源次郎殿
[#ここで字下げ終わり]
と孝助がよく/\見れば全く主人の手蹟《しゅせき》だから、これはと思うと。
源「どうだ手前は無筆ではあるまい、夜分にてもよいから来て釣道具を直して呉れろとの頼みの状だ、今夜は熱くて寝られないから、釣道具を直しに参った、然《しか》るを手前から疑念を掛けられ、悪名《あくみょう》を附けられ、甚《はなは》だ迷惑致す、貴様は如何《いかゞ》致す積りか」
孝「左様な御無理を仰しゃっては誠に困ります、此の書付《かきつけ》さえなければ喧嘩《けんか》は私《わたくし》が勝《かち》だけれども、書付が出たから私の方が負《まけ》に成ったのですが、何方《どっち》が悪いかとくと貴方《あなた》の胸に聞いて御覧遊ばせ、私は御当家様の家来でございます、無闇に斬っては済みますまい」
源「汝《うぬ》の様な汚《けが》れた奴《やっこ》を斬るかえ、打殺《ぶちころ》してしまうわ、何か棒はありませんか」
國「此処《こゝ》にあります」
とお國が重籐《しげとう》の弓の折《おれ》を取出《とりだ》し、源次郎に渡す。
孝「貴方様《あなたさま》、左様《そん》な御無理な事をして、私《わたくし》のような虚弱《ひよわ》い身体に疵《きず》でも出来ましては御奉公が勤まりません」
源「えい手前疑ぐるならば表向きに云えよ、何を証拠に左様《さよう》なことを申す、其のくらいならなぜお國殿と枕を並べている処《ところ》へ踏み込まん、拙者《せっしゃ》は御主人から頼まれたから参ったのだ、憎い奴め」
と云いながらはたと打《ぶ》つ。
孝「痛《いと》うございます、貴方《あなた》左様な事を仰しゃっても、篤《とく》と胸に聞いて御覧遊ばせ、虚弱《ひよわ》い草履取をお打《ぶ》ちなすッて」
源「黙れ」
といいざまヒュウ/\と続け打《う》ちに十二三も打《う》ちのめせば、孝助はヒイ/\と叫びながら、ころ/\と転《ころ》げ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り、さも恨《うら》めしげに源次郎の顔を睨《にら》む所を、トーンと孝助の月代際《さかやきゞわ》を打割《うちわ》ったゆえ黒血《くろち》がタラ/\と流れる。
源「ぶち殺してもいゝ奴だが、命だけは助けてくれる、向後《こうご》左様の事を言うと助けては置かぬぞ、お國どの私《わたくし》はもう御当家へは参りません」
國「アレ入らっしゃらないと猶《なお》疑ぐられますよ」
と云うを聞入《きゝい》れず、源次郎は是を機会《しお》に跣足《はだし》にて根府川石《ねぶかわいし》の飛石《とびいし》を伝いて帰りました。
國「お前が悪いから打《ぶ》たれたのだよ、お隣の御二男様に飛んでもない事を云って済まないよ、お前こゝにいられちゃア迷惑だから出て行ってお呉れ」
と云いながら、痛みに苦しむ孝助の腰をトンと突いて、庭へ突き落《おと》すはずみに、根府川石に又痛く膝を打《う》ち、アッと云って倒れると、お國は雨戸をピッシャリ締めて奥へ入《い》る。後《あと》に孝助くやしき声を震わせ、
「畜生奴《ちくしょうめ》/\、犬畜生奴、自分達の悪い事を余所《よそ》にして私を酷《ひど》い目に逢わせる、殿様がお帰りになれば申上げて仕舞おうか、いや/\若《も》し此の事を表向きに殿様に申上げれば、屹度《きっと》あの両人と突合《つきあわ》せに成ると、向うには証拠の手紙があり、此方《こっち》は聞いたばかりの事だからどう云うても証拠になるまい、殊《こと》には向うは二男の勢い、此方《こちら》は悲しいかな草履取の軽い身分だから、お隣《となり》づからの義理でも私はお暇《いとま》になるに相違ない、私がいなければ殿様は殺されるに違いない、これはいっその事源次郎お國の両人を槍《やり》で突き殺して、自分は腹を切ってしまおう」
と、忠義無二の孝助が覚悟を定めましたが、さて此のあとは何《ど》うなりますか。
六
萩原新三郎は、独りクヨ/\として飯島のお嬢の事ばかり思い詰めています処《ところ》へ、折《おり》しも六月二十三日の事にて、山本志丈が訪ねて参りました。
志「其の後《ご》は存外の御無沙汰を致しました、ちょっと伺《うかゞ》うべきでございましたが、如何《いか》にも麻布辺からの事|故《ゆえ》、おッくうでもあり且《かつ》追々《おい/\》お熱く成って来たゆえ、藪医《やぶい》でも相応に病家《びょうか》もあり、何や彼《か》やで意外の御無沙汰、貴方《あなた》は何《ど》うもお顔の色が宜《よ》くない、なにお加減がわるいと、それは/\」
新「何分にも加減がわるく、四月の中旬頃《なかばごろ》からどっと寝て居ります、飯もろく/\たべられない位で困ります、お前さんもあれぎり来ないのは余《あんま》り酷《ひど》いじゃアありませんか、私《わたくし》も飯島さんの処《ところ》へ、ちょっと菓子折《かしおり》の一つも持ってお礼に行《ゆ》
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