来てくれと云って文《ふみ》を頼まれたから、旦那の所へ持って来るとポカ/\と二つ殴られました」
 文「喋《しゃべ》るな…此の文《ふみ》は開封致さずに置きましたから御覧下さい」
 と云われ藤原は手に取って見ると、文治郎さま参るあさより、とずう/\しく名宛《なあて》が書いてあり、以前は勤めをしたあけびしのおあさですから手は能《よく》はありませんが、書馴れて居りますから色気があって綺麗に書いてあります。其の文《ふみ》に此方《こちら》へ越して来た時からお前さんを見染めて忘れる暇はないゆえ、藤原と別れて独りものになりましたらば、切《せ》めてお盃の一つも戴きたい、亭主のある身の上で斯様《かよう》な事を申すのは浮気な女と思召しもありましょうが、喜代之助は真実《ほんとう》の亭主ではない、只今まで藤原|母子《おやこ》の者は私《わたくし》から貢いで居りました、藤原の不実はこれ/\お母《ふくろ》の心の悪い事はこれ/\で、一体喜代之助が屋敷を逐出《おいだ》されたのは私《わたくし》故ではなく、全体了簡がけちんぼで、意地が悪くって、野呂間《のろま》だからとか何《なん》とか悉《こと/″\》く書いてあるから、藤原は文《ふみ》を読下《よみくだ》して膝へついた手がぶる/\と慄《ふる》えて居りました。

  十

 藤原喜代之助は女房おあさより文治に送った文《ふみ》を見詰めて居りましたが、真に口惜《くや》しかったと見えます。
 文「何《なん》と書いてありますかな」
 喜「何《なん》ともかとも重々面目次第もない、斯様《かよう》なる不埓《ふらち》な奴とも心得ず、三年|以来《このかた》連れ添って居《お》る手前へ対し、斯様などうも何《なん》とも申そうようござらぬ不人情な奴でござる、母へ食《しょく》を与えず、打ち打擲致したに相違ござらぬ、手前は兎角貧乏にかまけ留守がちゆえ、其の不孝も存じませんでした、手前の殺せん処を見抜いて天が殺したとは能く仰《おっし》ゃって下すった、成程これは天が捨て置きません、私《わたくし》に殺せませんから貴方様が天になり代り、一命を捨てゝも喜代之助を助けて下さると云う其の御親切は驚き入りました、あなたは天下の英雄だ、人の女房を手込めに殺すなどと云うことは他人には出来る訳のものでない、善《よ》く殺して下すった、忝《かたじけ》ない、宜しい手前是れから女房おあさが母に食を与えず、面部へ傷を付けたる廉《かど》を以《もっ》て捨置き難《がた》く手打に致したと、手前引受けて訴え出《い》で、あなたのお名前はこればかりも出しません、誠に善く殺して下さいました、忝けない」
 と女房を殺した人に礼を云って居りますから、母は気の毒に思い、五十両の金を内済として贈ると、喜代之助はどうしても受けませんで、
 喜「どうして私《わたくし》の為に命を掛けて助けて下すったに、金子を戴く訳はありません、実に文治郎殿の気性には手前感服致した、此の様《よう》なる方と御懇意にしたら此方《こっち》の曲った心も直ろうと思いますから、以後御別懇に願いたい、就《つい》ては母も老体で私《わたくし》が内職に行《ゆ》くことが出来ませんから、文治郎殿の鑑識《めがね》に適《かな》った女房を世話をして下さい、成るべくお親戚《みより》なれば尚更忝けない」
 との頼みに文治郎も捨置かれませんから、母の姪《めい》のおかやと云う年二十六になる、器量は余り宜しくないが屋敷育ちで人柄な心掛のよい女を嫁にやろうと云うと、喜代之助は大きに喜びまして、何しろおあさを殺したことを届けようと云うので届出ますと、岡ッ引《ぴき》御用聞などが段々探索になりましたなれども、彼《あ》の女は元より母親に食物を与えず、不孝邪慳の女で悪い者だということが明白になったから、何事もなく相済み、おあさの死骸《しがい》は野辺の送りを済ませた上で、文治郎の母は内済金五十両をおかやの持参金として贈りましたから、以前と違っておかやは母親を大切に致しますから、喜代之助は喜び、夫婦|中睦《なかむつま》しく、倶《とも》に文治郎の宅へ出入りをするようになりました。すると何《ど》う云う訳か文治郎の母がお飯《まんま》を食べなくなりましたから、文治もこれには驚きまして、
 文「これ森松」
 森「へい」
 文「お母様《っかさま》は御膳を食《あが》らんではないか」
 森「へー喰いませんよ」
 文「喰いませんよではない、昨日《きのう》も食べないではないか」
 森「一昨日《おとゝい》も喰いません」
 文「何故三日も食《あが》らんのに私《わし》に知らせん」
 森「それでも喰いたくねえって」
 文「馬鹿を云え、三日も食《あが》らずに居《お》られるものか、お加減が悪いのだから医者を呼ばなければならん、医者を呼んで来い」
 森「何《なん》だか腹が充《くち》いって」
 文「三日も召上らんでは困りま
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