り出して士《さむらい》の中へ入り、
 文「えー御両所、此の者どもは二人共酔って居りますから、どうか免《ゆる》してやって下さい、そんなに人を無闇に切るものでは有りません」
 士「貴公はなんだ、捨ておけ、武士に向って不礼《ぶれい》至極、手打に致すは当然《あたりまえ》だわ、それとも貴公は此の町人の連《つれ》か」
 文「いゝえ通り掛りの者ですが、此の者どもを切るのは人参《にんじん》や大根を切るより易《やす》いではござらぬか、夜中《やちゅう》帯刀して此の市中を歩いて、無闇に刀を抜いて人を切るなどと云う事を仰しゃれば、先生のお名前にも係《かゝわ》りましょうから、サッサとお宅へお帰んなさい」
 士「無礼至極、不届至極な事を云う奴だ」
 文「何が不届です、斯様《かよう》な弱い奴を切るのは犬を切るのも同じ事でござる、士《さむらい》と云う者は弱い者を助けるのが真の武士、お前さん方は犬でも切って歩きそうな顔付だ」
 士「最前から聞いて居れば手前は余程《よっぽど》付け上って居《お》るな、此の町人は謂《いわ》れなく切るのではない、余り無礼だに依《よ》って向後《きょうこう》の戒《いましめ》の為|切捨《きりすて》るのだ、然《しか》るに手前は仲人《ちゅうにん》のくせに頭巾を被って居《お》るとは失礼な奴だ、頭巾を取れ」
 文「お前さんが頭巾を取って宜しかろう、仲人が来《きた》らば先《ま》ず其方《そっち》から頭巾を取って斯様々々な訳で有るからと話をすれば、仲人も頭巾を取るが、喧嘩の当人の方で被っているから仲人の方でも被っているのは当然《あたりまえ》だ」
 士「不届至極な奴だ、素町人を切るより此奴《こやつ》を切ろう」
 士「それが宜しい」
 文「これは面白い、私《わし》を代りに切って此の両人を助けて呉れゝば切られましょう、さア/\田舎のお方、早く行《ゆ》きなさい/\」
 と云うと生酔《なまよい》も酔が覚め、腰が抜けて迯《に》げる事が出来ませんで、這《は》いながら板塀の側に慄《ふる》えておりますと、剣術遣いはジリ/\ッと詰寄って参ったから、文治は油断をしませんでプツリッと長脇差の鯉口《こいぐち》を切って、
 文「さア代りに切られますが、今の両人と違って切るのは些《ちっ》とお骨が折れましょう、手が二本足が二本あって動きますから気を付けて切らんと貴方《あなた》の方の首が落ちましょう」
 士「やア此奴《こいつ》悪々《にく/\》しい奴だ、此方《こっち》で切ろうとも云わないに切られようとする馬鹿な奴だなア」
 文「さア切れる腕があるなら切って見ろ」
 士「さア切るぞ」
 と彼《か》の士が大刀の※[#「※」は「てへん+丙」、39−7]《つか》へ手を掛けて詰め寄りますから、文治は半身《はんしん》下《さが》って身構えを致しましたが、一寸《ちょっと》一《ひ》と息|吐《つ》きまして直《すぐ》に後《あと》を申し上げます。

  三

 浪島文治が本所《ほんじょう》業平橋に居りましたゆえに人|綽名《あだな》して業平文治と申しましたとも云い、又男が好《よ》いから業平文治と申したとも仰しゃる方があります。尤《もっと》も業平|朝臣《あそん》と云うお方は美男と見えまして、男の好いのは業平のようだといい女で器量の好いのを小町《こまち》のようだと申しますが、業平朝臣は東国《あずま》へお下りあって、暫《しばら》く本所業平村に居りまして、業平橋の名もそれゆえに起りましたそうでございますが、都へお帰りの時船が覆《くつがえ》って溺死《できし》されましたにより、里人《さとびと》愍《あわ》れと思って業平村に塚《つか》を建てゝ祭りました、それゆえに前には船の形を致しました石塚でありましたそうで、其の頃は毎月《まいげつ》廿五日は御縁日で大分《だいぶ》賑《にぎわ》いました由にございます。其の天神前で文治は計らずも助けました娘は、親父《おやじ》が眼病ゆえ毎夜親の寝付くを待って家《うち》を抜け出して来て、天神様へ心願を掛けましたと云う事を聞いて、文治が不憫《ふびん》と思って四十両の金を遣《や》りましたけれども、娘は堅いからとんと受けませんで、親父に手渡しにしてくれと云うから、文治も感心し、介抱して松倉町の角まで送って来ると、前《ぜん》申しました剣術遣いの内弟子でございましょう、荒々しい士《さむらい》が無法にも商人《あきんど》を斬ろうとする所ですから、文治が中へ入って和《やわ》らかに詫をすると、付けあがり、容赦はしない、打《ぶ》ち斬って仕舞うと云いながら長柄《ながつか》へ手を掛けたから、文治もプツリッと親指で鯉口を切り、一方《かた/\》の手には蛇の目の傘を持ち、高足駄《たかあしだ》を穿《は》いた儘両人の中へ割込むと、
 士「此奴《こやつ》中々出来そうな奴だ」
 と云いながら刀を抜うとする処を、文治が蛇の目の傘を以て一人の膝《
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