郎の所に居ては貴様の為にもならん、さア大事は小事より起るの譬《たとえ》で、片時《かたとき》も置くことは出来ん、出て往《ゆ》け」
 森「何《ど》うか御勘弁を」
 文「ならん、二|言《ごん》は返さん、只今出て往け」
 森「大失策《おおしっさく》をやった、大違《おおちげ》えをやったなア、考えて見りゃア成程|何《ど》うも主《ぬし》ある女の処から艶書《ふみ》なんぞを持って来《き》ちゃア済まねえ、旦那には御恩になっても居りますし、人中《ひとなか》へ出て森|兄《あに》いと云われるのも旦那のお蔭でござえやすから何《ど》うか人間になりてえと思って、旦那の側に居りやすが、御恩送りは出来ねえから身体のきくだけは稼《かせ》いで御恩返《ごおんげえ》しをしようと思って、親爺《おやじ》の葬式《とむらい》まで出してくだすった旦那の側を離れたくねえから、若《も》し知らねえ御新造が来て、森松なんぞのような働きのねえものを置いちゃアいけねえと云われて、逐出《おいだ》されでもするかと思うから、何《ど》うかいゝ御新造をお持たせ申してえと思っている処へ、話があったからうっかりやったんで、今逐出されると往《ゆ》き処がねえから、仕方なく又悪い事を始めて元の森松になるとしょうがねえから、堪忍して置いておくんなせえ、これから気を注《つ》けやすから」
 文「往き処のない者を無理に出て往けとは云わんが、能《よ》く考えて見ろ、藤原の女房を私《わし》が家内にして為になると心得て居《お》るか、それが分らんと云うのだ、藤原が右京の屋敷を出たのも彼《あ》の女の為に多くの金を遣《つか》い果し今は困窮して旦《あした》に出て夕《ゆうべ》に帰る稼ぎも、女房《にょうぼ》や母を糊《すご》したいからだ、其の夫の稼いだ金銭を窃《くす》ねて置けばこそ、手前に酒を飲ませたりすると云う事が分らんかえ、痴漢《たわけ》め」
 森「分らねえから泡《あわ》アくって仕舞ったので、その文《ふみ》を返《けえ》しましょうか」
 文「これは己が心あるから取り置く」
 と文治の用箪笥《ようだんす》の引出へ仕舞い置きましたのは親切なのでございます。左様なことは知らんから、おあさの方では返事が来るかと思って何をするにも手に付かず、母に薬もやらず、お飯《まんま》も碌々食べさせないから饑《ひも》じくなって、私にお飯《まんま》を食べさせておくれと云うと皿小鉢《さらこばち》を叩き付ける。藤原が帰って来て其の事を母が話すと、
 あ「いゝえお母《っか》さんは今日は五度《いつたび》御膳を食《あが》って、終《しま》いにはお鉢の中へ手を突込《つッこ》んで食《あが》って、仕損《しそこ》ないを三度してお襁褓《しめ》を洗った」
 などと云うと、元より誑《たぶら》かされているから、
 藤「お母《っか》さん、そんな事をなすっては宜しくありません、えゝ」
 と云って少しも構いませんから、隣近所から恵んでくれる食物《たべもの》で漸《ようや》く命を繋《つな》いで居ります。或日の事、おあさが留守だから隣にいる納豆売の彦六《ひころく》が握飯《むすび》を拵《こしら》えて老母の枕許《まくらもと》へ持って来て、
 彦「御隠居さま、長らく御不快で嘸《さぞ》お困りでしょう、今お飯《まんま》を炊いた処が、焦《こげ》が出来たから塩握飯《しおむすび》にして来ましたからお食《あが》んなさい」
 母「有難うございます、あなた様、彼《あれ》が私を※[#「※」は「しょくへん+曷」、130−6]《ほし》殺そうと思って邪慳《じゃけん》な奴でございます、藤原も彼《あ》んな奴ではございませんでしたが、此の頃は馴合《なれあ》いまして私を責め折檻《せっかん》致します、余《あんま》り残念でございますから駈け出して身でも投げたいと思っても足腰が利かず、匕首《あいくち》を取出して自害をしようと思いましても、私の匕首までも質に入れてございません、舌を食い切って死のうと思っても歯はございませんし、こんな地獄の責《せめ》はございませんから私は喫《た》べずに死にます」
 彦「そんなことを云ってはいけません、さアお食《あが》んなさい」
