ら軽々と其の娘を抱いて立花屋《たちばなや》と云う小料理屋へ来ました。
 文「森松や、起して呉れ」
 と云うからトン/\トン/\と戸を叩き、
 森「おい立花屋さん起きねえか/\オイ/\」
 文「これ/\そんなに粗末に云うなよ」
 森「粗末たって起すんでさア、オイ/\火事だ/\」
 料「はい/\/\」
 と計《ばかり》云って居ります。
 森「恰《ちょう》ど馬を追っているようだ」
 料「何方《どなた》か知りませんがねえ、此の雪でお肴がありませんから、どうか明日《みょうにち》になすって下さい」
 文「私だよ、業平橋の文治郎だア」
 亭「はい/\明けますよ、これ婆さん、旦那様だよ、これサ寝惚けちゃアいけねえぜ、行燈《あんどん》を提げてぐる/\廻っちゃアいけねえって事よ」
 と云いながら戸を開けて、
 亭「おー大層降りましたなア」
 文「余程《よっぽど》積った」
 と云うのを見ると女を抱いて来ましたが、平常《ふだん》堅い文治の事だから変だと思ったが、
 亭「へゝゝゝゝ御心配はありませんから、奥の六畳は伊勢屋《いせや》の蔵の側で彼処《あすこ》は誰にも知れませんから彼処にしましょう」
 森「フム何を云うのだ、いま女が雪の中へ顛倒《ひっくりけえ》っていたのを、旦那が可愛そうだと云って連れて来たのだ、出合いじゃアねえぜ」
 亭「左様ですか、それじゃアさア/\此方《こっち》へ/\」
 と間の悪そうな顔をして座敷へ案内を致しまして、これから娘の介抱致すと、元より凍えたのですから我に返って目を開き、側を見ると燈火《あかり》が点《つ》いて、見馴れぬ人計りいるから、恟《びっく》りしてキョト/\して居りますのを文治が見ると、年齢《としごろ》十六七で、目元に愛敬のある色の白い別嬪《べっぴん》ですが、髪などは先々月の六日に結《ゆ》った儘《まゝ》で、それも髪結《かみゆい》さんが結ったのではない、自分で保《もち》のよいように結ったのへ埃《ごみ》が付いた上をコテ/\と油を付け、撫付《なでつ》けたのが又|毀《こわ》れましたから鬢《びん》の毛が顔にかゝり、湯にも入らぬと見えて襟垢《えりあか》だらけで、素袷《すあわせ》一つに結《むすび》っ玉の幾つもある細帯に、焼穴《やけあな》だらけの前掛を締めて、穢《きた》ないとも何《なん》とも云いようのない姿《なり》だが、生れ付の品と愛敬があって見惚《みと》れるような女です。
 文「美《い》い女だのう」
 森「なぜ此の位《くれえ》な顔を持っていて、穢ない姿《なり》をしているでしょう、二|月《つき》しばり位《ぐれえ》で妾《めかけ》にでも出たらば好《よ》さそうなものですなア」
 文「姉さん心配しちゃアいけません、此処《ここ》は立花屋と云う料理屋で、私《わし》はつい此の近辺の者で浪島文治郎と云う者だが、お前が天神様の前に雪に悩んで倒れている所へ通り掛って、お助け申して来て、介抱した効《しるし》があって漸々《よう/\》気がついて私《わし》も悦ばしゅうございますが、決して心配をなさいますなよ」
 森「おい姉さん、本当に旦那が介抱してやったのだから、有難いと云って礼を云いな」
 文「なぜそんな事を云うのだ、恩にかけるものじゃないわサ、もしお前さんは何処《どこ》のお方だえ」
 と問われて娘は「はい」と羞《はず》かしそうに顔を上げて、
 娘「私《わたくし》は本所|松倉町《まつくらちょう》二丁目に居ります者でございます」
 文「お前さんは此の雪の中を何の願掛《がんがけ》に行《ゆ》くのだえ、よく/\の事だろうね」
 森「姉さんなんで願掛をするんだえ、縁遠いのかえ」
 文「黙っていろよ……してどう云う訳か知らないが夜中に娘一人で斯《こ》う云う所へ来るのは宜しくないよ」
 娘「はい、親父《おやじ》が長々の眼病で居りまして、お医者様にも診《み》て貰いましたが、迚《とて》も療治は届かないと申されましたから、切《せ》めて片方《かた/\》だけでも見えるように致したいと思って御無理な願いを天神様へ致しました、それ故に寒三十日の間、毎晩お百度に参りますのでございます」
 文「へー感心な事だねえ、嘸《さぞ》御心配だろうね……それ見ろ森松、お父《とっ》さんがお眼が悪いのだって、感心じゃアないか」
 森「眼の悪いのなら多田《たゞ》の薬師が宜《よ》かろうに、天神様が眼に利きますかえ」
 文「姉さん、お前さんが斯うしてお百度に出なさる間お父さんの看病は誰がしますか、お母《っか》さんでもありますかえ」
 娘「いゝえ親一人子一人でございます、長い間の病気で薬代や何かの為に何もかも売り尽しまして、只今では雇人も置かれません故、親父を寝《ねか》しつけておいて一人で参ります」
 文「それじゃ一人のお父さんを寝かしてお前一人で此処《こゝ》へ来るのかえ、そりゃア孝行が却《かえ》って不孝になる、お前
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