湯灌《ゆかん》となる事とは、神ならぬ身の萩原新三郎は、誠に心持よく表を閉めさせ、宵《よい》の内から蚊帳《かや》を吊り、其の中で雨宝陀羅尼経《うほうだらにきょう》を頻《しき》りに読んで居ります。此方《こちら》は伴藏夫婦は、持ちつけない品を持ったものだからほく/\喜び、宅《うち》へ帰りて、
みね「お前立派な物だねえ、中々高そうな物だよ」
伴「なに己《お》らたちには何《なん》だか訳が分らねえが、幽霊は此奴《こいつ》があると這入《へい》られねえという程な魔除《まよけ》のお守《まもり》だ」
みね「ほんとうに運が向いて来たのだねえ」
伴「だがのう、此奴《こいつ》があると幽霊が今夜百両の金を持って来ても、己《おれ》の所へ這入《へい》る事が出来めえが、是にゃア困った」
みね「それじゃアお前出掛けて行って、途中でお目に懸ってお出《い》でな」
伴「馬鹿ア云え、そんな事が出来るものか」
みね「どっかへ預けたら宜《よ》かろう」
伴「預けなんぞして、伴藏の持物《もちもの》には不似合だ、何《ど》ういう訳でこんな物を持っていると聞かれた日にゃア盗んだ事が露顕して、此方《こっち》がお仕置《しおき》に成ってしまわア、又
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