のある悪人でありながら、夫婦|連《づれ》にて此の近傍《かいわい》の堅気の商家《あきんど》へ立入り、強請騙りをして人を悩ます奴、何処《どこ》ぞで逢ったら懲《こら》してくれんと思っていた処、幸い昨夜其の方の女房に出会いしにより打殺そうと思ったが、お浪を助けて帰したは手前を此の家《うち》に引出さん為であるぞ、其の罠《わな》へ入って能くノメ/\と文治郎の宅へ来たな、さア五十両の金を騙り取ろうなどとは申そうようなき大悪人、兎《と》や角《かく》申さば立処《たちどころ》に拈《ひね》り潰して仕舞うぞ」
 と打《う》って変った文治郎の権幕《けんまく》は、肝に響いて、流石《さすが》の國藏も恟《びっく》り致しましたが、
 國「もし旦那え、それじゃア、からどうも弱い者いじめじゃアありませんか、私《わっち》の方で金をくれろと云ったわけじゃアありません、お前《めえ》さんの方で懇意ずくになって金を貸すと云うから借りようと云うのだが、又亭主に無沙汰《ぶさた》で人の女房を打《ぶ》って済みますかえ、其の上|私《わっち》を打殺すと云やア面白い、さアお打ちなせえ、私《わっち》も國藏だア、打殺すと云うならお殺しなせえ」
 文「不届き至極な奴だ」
 と云いながら、突然《いきなり》國藏の胸《むな》ぐらを取って、奥座敷の小間へ引摺り込みましたが、此の跡はどう相成りましょうか、明晩申し上げます。

  二

 男達《おとこだて》と云うものは寛永《かんえい》年間の頃から貞享《ていきょう》元禄《げんろく》あたりまではチラ/\ありました。それに町奴《まちやっこ》とか云いまして幡隨院長兵衞《ばんずいいんちょうべえ》、又は花川戸《はなかわど》の戸澤助六《とざわすけろく》、夢《ゆめ》の市郎兵衞《いちろべえ》、唐犬權兵衞《とうけんごんべえ》などと云う者がありまして、其の町内々々を持って居て、喧嘩《けんか》があれば直《すぐ》に出て裁判を致し、非常の時には出て人を助けるようなものがございましたが、安永年間には左様なものはございません。引続きお話申します業平文治は町奴親分と云うのではありません、浪人で田地《でんじ》も多く持って居りますから活計《くらし》に困りませんで、人を助けるのが極く好きです。尤《もっと》も仁を為せば富まず、富を為せば仁ならずと云って、慈悲も施し身代《しんだい》も善くするというは中々むずかしいことでありますが、文治は
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