え/\」
 と引出して、今ではありませんが浅草見附《あさくさみつけ》の石垣《いしがき》の処へ連れて来て、
 森「兄い々々腹ア立っちゃアいけねえ、彼処《あすこ》でごた/\しちゃア外聞《げいぶん》が悪いやア」
 亥「おいよ、有難《ありがて》え、己は弱い者いじめは嫌いだが食逃と云ったから撲ったのだ、商売の妨げをして済まねえが後《あと》で訳を付ける積りだ、お前《めえ》誰だっけ」
 森「己は本所の番場の森松よ」
 亥「そうか、本所の人か、己《おら》ア又豊島町の若《わけ》い衆《しゅ》かと思った、見ず知らずの人に厄介《やっかい》になっちゃア済まねえ」
 森「これサ、銭があるのねえのと外聞《げいぶん》が悪いじゃアねえか、銭がなけりゃア己が払ってやるから後《あと》に構わず往って仕舞いねえ」
 亥「なに、銭がなけりゃア払って置くと、何《な》んだこれ、知りもしねえ奴に銭を払って貰うような亥太郎と思ってやアがるか」
 森「おや生意気な事を云うな、銭がねえってから己が払ってやろうってんだ、何《なん》でえ」
 亥「なに此の野郎め」
 と力に任せてポーンと森松の横面《よこっつら》を打《ぶ》ちましたから、森松はひょろ/\石垣の所へ転がりました。文治は見兼てツカ/\とそれへ参り、
 文「これ/\何《なん》だ、何も此の者を打擲する事はない、これは己の子分だ、少しの云い損いがあったればとて、手前が喧嘩をしている処へ仲人に入った者を無闇に打擲すると云うのは無法ではないか、今日《こんにち》の処は許すが以後は気を注《つ》けろ、さっさと行《ゆ》け」
 亥「なに手前《てめえ》なんだ、これ己の名前目《なめえもく》を聞いて肝っ玉を天上へ飛ばせるな、神田豊島町の左官の亥太郎だ、己を知らねえかい」
 亥「そんな奴は知らん、己は業平橋の文治郎を知らんか」
 亥「なにそんな奴は知らねえ、此の野郎」
 と文治郎の胸ぐらを取って浅草見附の処へとつゝゝゝゝと押して行《ゆ》きました。廿人力ある奴が力を入れて押したから流石《さすが》の文治も踉《よろ》めきながら石垣の処へ押付けられましたが、そこは文治郎|柔術《やわら》を心得て居りますから少しも騒がず、懐中から取出した銀の延煙管《のべぎせる》を以て胸ぐらを取っている亥太郎の手の上へ当てゝ、ヤッと声を掛けて逆に捻《ねじ》ると、力を入れる程腕の折れるようになるのが柔術《じゅうじゅつ》の妙でありますから、亥太郎は脆《もろ》くもばらりっと手を放すや否や、何《ど》ういう機《はずみ》か其処《そこ》へドーンと投げられました。力があるだけに尚《な》お強く投げられましたが、柔術で投げられたから起ることが出来ません。流石の亥太郎も息が止ったと見えましたが、暫《しばら》くすると、
 亥「此の野郎、己を投げやアがったな、覚えていろ」
 と云いながら立上ってばら/\/\と駈出しましたから、彼奴《あいつ》逃げるかと思って見て居りますと、亥太郎は浅草見附へ駈込みました。只今見附はございませんが、其の頃は立派なもので、見張所には幕を張り、鉄砲が十|挺《ちょう》、鎗《やり》が十本ぐらい立て並べてありまして、此処《こゝ》は市ヶ谷|長円寺谷《ちょうえんじだに》の中根大隅守様《なかねおおすみのかみさま》御出役《ごしゅつやく》になり、袴《はかま》を付けた役人がずーっと並んでいる所へ駈込んで、
 亥「御免なせえ、今喧嘩をしたが、空手《からって》で打《ぶ》つ物がねえから此処にある鉄砲を貸しておくんねえ」
 役人「何《なん》だ、手前|狂人《きちがい》か」
 亥「狂人《きちげえ》も何もねえ、貸しておくんねえ」
 と云いながら突然《いきなり》鉄砲を提《ひっさ》げ飛ぶが如くに駈出しましたが、無鉄砲と云うのはこれから始まったのだそうでございます。文治郎はこれを見て驚きました。今迄随分乱暴人も見たが、見付の鉄砲を持出すとは怪《け》しからぬ奴だが、鉄砲に恐れて逃げる訳には往《ゆ》かず、拠《よんどこ》ろないから刀の柄前《つかまえ》へ手を掛け、亥太郎の下りて来るのを待って居りました。これが其の頃評判の見附前の大喧嘩でございますが、これより如何《いかゞ》相成りましょうか、次回《つぎ》に申し上げます。

  七

 偖《さて》前回に演《の》べました文治郎と亥太郎の見附前の大喧嘩は嘘らしい話ですが、神田川《かんだがわ》の近江屋《おうみや》と云う道具屋の家《うち》に見附前の喧嘩の詫証文《あやまりじょうもん》と、鉄|拵《ごしら》えの脇差と、柿色の単物が預けてあります。これは現に私《わたくし》が見たことがございますので、左官の棟梁亥太郎の書いたものであります。幾ら乱暴でも公儀のお道具を持出すと云うのはひどい奴で、此の乱暴には文治郎も驚きましたが、鉄砲を持って来られては何分《なにぶん》逃げる訳にもゆかんから、關兼元《せきかね
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