事でございますならばお母様に知れませぬように、どのようにも私《わたくし》が執《と》り繕いますから、其の女中をお部屋までお呼び遊ばすようになすって下されば、お母様に知れないよう計《はから》います、実は斯うと打明けて御意《ぎょい》遊ばして下さる方が却《かえ》って私《わたくし》は有難いと存じます」
文「つまらぬことを云うね、妾や手掛の所へ行《ゆ》くに鎖帷子を着て行《ゆ》く者はありません、併《しか》しお前が来てから盃をしたばかりで一度も添寝《そいね》をせぬから、それで嫌うのだと思いなさるだろうが、なか/\左様な女狂いなどをして家を明けるような人間ではございません、言うに云われぬ深い理由《わけ》があって、どうも棄て置かれぬ、お前が左様に疑《うた》ぐるから話すが、私は義に依《よ》って夜《よ》な/\忍び込んで、若し其の悪人を討てば、幾千人の人助けになる、天下のお為になる事もあろう、それ故に母に心配を掛けないよう隠して斯うやって参る、文治郎元より一命を抛《なげう》っても人の為だ、私《わし》がお前と一度でも添臥《そいぶし》すればお前はもう他《た》へ縁付くことは出来ぬ、十七八の若い者、生先《おいさき》永き身の上で後家を立てるようなことがあっては如何《いか》にも気の毒、私《わし》が死んでお母様がお前に養子なさると云えば、一旦文治郎の女房になったと他人《ひと》は思おうとも、お前の身に私《わし》と添臥《そえぶし》をせぬと云う心に力があるから、どのような養子も出来る、添寝をせぬのは実は文治郎がお前を思う故に、情《なさけ》の心からだ、又首尾|能《よ》く為終《しおお》した上では、縁あって来た者故添い遂げらるゝこともあろうかと考える、何事も右京太夫の家来の藤原と相談してお母様を頼む、何卒《どうぞ》情《つれ》ない男と思いなさるな、天下のため命を棄てるかも知れぬから」
町「はい能く打明けて仰しゃって下すった」
と袖《そで》を噛んだなりで泣き倒れましたが、暫くあって漸々《よう/\》顔を上げまして、
町「旦那様、そう云うことなら決してお止め申しませんが、何卒《どうぞ》私《わたくし》の申しますこともお聞き遊ばして下さいまし」
文「何《なん》でも聞きます、どう云うこと」
町「はい、私《わたくし》が此方《こちら》へ参りましてから、貴方はお癇癖が起って居《お》る御様子、寛々《ゆる/\》お話も出来ませんが、貴方にお恵みを受けました親父《ちゝ》庄左衞門は桜の馬場で何者とも知れず斬殺《きりころ》されましたことは御存じございますまい」
文「えー……それは知らねど……どうも思い掛けない、何時《いつ》のことで……フーン後月《あとげつ》二十七日の夜《よ》に桜の馬場に於《おい》て何者に」
町「はい、何者とも知れません、お検死の仰しゃるには余程|手者《てしゃ》が斬ったのであろうと、それに親父《ちゝ》がたしなみの脇差を佩《さ》して出ましたが、其の脇差は貞宗でございますから、それを盗取《ぬすみと》りました者を探《たず》ねましたら讐《かたき》の様子も分ろうかと存じますが、仮令《たとえ》讐が知れましてもかぼそい私《わたくし》が親の讐を討つことは出来ませんから、旦那様へ御奉公に上って居りましたら、讐の知れた時はお助太刀も願われようかと存じ、御飯炊の御奉公に願いましたことでございます、貴方のお身の上に若しもの事がありますれば、親の讐を討ちます望《のぞみ》も遂げられまいかと存じます……そればっかりが残念でございます」
文「フーン、能く親の讐を討ちたいと云った、流石《さすが》は武士の娘だ、あゝそれでこそ文治郎の女房だ、宜しい、私《わし》が附いていて、探《さが》し当て屹度《きっと》討たせます、仮令《たとえ》今晩|為終《しおお》せて来ようとも、窃《ひそ》かに立帰ってお前の親の讐を討ったる上で名告《なの》って出ても宜《い》い……併《しか》し直ぐと手掛りもなかろう、彦四郎の刀を取られたのを手掛りとしても、それさえ他《た》に類のあるものでもあり、脇差の拵《こしら》えや何かも女のことだから知るまい」
町「いゝえ、親父《おやじ》が自慢に人様が来ると常々見せましたが、縁頭《ふちがしら》は赤銅七子《しゃくどうなゝこ》に金の三羽千鳥が附きまして、目貫《めぬき》も金の三羽千鳥、これは後藤宗乘の作で出来の好《よ》いのだそうで、鰐《さめ》はチャンパン、柄糸《つかいと》は濃茶《こいちゃ》でございます、鍔《つば》は伏見の金家《かねいえ》の作で山水に釣《つり》をして居《お》る人物が出て居ります、鞘は蝋色《ろいろ》でございまして、小柄《こづか》は浪人中困りまして払いましたが、中身は彦四郎貞宗でございます」
文「能く覚えて居《お》る、それが手掛りになりますから心配せぬが宜しい、屹度《きっと》敵《かたき》を討たせましょうが…
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