燈《でんきとう》が、段々《だん/\》明《あか》るくなつて来《く》ると、従《した》がつて日《ひ》は西に傾《かたむ》きましたやうでございます。其中《そのうち》に又《また》拍子木《ひやうしぎ》を、二ツ打ち三ツ打ち四ツ打つやうになつて来ると、四ツ辻《つじ》の楽隊《がくたい》が喇叭《らつぱ》に連《つ》れて段々《だん/\》近く聞《きこ》えまする。兵士《へいし》の軍楽《ぐんがく》を奏《そう》しますのは勇《いさ》ましいものでございますが、此《こ》の時は陰々《いん/\》として居《を》りまして、靴《くつ》の音《おと》もしないやうにお歩行《あるき》なさる事で、是《これ》はどうも歩行《ある》き悪《にく》い事で、誠に静《しづ》まり返《かへ》つて兵士《へいし》ばかりでは無い馬までも静《しづか》にしなければいかないと申《まう》す処《ところ》が、馬は畜生《ちくしやう》の事で誠に心ない物でございますから、焦《じれ》つたがり、駈出《かけだ》したり或《あるひ》は跡足《あとあし》でバタ/\やるやうな事《こと》もございました。其《そ》の中《うち》にどうも兵士《へいし》の通《とほ》る事は千人だか数限《かずかぎ》りなく、又《また》音楽《おんがく》が聞《きこ》えますると松火《たいまつ》を点《つ》けて参《まゐ》りますが、松火《たいまつ》をモウ些《ちと》欲《ほ》しいと存《ぞん》じましたが、どうもトツプリ日《ひ》が暮《く》れて来《く》る、電気《でんき》は四ツ角《かど》に点《つ》いて居《を》りますのだから幽《かす》かに此方《こちら》へ映《うつ》りまする、松火《たいまつ》は所々《しよ/\》にあるのでございますからハツキリとは見えませんが、何《なん》でも旗が二十本ばかり参《まゐ》つたと思ひました。皆《みな》白錦《しろにしき》の御旗《みはた》でございます。剣《つるぎ》の様《やう》なものも幾《いく》らも参《まゐ》りました。其《そ》の中《うち》に御車《みくるま》を曳出《ひきだ》して参《まゐ》りまするを見ますると、皆《みな》京都《きやうと》の人は柏手《かしはで》を打ちながら涙を飜《こぼ》して居《を》りました。処《ところ》へ風《かぜ》を冐《ひ》いた人が常磐津《ときはづ》を語るやうな声《こゑ》でオー/\といひますから、何《なん》だかと思《おも》つて側《そば》の人に聞きましたら、彼《あ》れは泣車《なきぐるま》といつて御車《みくるま》の軌《きし》る音《おと》だ、と仰《おつ》しやいましたが、随分《ずゐぶん》陰気《いんき》な物《もの》でございます。其御車《そのみくるま》に四頭の牛がついて居《を》ります。此牛《このうし》は蓮華班《れんげまだら》といひ、替牛《かへうし》が位牌班《ゐはいまだら》といふのがあり、天簾《あますだれ》といふ牛がある。どうも能《よ》くさういふ毛並《けなみ》の牛が出来《でき》たものでございますが、牛飼《うしかひ》さんに尋《たづ》ねると然《さ》ういふ牛は其《そ》の時に生《うま》れて出ると云《い》ひました、と京都《きやうと》の人が申《まうし》ました。御車《みくるま》の前《まへ》に糞《ふん》をするといかんといふので、黒胡麻《くろごま》を食べさせて糞《ふん》の出ないやうにするといふ、牛も骨の折れる事でございます。毎日々々|食《た》べ附《つ》けない黒胡麻《くろごま》を食《た》べて糞詰《ふんづま》りになるから牛が加減《かげん》が悪くなつて、御所内《ごしよない》の主殿寮《とのものれう》に牛小屋《うしごや》がありまして、其《そ》の中《なか》に寐《ね》て居《を》りますと、牛の仲間が見舞《みまひ》に参《まゐ》りました、といふお話《はな》しを考へました、是《これ》は昔風《むかしふう》の獣物《けもの》が口《くち》を利《き》くといふお話の筋《すぢ》でございます。
多くの黒牛《くろうし》と白牛《しろうし》が這入《はいつ》て来《き》まして、「御免《ごめん》なさい。「ハイ。「扨《さて》誠にどうもモウ此度《このたび》は御苦労様《ごくらうさま》のことでございます、実《じつ》に何《ど》うも云《い》ひやうのない貴方《あなた》は冥加至極《みやうがしごく》のお身《み》の上《うへ》でげすな。「ヘエ有難《ありがた》うございます。「マア斯《か》ういふ事は滅多《めつた》にない事でございます、我々《われ/\》のやうな牛は実《じつ》に骨の折れる事|一通《ひととほ》りではありません、女牛《めうし》の乳《を》を絞《しぼ》られる時の痛さといふのは耐《たま》りませんな、夫《それ》にまア私《わたし》どもの小牛等《こうしなど》は腹《はら》の毛《け》をむしられて、八重縦《やへたて》十|文字《もんじ》に疵《きず》を付《つ》けられて、種疱瘡《うゑばうさう》をされ布《ぬの》で巻《ま》かれて、其《そ》の痒《かゆ》い事は一|通《とほ》りではありません、夫《そ》れに私共《わたしども》は先年《せんねん》戦争《せんさう》の時などは、支那《しな》の恐《おそ》ろしい道の悪い処《ところ》へ行《い》きまして木石《ぼくせき》を積《つ》んで運《はこ》びますのが、中々《なかなか》骨の折れた事で容易《ようい》ではございません、勿論《もちろん》牛は力のあるのが性質《うまれつき》故《ゆゑ》、詰《つま》りは国《くに》の為《た》めだから仕方《しかた》がございませんが、それに引換《ひきか》へて貴方《あなた》は結構《けつこう》でございますねエ。