 と云われ元は二百六十石も取りました藤原の母ががつ/\して塩握飯を食べて居ります処へ、帰って来たのはおあさで、
 あ「お出《いで》なさい」
 彦「いやこれは」
 あ「お母《っか》さん又お鉢の中へ手を突込んで仕損《しそこな》いをすると私が困りますから」
 彦「あゝ御新造さんこれは私《わし》が持って来たので、お母《っか》さんがお鉢から食べたのではありません」
 あ「へえお前さんは能く持って来て下さるが、仕損いをするとしょうがないから上げないのに、何故《なぜ》持って来て食わせるんだえ、私共は浪人しても武士だよ、納豆売|風情《ふぜい》で握飯《にぎりめし》を母へくれるとは失礼な人だ」
 彦「これは失礼しました、斯《こ》うやって同じ長屋にいれば、節句銭《せっくせん》でも何《なん》でも同じにして居ります、お前さんの所が浪人様でも、引越《ひっこ》して来た時は蕎麦《そば》は七つは配りゃアしない、矢張《やっぱ》り二つしか配りはしないじゃないか、お母さんは仕損いも何もなさりはしないのに、旦那が知らないと思って、種々《いろ/\》な事を云って旦那を困らして、お前さんはお顔に似合わない方です」
 あ「顔に似合うが似合うまいが大きにお世話だ、さっさと持ってお帰り」
 と云いながら、握飯《むすび》をポカーリッと投《ほう》り付けました。
 彦「何をするんです、勿体《もってえ》ねえや、ムニャ/\/\持って来たってなんでえ」
 あ「お母様《っかさま》、あなたは納豆売風情に握飯を貰って食《あが》りとうございますか、それ程食りたければ皿ごと食れ」
 と云いながら入物《いれもの》ごと投《ほう》り付けましたが、此の皿は度々《たび/\》焼継屋《やきつぎや》の御厄介になったのですから、お母《ふくろ》の禿頭《はげあたま》に打付《ぶッつか》って毀《こわ》れて血がだら/\出ます。口惜《くやし》くって堪《たま》らないからおあさの足へかじり付きますと、ポーンと蹴《け》られたから仰向《あおむけ》に顛倒《ひっくりかえ》ると、頬片《ほっぺた》を二つ三《み》つ打《ぶ》ちました。
 彦「あゝ驚いた、こんな奴を見たことはない、鬼だ/\」
 と云いながら彦六は迯《にげ》帰って此の事を長屋中へ話して歩きまして、長屋中で騒いでいるのが文治の耳へ入ると、聞捨てになりませんから、日の暮々《くれ/″\》に藤原の所へ来て、
 文「はい御免なさい」
 と云われおあさは惚れている人が来たから、母を折檻した事を取隠《とりかく》そうと思って、急に優しくなって、
 あ「お母《っか》さん浪島の旦那様が入っしゃいましたよ、能く入っしゃいました、能くどうも、さア此方《こちら》へ」
 と云うおあさの方を見返りも致さんで、老母の枕許《まくらもと》へ来て、
 文「御老母様、手前は浪島文治でございます、あなたは鬼のような女に苛《ひど》い目に遇《あ》って、嘸《さぞ》御残念でございましょう、只今私が敵《かたき》を討って上げます」
 と云っておあさの方を向き、
 文「姦婦《かんぷ》これへ出ろ」
 と云う文治の権幕《けんまく》を見ると、平常《へいぜい》極《ごく》柔和の顔が、怒《いかり》満面にあらわれて身の毛のよだつ程怖い顔になりました。
 文「姦婦助けは置かん」
 と云いながらツカ/\と立って表の戸を締めたから、
 あ「アレー」
 と云って逃げようとするおあさの髻《たぶさ》を取って、二畳の座敷へ引摺《ひきず》り込み、隔《へだて》の襖《ふすま》を閉《た》てましたが、これから如何《いかゞ》なりましょうか、次回《つぎ》に述べます。

  九

 文治は突然《いきなり》おあさの髻《たぶさ》を取って二畳の座敷へ引摺り込み、此の口で不孝を哮《ほざ》いたか、と云いながら口を引裂《ひっさ》き肋骨《あばらぼね》を打折《ぶちお》り酷《ひど》い事をしました。暫《しばら》くすると障子を開け、顔色を変えて出て参り、老母の前に手をついて、
