牛車
三遊亭円朝
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)此度《このたび》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|名《めい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)くらゐ[#「くらゐ」に白丸傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)そろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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此度《このたび》 英照皇太后陛下《えいせうくわうたいごうへいか》の御大喪《ごたいさう》に就《つ》きましては、日本国中《にほんこくぢう》の人民《じんみん》は何社《なにしや》でも、総代《そうだい》として一|名《めい》づゝ御拝観《ごはいかん》の為《た》めに京都《きやうと》へ出す事に相成《あひな》りました。処《ところ》で数《かず》なりません落語家社会《はなしかしやくわい》でも、三|遊《いう》社《しや》の頭取《とうどり》円生《ゑんしやう》と円遊《ゑんいう》の申《まう》しまするには、仮令《たとへ》落語家社会《はなしかしやくわい》でも、何《ど》うか総代《そうだい》として一名は京都《きやうと》へ上《のぼ》せまして、御車《みくるま》を拝《をが》ませたいものでござりますが、扨《さて》どうも困る事には、是《これ》まで十五|日《にち》間《かん》の謹《つゝし》みで長休《ながやす》みをいたして居《を》りました処《ところ》へ、御停止《ごちやうじ》あけとなつて、又《また》休《やす》んで京都《きやうと》まで参《まゐ》らうといふものは一人もありませんで、誠に困りましたが、幸《さいはひ》師匠《ししやう》はマア寄席《よせ》へもお出《で》なさいません閑人《ひまじん》でいらつしやる事でげすから、御苦労《ごくらう》ながら三|遊《いう》社《しや》の総代《そうだい》として、貴方《あなた》京都《きやうと》へ行《い》つて下《くだ》さる訳《わけ》には参《まゐ》りませんかと、円朝《わたくし》が頼《たの》まれました。元《もと》より此度《このたび》の御大喪《ごたいさう》は、是迄《これまで》にない事でございますから、何《ど》うかして拝《はい》したいと存《ぞん》じて居《を》りました処《ところ》へ、円生《ゑんしやう》と円遊《ゑんいう》に頼《たの》まれました事《こと》故《ゆゑ》、腹《はら》の中《うち》では其実《そのじつ》僥倖《さいはひ》で、そんならば私《わたし》が皆《みん》なの総代《そうだい》として京都《きやうと》へ往《い》きませうと受合《うけあ》ひました。
夫《それ》から徐々《そろ/\》京都《きやうと》へ参《まゐ》る支度《したく》をして居《を》ります中《うち》に、新聞で見ましても、人の噂《うはさ》を聞きましても、西京《さいきやう》の旅籠屋《はたごや》は客が山を為
な》して、ミツシリ爪《つめ》も立たないほどだといふ事でございますから、此奴《こいつ》は迂《うつ》かり京都《きやうと》まで往《い》つて、萬一《ひよつと》宿《やど》がないと困ると思ひまして、京都《きやうと》の三|条《でう》白河橋《しらかはばし》に懇意《こんい》な者《もの》がございますから、其人《そのひと》の処《ところ》へ郵便を出して、私《わたし》が参《まゐ》るから何《ど》うか泊《と》めて下《くだ》さいと申《まう》して遣《や》りますると、其返事《そのへんじ》が参《まゐ》りました。「拝啓《はいけい》益々《ます/\》御壮健《ごさうけん》奉慶賀候《けいがたてまつりさふらふ》、随《したが》つて貴君《きくん》御来京《ごらいきやう》の趣《おもむき》に御座候得共《ござさふらえども》、実《じつ》は御存《ごぞん》じの通《とほ》り御大喪《ごたいさう》にて、当地《たうち》は普通の家《いへ》にても参列者《さんれつしや》のために塞《ふさ》がり、弊屋《へいをく》も宿所《しゆくしよ》に充《あ》てられ、殊《こと》に夜《よる》のもの等《とう》も之《こ》れなく、甚《はなは》だ困り居《を》り候折《さふらふをり》からゆゑ、誠に残念には御座候得共《ござさふらえども》、右様《みぎやう》の次第《しだい》に付《つ》き悪《あし》からず御推察《ごすゐさつ》なし被下度候《くだされたくさふらふ》、匆々《さう/\》」といふ返事が参《まゐ》りました。私《わたくし》も少し驚《おどろ》きまして、此分《このぶん》では迚《とて》も往《ゆ》く事《こと》は出来《でき》まいと困りましたから、私《わたし》が日頃《ひごろ》御贔屓《ごひいき》に預《あづ》かりまする貴顕《きけん》のお方《かた》の処《ところ》へ参《まゐ》りまして、右《みぎ》のお話をいたしますると、そんならば幸《さいはひ》私《わたくし》も往《ゆ》くから、連《つ》れて往《い》つて遣《や》ると仰《おつ》しやいました。誠に有難《ありがた》い事で、私《わたくし》もホツと息《いき》を吐《つ》いて、それから二|日《か》の一|番《ばん》汽車《きしや》で京都《きやうと》へ御随行《ごずゐかう》をいたして木屋町《きやちやう》の吉富楼《よしとみろう》といふ家《うち》へ参《まゐ》りました、先方《せんぱう》では貴顕《きけん》のお客様《きやくさま》ですから丁寧《ていねい》の取扱《とりあつか》ひでございましてお上《かみ》の方《かた》はお二階《にかい》或《あるひ》は奥座敷《おくざしき》といふので私《わたくし》は次《つぎ》の室《ま》のお荷物の中の少々《せう/\》ばかりの明地《あきち》へ寐《ね》かして頂《いたゞ》く事に相《あひ》なりました。
扨《さて》六日《むいか》には泉山《せんざん》といふ処《ところ》へお出掛《でか》けになるに就《つい》て、私《わたくし》もお供《とも》をいたし四条通《しでうどほ》りから五条《ごでう》を渡《わた》り、松原通《まつばらどほ》りから泉山《せんざん》に参《まゐ》りまするには、予《かね》て話に聞いて居《を》りました、夢《ゆめ》の浮橋《うきはし》といふのを渡《わた》りました、二三|町《ちやう》参《まゐ》つて総門《そうもん》を這入《はい》り夫《それ》から爪先上《つまさきあが》りに上《あが》つて参《まゐ》りますると、少し広《ひろ》い処《ところ》がございまして、其処《そこ》に新築《しんちく》になりました、十四五|間《けん》もある建家《たていへ》がございました。是《これ》は此《こ》の時のお掛《かゝ》りの方々《かた/″\》のお詰所《つめしよ》と見えまして、此所《こゝ》で御拝《ぎよはい》があるといふことを承《うけた》まはりました。実《じつ》に此度《このたび》の大喪使長官様《たいさうしちやうくわんさま》といふのは、夜《よる》もトロ/\睡《まど》ろみたまふ事もございませんといふ、大層《たいそう》御丁寧《ごていねい》に仰《おつ》しやいますから、私《わたくし》どもには些《ち》と舌《した》が廻《まは》らなくつて云《い》ひにくいくらゐで、御参列《ごさんれつ》のお役人《やくにん》も此《こ》の処《ところ》で御参拝《ごさんぱい》があるといふ事で、夫《それ》を思ふと私共《わたくしども》は有難《ありがた》い事で、お供《とも》をいたして参《まゐ》りましても毎日々々|旨《うま》い物《もの》を御馳走《ごちそう》になつて、昼《ひる》も風が吹くと外へ出られんといふので、炬燵《こたつ》の中で首《くひ》ツたけ這入《はい》つて当日《たうじつ》まで待《まつ》て居《を》るのでございますから此《こ》のくらゐ結構《けつこう》な事はございません。又《また》折々《をり/\》は其《そ》のお方《かた》のお供《とも》をいたして、大坂《おほさか》で有名《いうめい》な藤田様《ふぢたさま》の御別荘《ごべつさう》へ参《まゐ》りまして、お座敷《ざしき》を拝見《はいけん》したり、御懐石《ごくわいせき》を頂戴《ちやうだい》した跡《あと》で薄茶《うすちや》を頂《いたゞ》いたりして、誠に此上《このうへ》もない結構《けつこう》な事でございます。丁度《ちやうど》七|日《か》の御当日《ごたうじつ》は往来止《わうらいど》めになるだらうと聞きましたから、昼飯《ひるめし》を食べて支度《したく》をいたし、午後二時ごろから宿《やど》を出ましたが、其処《そこ》までは人力車《くるま》で行《ゆ》かれる処《ところ》で、参《まゐ》りました処《ところ》は堺町《さかひちやう》三|条《でう》北《きた》に入《い》る町《まち》といふ、大層《たいそう》六《む》づかしい町名《ちやうめい》でございまして、里見《さとみ》忠《ちう》三|郎《らう》といふ此頃《このごろ》新築《しんちく》をした立派《りつぱ》な家《うち》で、此処《こゝ》は御案内《ごあんない》の通《とほ》り古器物《こきぶつ》骨董《こつとう》書画類《しよぐわるゐ》を商《あきな》ふ方《かた》で中々《なか/\》面白《おもしろ》い人でございます。何《ど》うも諸方《しよはう》から頼《たの》まれたと見えまして、大分《だいぶ》に宜《よ》いお客様もございます。西京《さいきやう》大坂《おほさか》の芸妓《げいこ》も参《まゐ》つて居《を》りましたが、皆《みな》丸髷《まるまげ》で黒縮緬《くろちりめん》の羽織《はおり》へ一寸《ちよつと》黒紗《くろしや》の切《き》れを縫《ぬ》ひつけて居《を》りまして、其《そ》の様子《やうす》は奥様然《おくさまぜん》とした拵《こし》らへで、皆《みな》其処《そこ》に寄り集まつてお通《とほ》りの時刻《じこく》を待《ま》つて居《を》りますので、其《そ》の中《うち》に五《ご》もく鮨《ずし》が出たり種々《しゆ/″\》御馳走《ごちそう》が出《で》ます中《うち》にチヨン/\と拍子木《ひやうしぎ》を打つて参《まゐ》りました。何《なん》だらうと思つて直《すぐ》に飛出《とびだ》して格子《かうし》を明けて見ますると、両側《りやうがは》共《とも》に黒木綿《くろもめん》の金巾《かなきん》の二巾位《ふたはゞぐらゐ》もありませうか幕張《まくは》りがいたしてございまして、真黒《まつくろ》で丸《まる》で芝居《しばゐ》の怪談《くわいだん》のやうでございます。処《ところ》へ大きな丈《たけ》三|尺《しやく》もある白張《しらはり》の提灯《ちやうちん》が吊《つる》さがつて居《を》ります、其提灯《そのちやうちん》の割《わり》には蝋燭《ろうそく》が細《ほそ》うございますからボンヤリして、何《ど》うも薄気味《うすきみ》の悪いくらゐ何《なん》か陰々《いん/\》として居《を》ります。軒下《のきした》に縄張《なはば》りがいたしてございます此《こ》の中《うち》に拝観人《はいくわんにん》は皆《みな》立《たつ》て拝《はい》しますので、京都《きやうと》は東京《とうきやう》と違《ちが》つて人気《にんき》は誠に穏《おだ》やかでございまして、巡査《じゆんさ》のいふ事を能《よ》く守り、中々《なか/\》縄《なは》の外へは出ません。一|尺《しやく》ぐらゐ跡《あと》に退《さが》つて待《ま》つて居《ゐ》る様子《やうす》、それが東京《とうきやう》の人だと「何《なに》をしやアがる、押《お》しやアがるな、モツと其方《そつち》へ寄《よ》りやアがれ。なんかと突倒《つきたふ》して、縄《なは》から外へ飛出《とびだ》し巡査《じゆんさ》に摘《つま》み込《こ》まれる位《くらゐ》の事がございますが、西京《さいきやう》は誠に優《やさ》しい、「押《お》しなはんな、アの様《やう》な事いうてや、押《お》しなはんな、何《なに》いうてゐやはります。なぞと誠におとなしい夫故《それゆゑ》押《お》される憂《うれ》ひはございません、けれども軒《のき》の下《した》にはギツシリ爪《つめ》も立たんほど立つて居《を》ります。
其《そ》の中《うち》に追々《おひ/\》お通《とほ》りになります、向うに列《なら》んで居《を》りまするは、近衛兵《このゑへい》と申《まう》す事でございますが、私《わたくし》どもには解《わか》りませんが、兵隊《へいたい》さんが整列《せいれつ》して居《を》ります。指図役《さしづやく》のお方《かた》でございますか、馬乗《ばじよう》で令《れい》を下《くだ》して居《を》られます。四ツ辻《つぢ》の処《ところ》に点《とも》つて居《を》りました電気
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