、身を棄て、義を採ります。命を棄てゝも信を全くする其の志がどう云う所から起りましたか、文治郎は何か学問が横へ這入り過ぎた処があるのではないかと或る物識《ものしり》が仰しゃったことがございます、余り人の為の情《なさけ》と云うものが深くなると、人を害することがあります[#欄外に「玉葉集巻十八、雑五、従三位爲子」の校注あり]「心ひく方《かた》ばかりにてなべて世の人に情《なさけ》のある人ぞなき」と云う歌の通り「情《なさけ》を介《さしはさ》んで害を為《な》す」と云う古語がございます。大伴を討って衆人を助け、殊には友之助を欺いて女房を奪い、百両の金も取上げて仕舞い、彼を割下水の溝《どぶ》の中へ打込み、半殺しにしたは実に大逆非道な奴で、捨置かれぬと云う其の癇癖を耐《こら》え/\て六月の晦日《みそか》まで待ちました。昼の程から様子を聞くと、今日は大伴兄弟も他《た》へ用達《ようたし》に行《ゆ》くことなし、晦日のことで用もあるから払方《はらいかた》を済ませ、家《うち》で一杯飲むということを聞きましたから、今宵《こよい》こそ彼を討たんと、昼の中《うち》から徐々《そろ/\》身支度を致します。お町は其の様子を知って居りますから、暮方《くれがた》になると段々胸が塞《ふさが》りまして、はら/\致し、文治郎の側に附いて居りました。四《よ》つを打つと只今の十時でございますから、何所《どこ》でも退《ひ》けます。母にもお酒を飲ませ、安心させるよう寝かし付け、彼是《かれこれ》九つと思う時刻になると、読みかけた本を投げ棄て、風呂敷包みを持出しましたから、お町はあゝ又風呂敷包みが出たかと思うと、包を解《ほど》いて前《ぜん》申し上げた通り南蛮鍛えの鎖帷子、筋金の入《い》ったる鉢巻を致しまして、無地の眼立たぬ単衣《ひとえもの》に献上の帯をしめて、其の上から上締《うわじめ》を固く致して端折《はしおり》を高く取りまして、藤四郎吉光の一刀に兼元の差添《さしぞえ》をさし、國俊《くにとし》の合口《あいくち》を懐に呑み、覗き手拭で面部を深く包みまして、ぴったりと床《とこ》の上へ坐りまして、
文「お町やこれへお出で」
町「はい、お呼び遊ばしましたか」
文「毎夜云う通り今晩は愈々《いよ/\》行《ゆ》かんければならぬことになりました、多分今宵は本意《ほんい》を遂《と》げて立帰る心得、明け方までには帰るから、どうか頼むぞよ、若し帰らぬことがあったらば文治郎亡き者と思い、私《わし》に成り代って一人のお母様《っかさま》へ孝行を頼みますぞよ」
町「はい、旦那様、私《わたくし》が此方《こちら》へ縁付いて参りましてから、毎夜々々荒々しいお身姿《みなり》でお出向《でむき》になりますが、どうしてのことか、余程深い御遺恨でもありますことか、果し合とやら云うようなお身姿でございますが、お出《で》遊ばすかと思えば又直ぐお早くお帰りのこともあり、誠に私《わたくし》には少しも理由《わけ》が分りません、元より此方《こちら》へ嫁に参りたいと願いました訳でもございませず、どうか便り少い者ゆえ貴方様へ御飯炊奉公《ごぜんたきぼうこう》に参って居りますれば、不調法を致しましても、お情深い旦那様、行《ゆ》き所もない者と無理に出て行《ゆ》けとお暇《いとま》も出まいと思い、旦那様をお力に親の亡い後《のち》には唯《た》だ此方様《こなたさま》ばかりを命の綱と取縋《とりすが》って、御無理を願いましたことで、思い掛けなくお母様が嫁にと御意遊ばして、冥加に余ったことなれど、実は旦那様は嘸《さぞ》お嫌《いや》であろうと存じて居りました処が、御孝心深いあなた様、お母様の云うことをお背き遊ばさずに、親が云うからと不束《ふつゝか》な私《わたくし》を嫁にと仰しゃって下さりまして、私《わたくし》は実に心が切のうございます、何卒《どうぞ》女房と思し召さず御飯炊の奉公人と思召してお置き遊ばして下さるよう願いとう存じます」
文「それはお前分らぬことを云う、いやならいやと男だから云います、又気に入らぬ女房は持っている訳にはいかぬもの、一旦婚姻を致したからには決して飯炊奉公人とは思いません、文治郎|何処《どこ》までも女房と心得ればこそ母の身の上を頼むではないか、何《な》ぜ左様なことを云う」
町「ひょっと旦那様は他《ほか》にお母様に御内々《ごない/\》でお約束遊ばした御婦人でもございまして、お母様の前をお出《で》遊ばすにお間《ま》が悪いから、私《わたくし》のようなものでも嫁と定《き》めれば、まさか打明けて斯《こ》うだとお話も出来ないから、其の御婦人の方《かた》へお逢い遊ばしに夜分お出向《でむき》になる事ではないかと、私《わたくし》は悋気《りんき》ではございませんけれども、貴方のお身をお案じ申しますから、思い違えを致すこともございます、何卒《どうぞ》そう云う
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