殊《こと》に見ず知らずの者に四十金恵んで下さるとは何たる慈悲深い人だろうと、我を忘れて惚れ/″\と見惚《みとれ》て居りまして、思わず知らず菓子の包みをバタリッと下に落しました。
森「姐《ねえ》さん落しちゃアいけねえぜ、折角お呉れなすッたのだから」
娘「はい」
と云って羞かしいから真赤になって立上るを、
文「姉さん、帰るんならどうせ通道《とおりみち》だから送って上げよう、大きに御厄介《ごやっかい》になりました、明日《あした》来て奉公人や何かへ詫《わび》をしましょう」
亭「どう致しまして、明日《みょうにち》またお母様《っかさま》へお肴を上げますから」
文、森「左様なら」
と娘と連れ立って松倉町の角《かど》まで来ました。
娘「有難うございます」
文「それでは明日《あした》往《ゆ》きますよ」
娘「有り難うございます/\」
と云って幾度も跡を振り返って見ますのは、礼が云いたいばかりではない、文治の顔が見たいからでございます。
娘「有り難うございます/\」
と云いながら曲り角などはグル/\廻りながら礼を云いますから、
森「旦那|美《い》い女ですなア」
文「貴様は女の美いのばかり賞《ほ》めているが、顔色容貌《かおかたち》ばかりではない、親に孝行をすると云う心掛が善《い》いなア」
森「そうですなア、心がけがいゝねえ」
文「どうも屋敷育ちは違うなア」
森「屋敷育ちは違いますなア」
文「金も受けない所がえらい」
森「金を受けないところがえらい」
文「感心だ」
森「感心だ」
文「同じ事ばかり云うな」
と話をしながら橋を渡って来ると、向うから前橋《まえばし》竪町《たつまち》の商人《あきんど》が江戸へ商用で出て来て、其の晩|亀戸《かめいど》の巴屋《ともえや》で友達と一緒に一杯飲んで、折《おり》を下げていたが酔っているから振り落して仕舞って、九五縄《くごなわ》ばかり提げ、相合傘《あい/\がさ》で踉《よろ》けながら雪道の踏堅めた所ばかり歩いて来ますが、ヒョロリ/\として彼方《あっち》へ寄ったり此方《こっち》へ寄ったり、ちょうど橋詰まで来ると、此方から参ったのは剣術|遣《つか》いのお弟子と見えて奴《やっこ》蛇《じゃ》の目《め》の傘をさして来ましたが、其の頃町人と見ると苛《ひど》い目に合わせます者で、
士「さア除《ど》け/\素町人《すちょうにん》除け」
と云うから見ると士《さむらい》だから慌てゝ除《よ》けようと思うと、除ける機《はずみ》にヒョロ/\と顛《ころが》ります途端に、下駄の歯で雪と泥を蹴上《はねあ》げますと、前の剣術遣いの襟《えり》の中へ雪の塊が飛込みましたから、
士「あゝ冷たい、なんたる奴だ、あゝ冷たい/\、これ町人倒れたぎりで詫を致さんな、無礼至極な奴だ、何《なん》と心得る、返答致せ」
と云われ漸《ようや》く頭を挙げて向うを見てもドロンケンだから分りません。
商「誠に大変酔いまして、エー何《なん》とも重々恐れ入りやした、田舎者で始めて江戸へ参《めえ》りやして、亀井戸へ参詣して巴屋で一|杯《ぺい》傾けやした処が、料理が佳《い》いので飲過ぎて大酩酊《おおめいてい》を致し、足元の定《さだま》らぬ処から無礼を致しやして申し訳がありやせん、どうか御勘弁を願いやす」
士「なんだ言訳に事を欠いて巴屋でやり過ぎたとはなんだ」
商「些《ち》とやり過ぎやした、どうも巴屋はなか/\旨く食わせやすなア」
士「言訳をするのに巴屋はなか/\旨く食わせるなどとは不埓《ふらち》な申分《もうしぶん》、やい其処《そこ》に転がっているのは供か連れかなんだ」
商「ヒエイ」
と頭は上げましたが舌が少しも廻りません。
商「エーイ主人がね此方《こっひ》へ除《よ》えようとすう、て前《もえ》も此方《ほっひ》へ除《お》けようとする時に転《ほろ》がりまして、主人の頭と私《うわし》の頭と打《ぼつ》かりました処が、石頭《ゆいあさま》で痛《いさ》かった事、アハア冷《しべ》てえや」
士「こんな奴は性《しょう》のつくように打切《ぶったぎ》った方が宜しい、雪へ紅葉《もみじ》を散してやりましょう」
士「それが宜しい、遣って仕舞いましょう」
と云う声を聞いて両人《ふたり》とも真青になって、雪の中へ頭を摺り付け、
商「何卒《どうぞ》御勘弁なすって下さいまし/\」
士「勘弁はならん、切って仕舞う」
と云うのを文治が塀のところで見て居りましたが、
文「森松悪い奴だのう」
森「何《なん》です、雪の中へ紅葉とは何の事です」
文「彼《か》の二人を切ると云うから己《おれ》が鳥渡《ちょっと》詫びてやろう」
森「お止しなさい/\」
文「どうも見れば捨置く訳にはいかんから」
と織色《おりいろ》の頭巾《ずきん》を猶《な》お深く被《かぶ》って目ばか
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