 文「お母《っか》さま、あなたの禍《わざわい》は文治郎が只今断ちました、喜代之助殿お帰りがあったら、文治郎が参って御家内を手込みに殺しましたと左様お仰《っし》ゃって下さい、嘸《さぞ》貴方《あなた》は御残念でございましたろう、早く御全快になって些《ち》とお遊びに入っしゃい、左様なら」
 と云って帰ったから、母親は驚いている処へ藤原喜代之助が帰って参り、右の次第を聞き、怒《おこ》ったの怒らないのと云うのではありません。予《かね》て文治と云う奴は、腕を突張《つッぱっ》て喧嘩の中や白刃《はくじん》の中へ飛込むと云う事は聞いて居《お》ったが、仮令《たとえ》何《ど》のような儀があっても人の女房を手ごめに殺すとは捨置きにならん、拙者も元は右京の家来、二百六十石を取った藤原喜代之助、此の儘捨置きにはならん、と云って大小を取出し、黒ペラの怪しい羽織を着、顔色変えて文治郎方の玄関へ係り、
 喜「頼む/\」
 森「お出でなせい、何《なん》でげす」
 と藤原の顔を見ると様子が違っているから、少し薄気味が悪くなり、後《あと》に下って、
 森「あの/\生憎《あいにく》旦那はお留守でござえやすが、何《なん》の御用ですか」
 喜「御不在とあらば止《や》むを得ん、御老母様にお目に懸りたい、藤原喜代之助でござる、御免を蒙《こうむ》る」
 と云いながら提《ひっさ》げ刀《がたな》でズーッと通りましたから、森松は文《ふみ》の取次をした事が露顕したか、立花屋で御馳走になって二分貰った事が顕《あら》われやしないかと思って気を揉《も》んでいると、喜代之助は老母の前へピタリッと坐ったが、老母には様子が分りませんから、
 母「おや/\これは好《よ》くいらっしゃいました、生憎文治郎は不在でございますが、何御用でございますか、私《わたくし》迄御用向を仰しゃり聞けを願います、お母様《かゝさま》も御不快の御様子でございまして、一寸《ちょっと》伺いたく思いましたが、私《わたくし》も寄る年で出無性《でぶしょう》になりまして、つい/\伺いませんがお加減は如何《いかゞ》でございます」
 喜「はい、御老母様のお耳に入れるのも些《ち》とお気の毒だが、今日《こんにち》手前家内あさが母に対して不孝を致したでござる、然《しか》るところ文治郎殿がおいでになって、不孝な奴だと云って口を引裂《ひっさ》き、肋骨を打折《ぶちお》り、打殺《うちころ》してお帰りになったが怪《け》しからぬ訳じゃアございませんか」
 母「はい、それはまア飛んだ訳で、何《なん》とも申そう様《よう》がございません」
 喜「手前も驚きました、なにそれは殺しても宜しい、はい殺しても宜しい訳があればこそ殺したろう、文治郎殿も気狂《きちが》いでないから主意があって殺したろうから、主意が立てば宜しいが、主意が立たんければ手前も武士でござる、文治郎殿の首を申受ける心得で参った、はい」
 母「誠に何《なん》とも申そう様もございません、嘸《さぞ》御立腹でございましょう、彼《あ》の通りの者で、やゝも致しますると人様に手出しを致す事がございまして、若年《じゃくねん》の折柄《おりから》確《しか》と意見を致したことはございましたが、此の度《たび》の事には実に呆《あき》れ果てまして何《なん》ともお詫のしようがございません、彼《あ》の様な乱暴な子を持った母は嘸心配であろうと私《わたくし》の心を御不愍《ごふびん》に思召《おぼしめ》して、御内聞のお話にして下されば多分の貯《たくわ》えもございませんが、所持して居ります金子は何程でもあなた様へ」
 喜「いえ/\お黙りなさい、お前さんも武士の家にお生れなすった方ではないか、金を貰って内済に出来ますか、只主意が立てば宜しい、はい主意が立たんければ家内あさの命と文治郎殿の命と取換《とりかえ》るばかりで、はい」
などと顔色を変えている処へ文治郎が帰って参りました。
 森「旦那、うっかり入《へい》っちゃアいけませんよ」
 文「何を」
 森「お前さんは大変な事をやって、驚きましたねえ、私《わっ
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