リッと坐ったが、老母には様子が分りませんから、
母「おや/\これは好《よ》くいらっしゃいました、生憎文治郎は不在でございますが、何御用でございますか、私《わたくし》迄御用向を仰しゃり聞けを願います、お母様《かゝさま》も御不快の御様子でございまして、一寸《ちょっと》伺いたく思いましたが、私《わたくし》も寄る年で出無性《でぶしょう》になりまして、つい/\伺いませんがお加減は如何《いかゞ》でございます」
喜「はい、御老母様のお耳に入れるのも些《ち》とお気の毒だが、今日《こんにち》手前家内あさが母に対して不孝を致したでござる、然《しか》るところ文治郎殿がおいでになって、不孝な奴だと云って口を引裂《ひっさ》き、肋骨を打折《ぶちお》り、打殺《うちころ》してお帰りになったが怪《け》しからぬ訳じゃアございませんか」
母「はい、それはまア飛んだ訳で、何《なん》とも申そう様《よう》がございません」
喜「手前も驚きました、なにそれは殺しても宜しい、はい殺しても宜しい訳があればこそ殺したろう、文治郎殿も気狂《きちが》いでないから主意があって殺したろうから、主意が立てば宜しいが、主意が立たんければ手前も武士でござる、文治郎殿の首を申受ける心得で参った、はい」
母「誠に何《なん》とも申そう様もございません、嘸《さぞ》御立腹でございましょう、彼《あ》の通りの者で、やゝも致しますると人様に手出しを致す事がございまして、若年《じゃくねん》の折柄《おりから》確《しか》と意見を致したことはございましたが、此の度《たび》の事には実に呆《あき》れ果てまして何《なん》ともお詫のしようがございません、彼《あ》の様な乱暴な子を持った母は嘸心配であろうと私《わたくし》の心を御不愍《ごふびん》に思召《おぼしめ》して、御内聞のお話にして下されば多分の貯《たくわ》えもございませんが、所持して居ります金子は何程でもあなた様へ」
喜「いえ/\お黙りなさい、お前さんも武士の家にお生れなすった方ではないか、金を貰って内済に出来ますか、只主意が立てば宜しい、はい主意が立たんければ家内あさの命と文治郎殿の命と取換《とりかえ》るばかりで、はい」
などと顔色を変えている処へ文治郎が帰って参りました。
森「旦那、うっかり入《へい》っちゃアいけませんよ」
文「何を」
森「お前さんは大変な事をやって、驚きましたねえ、私《わっちゃ》アまご/\しているんだ、お前さんは藤原のお内儀《かみ》さんの口を引裂《ひッつァ》いて殺しましたかえ」
文「うん、先程《さきほど》殺した」
森「そんな手軽く云っちゃア困りやすねえ、藤原さんが顔色を変えて来て、どう云う訳で殺した、お前も武士、己《おれ》も武士だ、己の女房を殺されて此の儘じゃア帰《けえ》られねえ、男が立たねえから文治郎の命と取換《とりけ》えるぶんだ、仕事は早いのがいゝって奥へ坐り込んで動かねえから、お母《っか》さんが金を出して内済《ねいせい》にしようというと、士《さむらい》に内済はねえって、取っても付けねえ処だから、今お前さんが顔を出すと直《すぐ》に斬り掛けるに違《ちげ》えねえ、斬り掛られ黙って引込《ひっこ》んでる人じゃアねえからちゃん/\斬合《きりあい》を初めるでしょう、そうしてお母《っか》さんの身体へ疵《きず》でも付けると大変だから、お前さんは二三|日《ち》身を隠して下せえ」
文「身を隠す訳にはいかん」
森「そうして気の落著《おちつ》いた時分、どうせ仕舞《しめえ》は内済《ないせい》だから人を頼んで訳を付けやしょう」
文「そんな事は出来ん、お母《っか》さんをこれへお呼び申せ」
森「お母さん/\」
文「もっと大きな声をして」
森「お母さん/\これが帰りました」
と親指を出して招くから、母は文治郎が帰ったなと思ってそれへまいり、
母「能くのめ/\と私の前へ来た、只今帰ったと云います」
文「飛んだ事がお耳に入って文治郎も申し訳がございません、藤原親子の為を思いまして、お母《っか》さまには不孝でございますが、文治郎命を捨てゝ悪婦の命を断ちました、決して逃げ隠れは致しません、一言《いちごん》藤原に申し聞けたい事があります、あなたがこれにお在《いで》になると御心配になりますから、おかやを連れて婆《ばあ》やの所へでもおいでなすって」
母「いや参りません、人を殺して云訳《いいわけ》が立ちますか、なぜ悪い事があれば喜代之助殿に届けて事をせん、それでは云訳は立ちません、はい先方《むこう》様が捨て置かんで、私も武士だと云って抜いて斬り付ければお前も引抜いて立合うだろう、お前が斬り殺されるのは自業自得だが、又先方様を殺せば二人の人殺しだから手前の命はあるまい、手前は匹夫《ひっぷ》の勇を奮《ふる》って命を亡《な》くしても仕方がないが、跡はどうする」
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