す…御免下さい」
 と障子を開《あけ》ると母親は座蒲団の上に行儀正しく坐っているのを見て、
 文「此の程はお食《しょく》が頓《とん》とおすゝみにならぬそうで、文治郎も驚き入りました、三日も食《あが》らんと云うことはさっぱり存じませんでした、お加減が悪ければそれ/″\医者を呼びますものを、大層お窶《やつ》れの御様子、何か御意《ぎょい》に入らんことがござれば、これ/\と仰《おっし》ゃり聞けまするように願います」
 母「はい、私は喰《た》べません、餓死致します、お前の様な匹夫の勇を奮って浪島の家名を汚《けが》す者の顔を見るのが厭だから私は餓死致します、親父《おとっ》さまは早く此の世をお逝《なくな》り遊ばし、母親が甘う育てたからお前が左様なる身持になり、親分とか勇肌《いさみはだ》の人と交際《つきあい》をして喧嘩の中へ入り、男達《おとこだて》とか何《なん》とか実にどうも怪《け》しからん致方《いたしかた》、不埓者め、手前も天下の禄を食《は》んだ浪島の子ではないか、左様なる不孝不義の子の顔を見るのは厭でございますから喫《た》べずに死にますが、私が死ぬのは私が勝手に餓死致すのではなく、手前が乱暴を働くのを見て居《お》るのが辛いから食《しょく》を止《とゞ》めて死ぬのじゃによって、仮令《たとえ》手を下さずとも其方《そなた》が親を乾《ほ》し殺すも同じじゃによって左様心得ろ」
 文「へえ、それは重々恐れ入りました、お母様《っかさま》真平《まっぴら》御免遊ばして下さいまし、是れまで余儀ない人に頼まれ、喧嘩の中へ入りましたのは宜しくないとは心得ながら、止《や》むを得ず人の為に身を擲《なげう》って事を致しましたことが再度ございましたが、お母様の只今の御一言で文治郎実に何《なん》ともかともお詫の致し様がございません、只今のお小言に懲りまして決して他《た》へ出ません、お母様のお側を離れません、喧嘩のけの字も申しませんゆえ何卒《どうぞ》お許し遊ばして、御飯《ごぜん》を喰《あが》って下さいまし、手を下さずとも親を乾し殺すも同様であるとの御一言は、文治郎身を斬られるより辛《つろ》うございます」
 母「喰《た》べんと云ったら喰べん、文五右衞門《ぶんごえもん》殿の亡い後《のち》は私《わし》が親父様《おとっさま》の代りでございます、武士に二言はない、決して勧めるときかんぞ」
 文「へえ/\/\/\」
 森「お母《っか》さん食べておくんなせい、お願いだ、旦那も心配していらア、旦那だって喧嘩はしたくはねえが拠《よんどころ》なく頼まれて人を助けるのだから、まア堪忍して食《く》っておくんねえ」
 母「なんの、手前まで喧嘩があると悦んで飛出す癖に、其方《そっち》へ行《ゆ》け」
 森「お母さん、じれちゃアいけませんよ」
 母「手前の知ったことではない」
 と叱られて、文治郎と一緒に次の間へ来まして、
 森「どうしたのでござえますね」
 文「はて私《わし》を仕置《しおき》のため御膳をあがらんのだわ」
 森「へえ変ですねえ、仕置にお飯《まんま》を喰わせねえというのは聞きやしたが、自分の方で喰わねえのは妙だねえ」
 文「お母さまは茶椀蒸がお好《すき》だが、いつでも、料理屋で拵《こしら》えたのよりは、文治郎の拵えたのが宜しいと仰ゃって喰《あが》るから、蒸《むし》を拵えましょう…蒲焼《かばやき》の小串《こぐし》の柔かいのと蒲鉾《かまぼこ》の宜しいのを取ってこい、御膳は私《わし》がといで炊くから」
 とこれから文治郎自分で料理をして膳を持って障子を開け、
 文「お母様、先程の御一言は文治郎の心魂に銘じました、御一命を捨てゝの御意見|何《なん》とも申そう様ござらぬ、此の後《ご》は慎みますから何卒《どうぞ》御勘弁遊ばして召上って下さいまし、三日も召上らんから大分《だいぶ》お窶《やつ》れも見えまして誠に心配致します、文治郎手づから茶椀蒸を拵え、御飯も自分で炊きましたから、何卒召上って下さいまし、お母さま、これからは決してお側を離れません、何卒御勘弁を」
 と文治郎涙を浮べ茶椀蒸の蓋《ふた》を取って恐る/\母の前へ窃《そ》っと差出しました。
 母「喰《た》べんと云うのに何故面前へ膳を突附《つきつ》けたのじゃ、手前は母へ逆らうか、喰べんと云ったら喰べやアしません、其方《そっち》へ持って行《ゆ》け」
 と云いながらポーンと膳を片手で突きましたから、膳は転覆《ひっくりかえ》る、茶椀蒸は溢《こぼ》れる。
 文「これ/\森松や雑巾《ぞうきん》を持ってこい」
 森「へえこれは大変々々、お母さん堪忍して食っておくんなせい、旦那がお前さんに喰《た》べさせていと云って拵えたのだ、食わなければ食わないで宜しいじゃアねえか、私《わっち》が食いやす、斯《こ》うやって旦那が詫るのだから好加減《いゝかげん》に勘忍しておくんねえ、親
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