え、まア出牢で目出度《めでてえ》や」
 亥「去年の暮お前《めえ》を手込《てごめ》にして済まなかった、面目次第もねえ、勘忍してくんねえ、己《おら》ア知らねえで旦那のどてっ腹をえぐりに来《き》ようと思ったら、己の所《とこ》の爺《とっ》さんの所《ところ》へ旦那が見舞《みめえ》をくれたと云うことを聞いて面目次第もねえ、旦那にそう云ってくんねえ、土産を持って来るのだが、本所には碌《ろく》な酒はあるめえと思って」
 森「酷《ひど》い事を云うぜ」
 亥「豐島屋の酒を持って来た、旦那に一|杯《ぺい》上げて盃を貰《もれ》えてえってそう云ってくんねえ」
 森「少し待っていねえ、お母様《ふくろさん》に喧嘩の事なんぞを云うと善《よ》くねえから、旦那に内証《ないしょ》で話して来るから」
 と森松は奥へ往きますと、文治は母親に孝行を尽して居りますから、森松はそっと、
 森「旦那え/\」
 文「何《なん》だ」
 森「見附|前《めえ》の鉄砲が来ましたよ」
 文「亥太郎が来たか」
 森「来ました、驚きましたねえ、酒を一樽|荷《かつ》いで来て旦那に上げてくれって来ました」
 文「逢いたいが、お母様《っかさん》の前で彼《あん》な荒々しい奴が話をしては、お驚きなさるといけないから、角《かど》の立花屋《たちばなや》へ連《つれ》って往って、酒肴《さけさかな》を出して待遇《もてな》してくれ、己が後《あと》からお暇を戴いて往《ゆ》くから」
 森「へー」
 と云って森松は亥太郎を連れて立花屋へ参り、酒肴を誂《あつら》え待っている所へ文治郎が参りまして、
 文「さア此方《こちら》へ/\」
 亥「誠にどうも旦那面目|次第《しでえ》もございません、去年の暮は喰《くれ》え酔って夢中になったものだから、お前《めえ》さんに理不尽なことを云いかけて嘸《さぞ》お腹立でござえやしょう、御勘弁なすって下せえ」
 文「どう致して、先《ま》ず目出度《めでたく》御出牢で御祝《ごしゅく》し申す、どうしても気性だけあって達者でお目出たい」
 亥「へーどうも」
 文「先刻は又お土産を有難うございます」
 亥「いや最《も》う何《ど》うも、誠につまらねえ品でござえやすが、本所にはいゝ酒がねえと思って豐島屋のを一本持って来て、旦那に詫をして盃を貰《もれ》えてえと思って来ました」
 文「私《わし》も衆人《しゅうじん》と附合うが、お前のような強い人に出会ったことはない、どうも強いねえ」
 亥「私《わっち》も旦那のような強い人に出会ったことはねえ、初めてだ」
 文「見張所の鉄砲を持ち出したのはえらい」
 亥「どうも面目もございません、旦那は喧嘩の相手を憎いとも思わず、私《わっち》の爺《ちゃん》の所へ金を十両持って来てくれたそうで、随分牢へは差入物をよこす人もあるが、爺の所へ見舞《みめえ》に来て下すったはお前《めえ》さんばかりで、私《わっち》のような乱暴な人間でも恩を忘れたことはねえから、旦那え、これから出入《でいり》の左官と思って末長く目をかけておくんなせえ、お前《めえ》さんに金を貰ったから有難いのじゃアねえ、お前《めえ》さんの志に感じたからどうか末長く願います」
 と云うので、文治郎が盃を取って亥太郎に献《さ》して、主《しゅう》家来同様の固めの盃を致しましたが、人は助けておきたいもので、後に此の亥太郎が文治の見替りに立ってお奉行と論をすると云うお話でありますが、次回《つぎ》にたっぷり演《の》べましょう。

  八

 業平文治が安永の頃|小笠原島《おがさわらじま》へ漂流致します其の訳は、文治が人殺しの科《とが》で斬罪《ざんざい》になりまする処を、松平右京《まつだいらうきょう》様が御老中《ごろうじゅう》の時分、其の御家来|藤原喜代之助《ふじわらきよのすけ》と云う者を文治が助けました処から、其の藤原に助けられまするので、実に情《なさけ》は人の為ならでと云う通り、人に情はかけたいものでございます。男達《おとこだて》などは智慧もあり又|身代《しんだい》も少しは好《よ》くなければなりませんし無論弱くては出来ませぬが、文治の住居《すまい》は本所業平村の只今植木屋の居ります所であったと云うことでございます。文治の居ります裏に四五軒の長屋があります、此処《こゝ》へ越《こし》て来ましたのは前《ぜん》申上げました右京様の御家来藤原喜代之助で、若気《わかげ》の至りに品川のあけびしのおあさと云う女郎に溺《はま》り、御主人のお手許金《てもときん》を遣《つか》い込み、屋敷を放逐《ほうちく》致され、浪人して暫《しばら》く六間堀《ろっけんぼり》辺に居りました其の中《うち》は、蓄えもあったから何《ど》うやら其の日を送って居りましたが、行《ゆ》き詰って文治の裏長屋へ引越《ひきこ》し、毎日弁当をさげては浅草の田原町《たわらまち》へ内職に参ります。留守は七
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