偖《さて》本所松倉町なる小野庄左衞門の浪宅へ、大伴蟠龍軒《おおともばんりゅうけん》と申しまする一刀流の剣術遣いの門弟和田原八十兵衞と、秋田穗庵という医者が参り、娘お町をくれろとの掛合《かけあい》になりましたが、庄左衞門は堅いから向うで金を出したのを立腹して、一言二言《ひとことふたこと》の争《あらそい》より遂にぴかつくものを引抜き、狭い路地の中で白昼に白刃《はくじん》を閃《ひらめ》かし、斬合うという騒ぎに相成りましたから、裏長屋の者は恟《びっく》り致し、跣足《はだし》で逃げ出す者もあり、洗濯|婆《ばあ》さんは腰を抜かし、文字焼《もんじやき》の爺《じい》さんは溝《どぶ》へ転げ落るなどという騒ぎでございます。文治郎は短かいのを一本差し日和下駄を穿き、樺茶色《かばちゃいろ》の無地の頭巾を眉深《まぶか》に被《かぶ》って面部を隠し、和田原八十兵衞の利腕《きゝうで》を後《うしろ》からむずと押え、片手に秋田穗庵が鉈のような恰好《かっこう》で真赤に錆びたる刀を振り上げた右の手を押えながら、
文「暫く/\何卒《どうぞ》暫くお待ちください、何事かは存じませんが、まア/\お話は後《あと》で分りまする事
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