らず逐出《おいだ》されたとき宿《やど》がございません、どうかお見捨なく御膳炊きにお置き遊ばして下さい」
と只管《ひたすら》縋《すが》るのを見て母は気に入り、
母「心配おしでない、逐出しゃしない、文治郎が気に入らないでも私が貰う」
と云ったからこれは安心なもので。母は宅へ取って返し、
母「文治郎、此処《こゝ》へ来な」
文「お帰り遊ばせ、何か藤原で御馳走でも出ましたか」
母「思掛《おもいがけ》なくお前の嫁が見付かりましたから婚礼をなさい」
文「三十にして娶《めと》り、廿にして嫁《か》すということがございます、況《ま》して他人が這入りますとお母《っか》さまに不孝なことでも致すと、浪島の名を汚《けが》しますから、お母様《っかさま》のお見送りを致しましてから嫁を貰うことに願います」
母「早く嫁を貰って安心させるのが孝行だよ、唯の嫁ではない、あんな嫁を持ちたいと云っても持てない」
文「何者でございます」
母「お前も知っている去年|金子《きんす》をやった小野の娘」
文「へー庄左衞門の娘、彼《あれ》は一人娘で他《ほか》へ縁付けることは出来ますまい」
母「いえ庄左衞門が亡くなられたそうだ」
文「へー亡くなられましたか、町は嘸《さぞ》嘆いて居りましょう」
母「可愛そうに、親類も身寄もない、他人へ奉公に往って逐出されても行《ゆ》く処がない、家《うち》へ御膳炊きに置いてくれというが、御膳炊きどころでない、どこへ出しても立派なお嬢さまだから貰いなさい」
文「嫁はいけません、行《ゆ》く処がなければお側へ置いてお使い遊ばせ、御膳炊きにでもお使い遊ばせ」
母「御膳炊きなどにはいけませんよ、お前がいやならお前を逐出しても貰いますよ」
文「大層御意に入りましたな、暫《しばら》くお待ち下さい」
と暫く考えて居りましたが、母が気をゆるさぬから大伴の道場へ斬込むことが出来ぬ、嫁を貰って母が安心して外へ出せば、彼等両人を殺害《せつがい》して仕舞う、婚礼の晩に大伴の道場へ斬込んで血の雨を降らせようという色気のない話で、嫁は親の仇を討ちたい一心で、此の家《や》に嫁に来るという似た者夫婦でございます。遂に六月廿八日の晩に婚礼を致しますというお話、鳥渡《ちょっと》一服息を吐《つ》きまして申上げます。
十五
扨《さて》文治郎とお町の婚礼は別に媒妁《なこうど》も親もない。藤原喜代之助が親里なり媒妁なり致して、ほんの内輪だけでございまして、國藏夫婦が連なり、森松も末席に坐り、目出度《めでたく》三三九度の盃も済み、藤原が「四海|浪《なみ》しずかに」と謡《うた》い、媒妁は霄《よい》の中《うち》と帰りました。母も悦び、大いに酒を過《すご》して寝ます。夏のことでございますから八畳の間へ一杯に蚊帳《かや》を釣りまして夫婦の寝る処がちゃんと極《きま》って居ります。娘お町は思掛《おもいがけ》ないことで、飯炊きの奉公に来ようと云ったのが嫁となり、世に類《たぐ》いなき文治郎のような夫を持つのは冥加《みょうが》に余ったことと嬉しいが一杯で、側へも寄ることが出来ず、行燈《あんどう》の側に蚊に食われるのも知らず小さくなって居ります。文治郎は蚊帳の中に風呂敷包を持って来ました。
文「お町/\」
町「はい」
文「此処《こゝ》へおいでなさい、其処《そこ》にいると蚊がさしていかない、なか/\蚊の多い処だから蚊を能く逐《お》うて這入んなさい、少しお前に話す事がある」
お町は嬉しゅうございますから飛立つ程に思いましたが、しとやかに扇《あお》いで、ずっと横に這入らぬと蚊が這入ります。これが行儀の悪いものはそうは行きません。ばた/\と扇いで立ってひょいと蚊帳をまくって這入りますから蚊が飛込んでいけません。蚊帳の中に這入りましても蒲団の上に乗りませんで蚊帳の側にぴったり坐って居ります。
文「此方《こっち》へ来なさい、縁あってお前は私《わし》の処に嫁に来ようというは実におもいきや、今日《こんにち》三々九度の盃をすれば生涯《しょうがい》死水《しにみず》を取合う深い縁、お前は来たばかりであるが少し申し聞けることがある、浪島の家風がある、家風は背きはしまい」
町「恐入りますことを御意遊ばす、私《わたくし》は元より嫁に参りたいと願いました訳ではございません、御膳炊きに参りましたのでございます、親一人子一人の其の父が亡くなりまして、別に頼るべき親族もございませず、何処《どこ》へか奉公に参りましょうと思いましても、不束《ふつゝか》もの逐出されても行《ゆ》き処がございません、心細う思うて居りました、旦那様へ御奉公に参ればお情深い旦那さま、見捨《みすて》ては下さるまい、御膳炊きにでもと思うて居りましたに、思い掛なくお盃を下さいまして冥加に余りましたことでございます、何ごともお辞《ことば
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