燈《でんきとう》が、段々《だん/\》明《あか》るくなつて来《く》ると、従《した》がつて日《ひ》は西に傾《かたむ》きましたやうでございます。其中《そのうち》に又《また》拍子木《ひやうしぎ》を、二ツ打ち三ツ打ち四ツ打つやうになつて来ると、四ツ辻《つじ》の楽隊《がくたい》が喇叭《らつぱ》に連《つ》れて段々《だん/\》近く聞《きこ》えまする。兵士《へいし》の軍楽《ぐんがく》を奏《そう》しますのは勇《いさ》ましいものでございますが、此《こ》の時は陰々《いん/\》として居《を》りまして、靴《くつ》の音《おと》もしないやうにお歩行《あるき》なさる事で、是《これ》はどうも歩行《ある》き悪《にく》い事で、誠に静《しづ》まり返《かへ》つて兵士《へいし》ばかりでは無い馬までも静《しづか》にしなければいかないと申《まう》す処《ところ》が、馬は畜生《ちくしやう》の事で誠に心ない物でございますから、焦《じれ》つたがり、駈出《かけだ》したり或《あるひ》は跡足《あとあし》でバタ/\やるやうな事《こと》もございました。其《そ》の中《うち》にどうも兵士《へいし》の通《とほ》る事は千人だか数限《かずかぎ》りなく、又《また》音楽《おんがく》が聞《きこ》えますると松火《たいまつ》を点《つ》けて参《まゐ》りますが、松火《たいまつ》をモウ些《ちと》欲《ほ》しいと存《ぞん》じましたが、どうもトツプリ日《ひ》が暮《く》れて来《く》る、電気《でんき》は四ツ角《かど》に点《つ》いて居《を》りますのだから幽《かす》かに此方《こちら》へ映《うつ》りまする、松火《たいまつ》は所々《しよ/\》にあるのでございますからハツキリとは見えませんが、何《なん》でも旗が二十本ばかり参《まゐ》つたと思ひました。皆《みな》白錦《しろにしき》の御旗《みはた》でございます。剣《つるぎ》の様《やう》なものも幾《いく》らも参《まゐ》りました。其《そ》の中《うち》に御車《みくるま》を曳出《ひきだ》して参《まゐ》りまするを見ますると、皆《みな》京都《きやうと》の人は柏手《かしはで》を打ちながら涙を飜《こぼ》して居《を》りました。処《ところ》へ風《かぜ》を冐《ひ》いた人が常磐津《ときはづ》を語るやうな声《こゑ》でオー/\といひますから、何《なん》だかと思《おも》つて側《そば》の人に聞きましたら、彼《あ》れは泣車《なきぐるま》といつて御車《みくるま》の軌《
前へ 次へ
全10ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング