悪々《にく/\》しい奴だ、此方《こっち》で切ろうとも云わないに切られようとする馬鹿な奴だなア」
文「さア切れる腕があるなら切って見ろ」
士「さア切るぞ」
と彼《か》の士が大刀の※[#「※」は「てへん+丙」、39−7]《つか》へ手を掛けて詰め寄りますから、文治は半身《はんしん》下《さが》って身構えを致しましたが、一寸《ちょっと》一《ひ》と息|吐《つ》きまして直《すぐ》に後《あと》を申し上げます。
三
浪島文治が本所《ほんじょう》業平橋に居りましたゆえに人|綽名《あだな》して業平文治と申しましたとも云い、又男が好《よ》いから業平文治と申したとも仰しゃる方があります。尤《もっと》も業平|朝臣《あそん》と云うお方は美男と見えまして、男の好いのは業平のようだといい女で器量の好いのを小町《こまち》のようだと申しますが、業平朝臣は東国《あずま》へお下りあって、暫《しばら》く本所業平村に居りまして、業平橋の名もそれゆえに起りましたそうでございますが、都へお帰りの時船が覆《くつがえ》って溺死《できし》されましたにより、里人《さとびと》愍《あわ》れと思って業平村に塚《つか》を建てゝ祭りました、それゆえに前には船の形を致しました石塚でありましたそうで、其の頃は毎月《まいげつ》廿五日は御縁日で大分《だいぶ》賑《にぎわ》いました由にございます。其の天神前で文治は計らずも助けました娘は、親父《おやじ》が眼病ゆえ毎夜親の寝付くを待って家《うち》を抜け出して来て、天神様へ心願を掛けましたと云う事を聞いて、文治が不憫《ふびん》と思って四十両の金を遣《や》りましたけれども、娘は堅いからとんと受けませんで、親父に手渡しにしてくれと云うから、文治も感心し、介抱して松倉町の角まで送って来ると、前《ぜん》申しました剣術遣いの内弟子でございましょう、荒々しい士《さむらい》が無法にも商人《あきんど》を斬ろうとする所ですから、文治が中へ入って和《やわ》らかに詫をすると、付けあがり、容赦はしない、打《ぶ》ち斬って仕舞うと云いながら長柄《ながつか》へ手を掛けたから、文治もプツリッと親指で鯉口を切り、一方《かた/\》の手には蛇の目の傘を持ち、高足駄《たかあしだ》を穿《は》いた儘両人の中へ割込むと、
士「此奴《こやつ》中々出来そうな奴だ」
と云いながら刀を抜うとする処を、文治が蛇の目の傘を以て一人の膝《
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