そうか、明日は迯《に》げようかと思った事もあったけれど、外《ほか》に身寄親類もないから駈出しても往《ゆ》き処《どこ》がない私ゆえ堪《こら》えてはいましたが、今日という今日は真に辛いから私は駈出して、身を投げて死にますよ」
 月「馬鹿な事をお云いでないよ、私が悪かった、お母さんの前で直《すぐ》に彼《あ》の事を云わなければ宜《よ》かった、私は蔭でチラリと聞いたのだが、お前は友之助《とものすけ》さんとは深い中で、それがため義理の悪い借金も出来ているから、結局《つまり》二人で駈落《かけおち》などいう軽卒《かるはずみ》な事でもしやしないか、困ったものだと云う事が私の耳に入っているが、私も兄弟は無し、心細いから平常《ふだん》親切にしておくれのお前と、末々まで姉妹分《きょうだいぶん》になりたいと思う心から案じているのだが、それは厭に違いはないが、友さんの為なら厭な旦那もお取りかと私は考えてるが、友之助さんの為だと諦めて舎弟の云う事を聞けば、纒《まと》まったお金を幾らか私が貰って上げるから、それで内証《ないしょ》の借金を払い、二百両か三百両の金を友さんにも遣り、借金の方《かた》を附け、可なり身形《みなり》を拵《こしら》え、時々は私が騙《だま》かして拠《よんどころ》ないお座敷で帰りが遅くなると云って上げるから、厭でもあろうが只《たっ》た一度、舎弟と枕《まくら》を並べて寝て遣れば、どんなに悦ぶか知れない、それは厭だろうが、其の時は私が密《そっ》と友さんを他《ほか》に呼んで置いてお前に逢わせ、口直しを拵えて置くからねえ、私も責められて困るからよ」
 村「はい/\姉さん私も友之助さんに対して旦那を取っては済まず、又私が身を斬られるほど辛いけれども、姉さんの折角のお頼みと云い、お母さんの様子では女郎《じょうろ》にも売り兼ねやアしまいから、死んだ心になって旦那を取りましょうよ」
 月「おや本当に、どうもまア好《よ》く諦らめておくれだ、本当に可愛そうだけれども、じゃア其の積りだよ」
 と云いながら慌てゝ音のするように梯子《はしご》を降りて参り、おさきに向い、
 月「私が段々話をした処が、済まなかった、随分|宜《よ》い人だと思っていたが、まさかにお母さんの前で旦那が取りたい惚れているとも云いにくいから、しぶ/\していて、打《ぶ》たれるだけが損だったと云っているから、お前も機嫌を直して可愛相だから優しく云ってお遣《や》りよ」
 さ「おや/\そうかえ、まア誠に有難いこと、姉さんの云う事は肯《き》き、私の云う事は肯かないのだもの、それも姉さんのお蔭さ、お前はいつも若いよ、お月さん幾つ」
 月「十三七ツが聞いて呆れる」
 さ「お湯に往《い》くなら私も一緒に往こう」
 と嬉し紛れにおさきはお月と諸共《もろとも》に出て往《ゆ》く。後《あと》にお村は硯箱《すゞりばこ》を引寄せまして、筆を取り上げ、細々《こま/″\》と文を認《したゝ》め、旦那を取らなければ母が私を女郎《じょろう》にしてしまうと云うから、仕方なしに私は吾妻橋から身を投げて死にますから、其の前に一目逢いたいから、お店《たな》を首尾して廿五日の昼過に、知らない船宿から船に乗り、代地《だいち》の川長《かわちょう》さんの先の桐屋河岸《きりやがし》へ来て待っていてくれろという手紙を認《したゝ》めて出しましたから、友之助は大きに驚き、主人の家を首尾して抜け出し、廿五日の昼頃船を仕立てゝ桐屋河岸に待って居りました。

  五

 引続きまする業平文治のお話は些《ち》と流行遅れでございまして、只今とは何かと模様が違います。当今は鉄道汽車が出来、人力車があり、馬車があり、又近頃は大川筋へ川蒸気が出来て何もかも至極便利でありますが、前には左様なものがありませんから、急ぐ時は陸《おか》では駕籠《かご》に乗り川では船に乗ることでありましたが、お安くないから大抵の者は皆歩きました。只意気な人は多く船で往来致しましたから、舟が盛んに行われました。扨《さて》友之助は乗りつけの船宿から乗っては人に知られると思うから、知らない船宿から船に乗って来て桐屋河岸に着けて船首《みよし》の方を明けて、今に来るかと思って煙草を呑みながら時々亀の子のように首を出して待ちあぐんでいると、お村は固《もと》より死ぬ覚悟でございますから、鳥渡《ちょっと》お参りの姿《なり》で桐屋河岸へ来て、船があるかと覗《のぞ》いて見ると、一艘《いっそう》繋《つな》いであって、船首の方が明いていて、友之助が手招ぎをするから、お村はヤレ嬉しと桟橋《さんばし》から船首の方へズーッと這入《はい》ると、直《すぐ》に船頭さん上流《うわて》へ遣っておくれと云うので河岸を突いて船がズーッと右舷《おもかじ》を取って中流へ出ます。そうするとお村は何《なんに》も言わずに友之助の膝《ひざ》に取付き、声を
前へ 次へ
全81ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング