しゅう》の根と相成りまするが、お話変ってこれは十二月二十三日の事で、両国《りょうごく》吉川町《よしかわちょう》にお村と云う芸者がございましたが、その頃|柳橋《やなぎばし》に芸者が七人ありまする中で、重立《おもだ》った者が四人、葮町《よしちょう》の方では二人、後《あと》の八人は皆《み》な能《よ》い芸者では無かったと申します。丁度深川の盛んな折でございます、その頃|佐野川市松《さのがわいちまつ》という役者が一と小間置《こまおき》に染め分けた衣裳へ工夫致しましてその縞《しま》を市松と名《なづ》けて女方《おんながた》の狂言を致しました時に、帯を紫と白の市松縞にして、着物を藍《あい》の市松にしたのが派手で、とんだ配合《うつり》が好《よ》いと柳橋の芸者が七人とも之を着ましたが中にも一際《ひときわ》目立って此のお村には似合いました処から、人之を綽名《あだな》して市松のお村と申しました。年は十九歳で親孝行で、器量はたぎって好《よ》いと云うのではありませんが、何処《どこ》か男惚《おとこぼ》れのする顔で、愛敬靨《あいきょうえくぼ》が深く二ツいりますが、尺《ものさし》を突込《つッこ》んで見たら二分五厘あるといいますが、誰《たれ》か尺を入れたと見えます。其の上しとやかで物数《ものかず》を云わず、偶々《たま/\》口をきくと愛敬があってお客の心を損ねず、芸は固《もと》より宜《よ》し、何一つ点を打つ処はありませんが、朝は早く起きて御膳焚《ごぜんたき》同様にお飯《まんま》を炊き、拭掃除《ふきそうじ》を致しますから、手足は皹《ひゞ》が絶えません、朝働いて仕まってからお座敷へ出るような事ですから、世間の評が高うございます、此の母親《おふくろ》はお崎《さき》婆《ばゞあ》と申しまして慾張《よくばり》の骨頂でございます、慾の国から慾を弘めに参り、慾の新発明をしたと云う、慾で塊《かたま》って肥《ふと》って居りまする。慾肥《よくぶと》りと云うのはこれから始まりました。娘お村に稼がせて自分は朝から酒ばかりぐび/\飲んで居りますると、矢張り此の頃の老妓《あねえ》で、年は二十七歳に相成りまする、お月と申します脊《せい》はすっきりとして芸が好《よ》く、お座敷でお客と話などをして居ります間に取持《とりもち》が上手と評判の芸者でありました。此の頃の老妓は中々見識のあったもので、只今湯に出かけまする姿ゆえ、平常着《ふだんぎ》
前へ
次へ
全161ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング