すと、家内は一体に寝静まったと見え、奉公人の鼾《いびき》の声のみしんといたしまして、池上町と杉原町の境に橋がありまして、其の下を流れます水の音のみいたしております。孝助はもう家内が寝たかと耳を寄せて聞きますと、内では小声で念仏を唱えている声がいたしますから、ハテ誰《だれ》か念仏を唱えているものがあるそうだなと思いながら、雨戸へ手を掛けて細目に明けると、母のおりゑが念珠《ねんじゅ》を爪繰りまして念仏を唱えているから、孝助は不審に思い小声になり。
孝「お母《っか》さま、これはお母様のお寝間でございますか、ひょっと場所を取違えましたか」
母「はい、源次郎お國は私が手引をいたしまして疾《とく》に逃がしましたよ」
と云われて孝助は恟《びっく》りし、
孝「えゝ、お逃し遊ばしましたと」
母「はい十九年ぶりでお前に逢い、懐かしさのあまり、源次郎お國は私の家《うち》へ匿《かく》まってあるから手引きをして、私が討たせると云ったのは女の浅慮《あさはか》、お前と道々来ながらも、お前に手引きをして両人を討たしては、私が再縁した樋口屋五兵衞どのに済まないと考えながら来ました、今こゝの家の主人五郎三郎は、十三の時
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