから心配には及びません、直《す》ぐにこれで逢う方が却《かえ》って宜《よ》い、何《なん》なりと遠慮のう直ぐにお話し下すって」
 文「左様なれば申し上げますが、他《ほか》の儀ではございませんが、紀伊國屋友之助の儀に付いて罷《まか》り出ました」
 蟠「成程、何しろ席が遠くて話が出来ぬ、遠慮してはいかぬ、此方《こっち》へ這入って下さい、剣術遣いでも野暮《やぼ》に遠慮は入りません、丁度相手欲しやで居りました、どうかこれへ」
 文「御免下さい」
 と這入ろうとしたが、關兼元の脇差は次の間へ置いて這入らなければなりませんが、若《も》し向うが多勢《たぜい》で乱暴を仕掛けられた時は、止《や》むを得ず腰の物を取らんければならぬ、其の時離れていては都合が悪い、それゆえ襖の蔭へ置きまして、余程|柄前《つかまえ》が此方《こっち》へ見えるようにして、若し向うで愈々《いよ/\》斬掛《きりか》けるようなる事があると、坐ったなりでずうっと下《さが》り、一刀を取って抜こうと云う真影流の坐り試合、油断をしませんで襖の所へ置いて掛合うという危険《けんのん》な掛合でございます。
 文「只今申上げました紀伊國屋友之助は図らずも御当家へお出入になりましたことは此度《こんど》始めて承わりましたが、不思議の縁で昨年来よりして手前|店請《たなうけ》になって駒形へ店を出させました廉《かど》もございましたが、久しく音信《いんしん》もございません、銀座へ越します時も頓《とん》と無沙汰で越しました、然《しか》る処、昨夜吾妻橋を通り掛りますると、友之助が吾妻橋の中央より身を投げようと致す様子、狂気の如く相成って居ります故、引留《ひきと》めて仔細を聞くと、御当家様へお出入になり、長らく御贔屓《ごひいき》を戴き先月御当家様で金子百両借用致して、其の証文|表《おもて》に金子滞る時は女房お村を妾に差上げると云うことが書いてあり、金子の返金滞ったによって女房お村をお取上《とりあげ》になってお返しがない、それ故に驚き、金子才覚して持って参りました所が、金子もお村もお取上で、お返しならぬ上御打擲になり、剰《あまつさ》え御門弟|衆《しゅ》が髻《もとゞり》を取って門外へ引出し、打ち打擲して割下水へ倒《さか》さまに投入《なげい》れられ、半死半生にされても此方《こっち》は町人、相手は剣術の先生で手向いは出来ず、如何《いか》にも残念だから入水《じゅすい》してお村を取殺《とりころ》すなどと狂気《きちがい》じみたことを申し……それはまア怪《け》しからぬこと、音に聞えたる大伴の先生故、町人を打ち打擲などをすることはない筈《はず》、又女房を金の抵当《かた》に取るなどと端《はした》ないことはなさる筈がない、そんなことは下々《しも/″\》ですること、先生はよもや御得心のことではあるまい、何か頓と分りませんから、一応先生に承わって当人へ篤《とく》と意見を申し聞かせまする了簡で罷り出ました、えい友之助の悪い廉《かど》は私《わたくし》当人になり代りましてお詫を致しますが、どのような仔細あってでございますか一応仰しゃり聞けられますれば有難い事で」
 蟠「成程、片聞《かたきゝ》ではお分りもございますまいが、これは斯《こ》う云う訳で、これに蟠作も聞いて居《お》るが、此の二月から出入させます紀伊國屋友之助は至って正道《しょうどう》らしく、深く贔屓にして、蟠作も袋物が好《すき》で、私も好だから詰らぬ物を買い、遂に馴染になり、心安だてが過ぎ、手前方へ来る阿部忠五郎と申す者が碁を打つと友之助は飯より好と云うので、酒の場で碁を打ってな陰気だから止せ/\と云うのも肯《き》かず遂に勝負に時を移し、賭となり金を賭けた処友之助が負けたから、金を貸せ/\と云い、纒《まと》まった大金だからどうも貸し悪《にく》い、間違いもあるまいが証文を入れろと云ったら、別に書入れる物はござらぬから、手前命より大切なものは女房のお村でございますから、お村を書入れましょうと云い、馬鹿々々しい訳だけれども、まさか金を返さぬ気遣《きづか》いもあるまいが、蟠作に話しをし、証文は取るに足らぬが、人間は心と心を見ぬいた上金を遣《や》り取りすべきであるから、どうでも宜しいと云うと、当人が阿部忠五郎に証文を書いて貰い、印形を捺《お》して証文を置放《おきぱな》しにして帰ったが、金は返さず、当人も間《ま》が悪いと心得たか、十五日に女房お村を連れて来て、置放しに帰った切り、頓《とん》と参りません、どうしたかと思って居《お》ると、昨日《きのう》突然参ってお村を返せと云うから、お村は返さぬでもないが金を返せと云うと、いゝえ金は返されません、お村を返せと云うから、お村を返すには金を取らぬければ、なんぼ兄弟の中でも私《わし》が請人《うけにん》だから金を出せと云う争いから、狂気《きちがい》見たように猛《たけ》り立って、私《わし》を騙《かた》りだ悪党だと大声《たいせい》を発して悪口《あっこう》を言うので、門弟どもが聞入れ、師匠を騙りだの悪党だのと云っては捨置れぬと、髻《もとどり》を取って引出し打擲したと聞いたから、後《あと》でまア弱い町人を其様《そんな》にせぬでも宜《よ》いと小言を云い聞かせて置きました、何も仔細はない、怪《け》しからぬことで」
 文「どうも御贔屓になりましたる先生のことを騙りなどと悪口《あっこう》するとは不埓至極な奴、大方《おおかた》友之助は食酔《たべよ》って前後も打忘《うちわす》れ、左様なる悪口を申したに相違ございません、友之助の不埓は文治郎なり代りましてお詫申しますが、元々お出入のことでございますから、友之助の妻《さい》お村は友之助へお返し下さるようになりましょうか」
 蟠「あゝ返しますとも、外《ほか》ならぬ文治郎殿がお出《いで》になったことだから、あいと二つ返事で返さなければならぬ、速《すみや》かにお返し申します」
 さき「誠にどうも貴方困りますね、貴方方《あなたがた》が左様《そう》仰しゃって下さると、私とお村が困ります、迷惑致します……えー文治郎さん、お前はなんぞと云うと友之助のことにひょこ/\出て来るが、どう云う縁か知りませんが、去年の暮お村を友之助に遣れというから、私は一人娘で困ると云ったら、私の胸倉《むなぐら》を取って咽喉《のど》をしめて、遣らぬと締め殺すと云ったが、何処《どこ》の国に娘の貰い引《ひき》に咽喉を締める奴がありますか、私も命が欲しいからはいと云って遣ったら、五両ずつ月々小遣を送ると嘘ばかり吐《つ》いて、何《なん》にも送りはしません、其の上友之助は大事の娘を何故|此方様《こちらさま》へ金の抵当《かた》に置いた、今私が遣るの遣らぬのと云えばお前は咽喉を締めもするだろう、弱い婆《ばゞ》ばかりなれば締めるだろうが、此処《こゝ》では締められまい、さア締めるなれば締めて見ろ、遣らぬと云ったら遣らぬ、締めるとも殺すともどうでもしなせえ」
 文「それはお母《っかあ》、遣る遣らぬは後《あと》の話、お前に相談するのではない、先生との話だからそれは後の話にして下さい」
 蟠「控えて居《お》れ、遣る遣らぬは当人同士の話にするが宜《よ》い、私《わし》は私《わし》で文治郎殿と話をする、のう文治郎殿、さアお返し申すと云ったら一時《いっとき》も待たぬ、速《すみや》かに返す、其の代り友之助の借りた金は掛合人のお前が償って返すだろうね」
 文「昨日友之助が百金返金になって居ります筈で」
 蟠「百両ではありません三百両です、これ証文箱を出せ……これに書いてある此の証文を御覧《ごろう》じろ、此の通り書いたものが物を云う、三百両と書いてありましょう」
 文「少々拝見致します」
 と文治郎は手に取って見ると、成程友之助の云う通り金の字と百の字との間に無理に押込んだ三の字が平ったくなっている、不届至極の奴と
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