國「誰《だれ》だえ、其処《そこ》に居るのは」
孝「へい孝助でございます」
國「本当にまア呆《あき》れますよ、夜夜中《よるよなか》奥向《おくむき》の庭口へ這入《はい》り込んで済みますかえ」
孝「熱くッて/\仕様がございませんから凉みに参りました」
國「今晩は殿様はお泊番《とまりばん》だよ」
孝「毎月《まいげつ》二十一日のお泊番は知っています」
國「殿様のお泊番を知りながらなぜ門番をしない、御門番《ごもんばん》は御門をさえ堅く守って居《い》れば宜《い》いのに、熱いからといって女|計《ばか》りいる庭先へ来てすみますか」
孝「へい御門番だからといって御門計りを守っては居《お》りませんへい、庭も奥も守ります、へい方々《ほう/″\》を守るのが役でございます、御門番だからと申して奥へ盗賊《どろぼう》が這入り、殿様とチャン/\切合《きりあ》っているに門ばかり見てはいられません」
國「新参者のくせに、殿様のお気に入りだものだから、此の節では増長して大層お羽振《はぶり》が宜《い》いよ、奥向を守るのは私《わたし》の役だ、部屋へ帰って寝てお仕舞い」
孝「そうですか、貴方が奥向のお守りをして、斯様《かよう》に三尺戸《さんじゃくど》を開けて置いて宜《よろ》しゅうございますか、庭口の戸が開いていると犬が這入って来ます、何《なん》でも犬畜生の恩も義理も知らん奴が、殿様の大切にして入らっしゃるものをむしゃ/\喰っていますから、私《わたくし》は夜通し此処《こゝ》に張番《はりばん》をしています、此所《こゝ》に下駄が脱いでありますから、何でも人間が這入ったに違いはありません」
國「そうサ、先刻《さっき》お隣の源さまが入らっしゃったのサ」
孝「へえ、源さまが何《なに》御用で入らっしゃいました」
國「何《なん》の御用でも宜《よ》いじゃアないか、草履取の身の上でお前は御門さえ守っていればよいのだよ」
孝「毎月《まいげつ》二十一日は殿様お泊番の事は、お隣の御次男様もよく御存じでいらっしゃいますに、殿様のお留守の処へお出《いで》に成って、御用が足りるとはこりゃア変でございますな」
國「何が変だえ、殿様に御用があるのではない」
孝「殿様に御用ではなく、あなたに内証《ないしょう》の御用でしょう」
國「おや/\お前はそんな事を言って私を疑ぐるね」
孝「何も疑ぐりはしませんのに、疑ぐると思うのが余程《よっぽど》おかしい、夜夜中女ばかりの処へ男が這入り込むのは何《ど》うも訝《おか》しいと思っても宜《よ》かろうと思います」
國「お前はまアとんでもない事を云って、お隣の源さまにすまないよ、余《あんま》りじゃアないか、お前だって私の心を知っているじゃアないか」
 と、両人の争って居るのを聞いていた源次郎は、人の妾でも奪《と》ろうという位な奴だからなか/\抜目《ぬけめ》はありません。そして其の頃は若殿と草履取とはお羽振が雲泥《うんでい》の違いであります、源次郎はずっと出て来て、
源「これ/\孝助何を申す、是へ出ろ」
孝「へい何か御用で」
源「手前今承れば、何かお國殿と己《おれ》と何か事情《わけ》でもありそうにいうが、己も養子に行《ゆ》く出世前の大切な身体だ、尤《もっと》も一旦|放蕩《ほうとう》をして勘当《かんどう》をされ、大塚の親類共へ預けられたから、左様思うも無理もないようだが、左様な事を云い掛けられては捨置《すておき》にならんぞ」
孝「御大切《ごたいせつ》の身の上を御存じなれば何故《なぜ》夜夜中女一人の処《ところ》へおいでなされました、あなた様が御自分に疵《きず》をお付けなさる様なものでございます、貴方《あなた》だッて男女《なんにょ》七歳にして席を同《おなじ》ゅうせず、瓜田《かでん》に履《くつ》を容《い》れず、李下《りか》に冠《かんむり》を正さず位の事は弁《わきま》えておりましょう」
源「黙れ左様な無礼な事を申して、若《も》し用があったらどう致す、イヤサ御主人がお留守でも用の足りる仔細《しさい》があったら何《ど》うする積りだ」
孝「殿様がお留守で御用の足りる筈《はず》はありません、へい若しありましたら御存分になさいまし」
源「然《しか》らば是を見い」
 と投げ出す片紙《はがみ》の書面《しょめん》。孝助は手に取上《とりあ》げて読み下《くだ》すに、
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一|筆《ぴつ》申入候《もうしいれそろ》過日御約束|致置候《いたしおきそろ》中川漁船|行《こう》の儀は来月四日と致度《いたしたく》就《つい》ては釣道具|大半《なかば》破損致し居候間《おりそろあいだ》夜分にても御閑《おひま》の節|御入来之上《ごじゅらいのうえ》右釣道具|御繕《おんつくろ》い直し被下候様奉願上候《くだされたくねがいたてまつりそろ》。
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[#地から4字上げ]飯島平左衞門
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