《ま》ず自分の家《うち》へ帰り、小さくなって寝てしまい、夜《よ》の明けるのを待兼《まちかね》て白翁堂の宅《うち》へやって参り、
伴「先生々々」
勇「誰だのウ」
伴「伴藏でごぜえやす」
勇「なんだのウ」
伴「先生|一寸《ちょっと》こゝを明けて下さい」
勇「大層早く起きたのウ、お前《めえ》には珍らしい早起《はやおき》だ、待て/\今明けてやる」
 と掛鐶《かきがね》を外《はず》し明けてやる。
伴「大層|真暗《まっくら》ですねえ」
勇「まだ夜《よ》が明けきらねえからだ、それに己《おれ》は行灯《あんどう》を消して寝るからな」
伴「先生静かにおしなせえ」
勇「手前《てめえ》が慌《あわ》てゝいるのだ、なんだ何しに来た」
伴「先生萩原さまは大変ですよ」
勇「何《ど》うかしたか」
伴「何うかしたかの何《なん》のという騒ぎじゃございやせん、私《わっち》も先生も斯《こ》うやって萩原様の地面|内《うち》に孫店《まごだな》を借りて、お互いに住《すま》っており、其の内でも私は尚《な》お萩原様の家来同様に畑をうなったり庭を掃いたり、使い早間《はやま》もして、嚊《かゝあ》は洒《すゝ》ぎ洗濯をしておるから、店賃《たなちん》もとらずに偶《たま》には小遣《こづかい》を貰ったり、衣物《きもの》の古いのを貰ったりする恩のある其の大切な萩原様が大変な訳だ、毎晩女が泊りに来ます」
勇「若くって独身者《ひとりもの》でいるから、随分女も泊りに来るだろう、併《しか》し其の女は人の悪いようなものではないか」
伴「なに、そんな訳ではありません、私《わっち》が今日用が有って他《ほか》へ行って、夜中《やちゅう》に帰《けえ》ってくると、萩原様の家《うち》で女の声がするから一寸《ちょっと》覗《のぞ》きました」
勇「わるい事をするな」
伴「するとね、蚊帳《かや》がこう吊《つ》ってあって、其の中に萩原様と綺麗な女がいて、其の女が見捨てゝくださるなというと、生涯見捨てはしない、仮令《たとい》親に勘当されても引取《ひきと》って女房にするから決して心配するなと萩原様がいうと、女が私《わたくし》は親に殺されてもお前《まえ》さんの側は放れませんと、互いに話しをしていると」
勇「いつまでもそんな所を見ているなよ」
伴「ところがねえ、其の女が唯《たゞ》の女じゃアないのだ」
勇「悪党か」
伴「なに、そんな訳じゃアない、骨と皮ばかりの痩《や》せた女で、髪は島田に結って鬢《びん》の毛が顔に下《さが》り、真青《まっさお》な顔で、裾《すそ》がなくって腰から上ばかりで、骨と皮ばかりの手で萩原様の首ったまへかじりつくと、萩原様は嬉しそうな顔をしていると其の側に丸髷《まるまげ》の女がいて、此奴《こいつ》も痩《やせ》て骨と皮ばかりで、ズッと立上《たちあが》って此方《こちら》へくると、矢張《やっぱり》裾が見えないで、腰から上ばかり、恰《まる》で絵に描《か》いた幽霊の通り、それを私《わっち》が見たから怖くて歯の根も合わず、家《うち》へ逃げ帰《けえ》って今まで黙っていたんだが、何《ど》ういう訳で萩原様があんな幽霊に見込まれたんだか、さっぱり訳が分りやせん」
勇「伴藏本当か」
伴「ほんとうか嘘かと云って馬鹿/\しい、なんで嘘を云いますものか、嘘だと思うならお前さん今夜行って御覧なせえ」
勇「己《おら》アいやだ、ハテナ昔から幽霊と逢引《あいびき》するなぞという事はない事だが、尤《もっと》も支那の小説にそういう事があるけれども、そんな事はあるべきものではない、伴藏嘘ではないか」
伴「だから嘘なら行って御覧なせえ」
勇「もう夜《よ》も明けたから幽霊なら居る気遣《きづか》いはない」
伴「そんなら先生、幽霊と一緒に寝れば萩原様は死にましょう」
勇「それは必ず死ぬ、人は生きている内は陽気盛んにして正しく清く、死ねば陰気盛んにして邪《よこしま》に穢《けが》れるものだ、それゆえ幽霊と共に偕老同穴《かいろうどうけつ》の契《ちぎり》を結べば、仮令《たとえ》百歳の長寿を保つ命も其のために精血《せいけつ》を減らし、必ず死ぬるものだ」
伴「先生、人の死ぬ前には死相《しそう》が出ると聞いていますが、お前さん一寸《ちょっと》行って萩原様を見たら知れましょう」
勇「手前も萩原は恩人だろう、己《おれ》も新三郎の親萩原|新左衞門《しんざえもん》殿の代から懇意にして、親御《おやご》の死ぬ時に新三郎殿の事をも頼まれたから心配しなければならない、此の事は決して世間の人に云うなよ」
伴「えゝ/\嚊《かゝあ》にも云わない位な訳ですから、何《なん》で世間へ云いましょう」
勇「屹度《きっと》云うなよ、黙っておれ」
 其の内に夜《よ》もすっかり明け放《はな》れましたから、親切な白翁堂は藜《あかざ》の杖をついて、伴藏と一緒にポク/\出懸けて、萩原の内へまいり、
「萩原|氏《うじ》々々」
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