不届き至極な奴だ」
 と云いながら、突然《いきなり》國藏の胸《むな》ぐらを取って、奥座敷の小間へ引摺り込みましたが、此の跡はどう相成りましょうか、明晩申し上げます。

  二

 男達《おとこだて》と云うものは寛永《かんえい》年間の頃から貞享《ていきょう》元禄《げんろく》あたりまではチラ/\ありました。それに町奴《まちやっこ》とか云いまして幡隨院長兵衞《ばんずいいんちょうべえ》、又は花川戸《はなかわど》の戸澤助六《とざわすけろく》、夢《ゆめ》の市郎兵衞《いちろべえ》、唐犬權兵衞《とうけんごんべえ》などと云う者がありまして、其の町内々々を持って居て、喧嘩《けんか》があれば直《すぐ》に出て裁判を致し、非常の時には出て人を助けるようなものがございましたが、安永年間には左様なものはございません。引続きお話申します業平文治は町奴親分と云うのではありません、浪人で田地《でんじ》も多く持って居りますから活計《くらし》に困りませんで、人を助けるのが極く好きです。尤《もっと》も仁を為せば富まず、富を為せば仁ならずと云って、慈悲も施し身代《しんだい》も善くするというは中々むずかしいことでありますが、文治は
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