「ヘエ。「同じ牛でもどうも、五|位《ゐ》の位《くらゐ》が附《つ》いたといふ事を聞きましたが全《まつ》たくでございますか。「ヘエ……そんなに賞《ほ》めてお呉《く》んなさるな、畜生《ちくしやう》の身《み》の上《うへ》で位《くらゐ》など貰《もら》ひましたから、果報焼《くわはうや》けで、此様《こん》な塩梅《あんばい》に身体《からだ》が悪くなつて、牛のくらゐ[#「くらゐ」に白丸傍点]倒《だふ》れとは此事《このこと》で、毎日々々|黒胡麻《くろごま》ばかり食《く》はせられて、食《た》べ附《つけ》ない旨《うま》い物《もの》だからつい食《た》べ過ぎてすつかり通《つう》じが留《とま》りましたので、逆《のぼ》せて目が悪くなつて、誠にどうも向うが見えませんから狭《せま》い通《とほ》りへ行《い》つて、拝観人《はいくわんにん》の中《なか》へでも曳《ひ》き込《こ》むやうな事《こと》があつて、怪我《けが》でもさせると大変《たいへん》だと思つて今から心配でございます、モウ明日《みやうにち》になりました……夫《それ》に私《わたし》の名が貴方《あなた》、どうも蓮華班《れんげまだら》といふのでげすからな、おまけに夢《ゆめ》の浮橋《うきはし》を渡《わた》るといふので替牛《かへうし》がお前《まへ》さん、位牌班《ゐはいまだら》といふので名が一|体《たい》に訝《おか》しうございます、私《わたし》もモウ明日《みやうにち》役《やく》に立てば宜《よ》うございますが、今晩《こんばん》にもヒヨツと生者必滅《しやうじやひつめつ》でございますから……。「然《そ》んな気の弱い事をいつちやア行《い》けません、お加減《かげん》が悪ければ、明日《みやうにち》は御大役《ごたいやく》の事ですから早く牛の角文字《つのもじ》にでも見せたら宜しうございませう…。牛《うし》の角文字《つのもじ》といふのは、隠《かく》し題《だい》の歌《うた》に「二ツ文字《もじ》牛《うし》の角文字《つのもじ》直《すぐ》な文字《もじ》ゆがみ文字《もじ》とぞ君《きみ》は覚《おぼ》ゆれ」是《これ》は恋《こひ》しくといふ隠《かく》し題《だい》の歌で、二ツ文字《もじ》はこ[#「こ」に傍点]の字で、牛《うし》の角文字《つのもじ》は、いろはのい[#「い」に傍点]の字、直《すぐ》な文字《もじ》はし[#「し」に傍点]の字で、ゆがみ文字《もじ》はく[#「く」に傍点]の字《じ》でございます、夫《そ》れですから牛《うし》の角文字《つのもじ》といふのは貴方《あなた》医《い》をお頼《たの》みになつたら何《ど》うでございますといふので。「夫《それ》は僕《ぼく》も家畜病院長《かちくびやうゐんちやう》を呼んで診察《しんさつ》をして貰《もら》ひましたがな……。「お熱《ねつ》は何《ど》んな塩梅《あんばい》でございますか。「熱《ねつ》は京都《きやうと》へ来《き》たせいか平《へい》をん[#「をん」に白丸傍点]でげす。「熱度《ねつど》はどの位《くらゐ》で。「三|条《でう》七|条《でう》と申《まうし》ます。「成《なる》ほど、夫《それ》ぢやア、マア大《たい》したお熱《ねつ》ぢやアないお脈《みやく》の方《はう》は。「脈《みやく》の方《はう》が多《おほ》うございます、九|条《でう》から一|条《でう》二|条《でう》に出越《でこ》す位《くらゐ》な事で。「成《なる》ほど、脈《みやく》の方《はう》が多《おほ》うございますな、脈《みやく》の割《わり》にすると熱《ねつ》が陰《いん》にこもつて居《を》りますな。「モウ[#「モウ」に白丸傍点]/\私《わたし》は迚《とて》も助かるまいと思ひます。「然《そん》な事を仰《おつ》しやつちやアいけませんよ、どうか確《しつ》かりなさい。「熱《ねつ》がモウ少し浮《う》かないでは直りますまいよ。「御心配なさいますな、明日《みやうにち》はキツと御発カン[#「御発カン」に白丸傍点]でございます。
底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫
1964(昭和39)年6月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年7月19日作成
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