ッと思い
「貴方《あなた》は新三郎さまか」
 と云えば、
新「静かに/\、其の後《ご》は大層に御無沙汰を致しました、鳥渡《ちょっと》お礼に上《あが》るんでございましたが、山本志丈があれぎり参りませんものですから、私《わたくし》一人では何分《なにぶん》間が悪くッて上りませんだった」
露「よくまア入《いら》っしゃいました」
 ともう耻しいことも何も忘れてしまい、無理に新三郎の手を取ってお上《あが》り遊ばせと蚊帳《かや》の中へ引きずり込みました。お露は只もう嬉しいのが込み上げて物が云われず、新三郎の膝に両手を突いたなりで、嬉し涙を新三郎の膝にホロリと零《こぼ》しました。これが本当の嬉し涙です。他人の所へ悔《くや》みに行って零す空涙《そらなみだ》とは違います。新三郎ももう是までだ、知れても構わんと心得、蚊帳の中《うち》で互《たがい》に嬉しき枕をかわしました。
露「新三郎さま、是は私《わたくし》の母《かゝ》さまから譲られました大事な香箱《こうばこ》でございます、どうか私の形見と思召《おぼしめ》しお預り下さい」
 と差出《さしだ》すを手に取って見ますと、秋野に虫の象眼入《ぞうがんいり》の結構な品で
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